Shangri-La
                      第58話
            脱出
                      2011/12/04 UP





  回復の指輪の淡い光が徐々に消えてゆくと

 クバードがゆっくりと起き上がり、鋭い目つきでこちらを見る。

 「クバード……」

 「よう、アルスレイ」 とても低く渋い声でクバードはアルスレイの名を口にした。

 「クバード、いったい……」

 「鎖にまで繋がれて、こんな所に居やがったのか?」 クバードは口をゆがませながら言う。

 「ああ……」 申し訳なさそうな表情のアルスレイ。

 「まったく、てこずらせやがって」

 クバードは腰にぶら下げている巾着からピックを出して

 アルスレイが繋がれている鎖の錠前を解除しようと取り掛かった。

 「助けに来てくれたのか?」 アルスレイは嬉しそうに言う。

 「いや、弟子の修行に来たついでだ」

 「そうか」

 「前回、俺が仕留めそこなった牛頭に借りを返すつもりが、面白い結果になった」

 「牛頭か……あれを倒したのは私だ」

 「らしいな」

 「いつもの悪い癖でちょっと倒してみたくなってな」

 「相変わらずだな」

 「そうしたら、ここから出られなくなってな」

 「そりゃここは留置所みたいなものだ」

 「結果がこの様さ」 苦虫を噛んだような顔つきでアルスレイは言う。

 「ふっ……」 珍しいクバードの笑顔。

 微笑こそするが、声に出し笑う事はまずないが、この時のクバードは

 旧友の前ではこんな表情をするのかと思うほどの柔らかい笑顔であった。

 「その後は私の偽者が戦っているはずだが」

 「知っている」

 「知っているのか?」

 「さっきまで戦っていたからな」

 「なにっ?そうだったのか?」

 アルスレイは驚くべき情報を話したのに、クバードがそれを知っていた事に

 逆に驚かされてしまった。

 「まあ、所詮は偽者だがな」

 「ど、どうしてあれが偽者だとわかった?」

 「まず、目だ」

 「ん……」

 「お前は片目が義眼のはずだ、偽者は両目が見えていた」

 アルスレイが宿敵のパイレルと言う男に片目をつぶされた事をクバードは憶えていた。

 「なるほど、しかしそれを知っているのもクバードくらいなものだ」

 「次に、身に着けていたフルプレート・アーマーが違っていた」

 「長剣もな」

 「良く知っているなぁ」 にやけるアルスレイ。

 「お前はいつも、ドゥーファー製の鎧にこだわっていたからな」

 「ドゥーファーの鎧は質が違うからな」 自慢げに笑みを浮かべるアルスレイ。

 「何と言っても、一着でガレー船が買えるほどの代物だ」

 「またその自慢話か?」

 「しかしクバード、偽者もちょっとばかり高級な鎧を着ていただろ?」

 「ああ、ちょっとばかり高級だったな。だから、鎧を壊さないように手加減するのが大変だった」

 「ぷっ」 アルスレイは笑いをこらえるのに必死な様子だ。

 「さあ鎖は解除したぜ」

 「かたじけない」

 「礼には及ばねえ」

 クバードは懐から何やら包みを出して

 「その代わりと言っちゃあ何だが……」

 「その包みは……?」 アルスレイが尋ねるとクバードは少しうつむいた。

 クバードがこんな事を他人に頼むとは意外であると感じながらも包みを受け取るアルスレイ。

 「これを渡してもらえねか?」 クバードは低い声で言った。

 アルスレイはクバードの顔見て何かを察した様子で

 「そこら辺は不器用なんだな?」 はにかむ様子のクバードに言った。

 「……」 目蓋を閉じたままクバードは回答をしない。

 「ヴァレリアには会えるかどうか分からないぞ」

 「……」 クバードはそれ以上何も言わなかった。

 「しょうがないな、引き受けよう」 アルスレイは鎖を取り外し

 「では、私の装備を返してもらいに行くとするか、ドゥーファー製の鎧と家宝の剣をな」

 手首を軽くひねりながら

 指の関節を軽くならしながら

 アルスレイが立ち上がる。

 クバードがその様を眺めている。

 クバードの首がアルスレイが立ち上がる下方向から上方向に向けられ

 「本物はやはりでかく見えるな」

 「そうか?」

 二人は顔を見合って笑い出した。

 「これを使って南の出口から出るといい」

 クバードはお手製の鍵をアルスレイに渡し

 「衛兵も今頃はレイド戦の余韻にひたってるはずだ」

 脱出経路まで教えた。

 「クバードはどこへ?」

 「俺は弟子を回収しないとな」

 すっと歩みだしたクバードにアルスレイは

 「クバードっ!」

 「……」 振り向くクバード

 「達者でな……」 

 「ああ、お前もな……」

 最後の言葉を交わすと二人はお互い険しい顔つきに戻りその場を後にした。


  アルスレイはクバードの情報通り南の出口から脱出する。

 「こうもあっさり脱出できるものなのか?」 アルスレイは疑問に思ったが

 それはこの闘技場を知り尽くしているクバードならではの脱出路であって

 決して警備が薄い訳ではない。

 力尽くで脱出を試みて捕まったアルスレイもその点は理解している。

 南出口以外から出ようものなら、さすがのアルスレイでも

 もう一度、不様な結果になっていたかも知れない。

 驚きを隠せないアルスレイは足早に闘技場から離れようとしたその時

 重ねて驚くような出来事がもう一つ待っていた。

 黒髪でタンクトップの上からローブを着こなした女性が失望した足並みで

 横切ろうとしていた。

 「ヴァレリア……」

 その女性も南出口から出てきた大柄の男に気が付いた。

 「アルスレイ……」

 二人は驚きを隠せない表情で、お互いをただ見つめるだけとなった。


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  この闘技場に一度足を踏み入れたものは

 戦いに敗れて死ぬまで、永遠と戦わなければならなかった。

 それを拒否したアルスレイは拷問にかけられて、鎖で繋がれ牢獄に放り込まれた。

 殺すにはもったいないと判断したギルドの上層部は、魔法でそっくりな偽者を作り出して

 観衆達の目を引くことに成功した。

 観衆達はアルスレイの素性(すじょう)を知らないので仕方が無いにしろ

 良く考えてみれば貴族の誇り高い戦士が闘技場で勝ちまくって喜んでいるのも妙な話である。

 まあ、アルスレイの場合は強そうなものを見ると、つい戦いたくなるみたいではあるが。

 また、クバードはどの時点で偽者と見抜いたのか解からないが

 目的として、モラのリハビリと旧友を救い出す事の二つの偉業を成し遂げた。

 全てはクバードの思惑通りと言う訳だが

 それは、このまま無事にモラを救出できればの話である。


  モラは独房に入れられていた。

 高い位置に鉄格子のはまった小窓があり、そこから日差しが入り込んでいた。

 モラの脳裏にはクバードがアルスレイにカウンター攻撃を受ける瞬間の映像がこびりついている。

 拭い去る事が出来ない描写にモラは活力、気力、と言った精神力を亡くしてしまい

 部屋の隅で体操座りをしているだけであった。

 そのうち、ボスであるクバードの言葉をいくつか思い出しては涙を流している。

 そして、特殊任務を命じられたボスの言葉から

 龍児の住む世界に来るまでを思い出し、龍児との思い出を振り返っていた。

 もともと住んでいた世界とは全く異なる平和な世界で、龍児と一緒に過ごした

 学園生活は、モラに多大な影響を与えていたのだろう。

 戻りたいと言う感情がモラの心の器から溢れ出しそうである。

 旧友であったマイを亡くし、親代わりであったクバードを失ったモラにとって

 このまま闘技場で朽ち果てても良いとさえ思い込んでいたその時

 「出ろっ!」 扉が開いた。

 「はっ!」 モラは我に返り緊張感がほとばしる。

 その緊張感はモラに龍児との絆を思い出させたのであった。

 この衛兵を倒し、脱出して龍児のもとに帰りたいと言う気持ちがモラを活性化させた。

 モラは衛兵に向かってスカートの中に忍ばせた短剣を抜き、襲い掛かる。

 丸腰でこの独房に放り込んだはずと思い込んでいる衛兵は、まさか武器を隠し持っているとは思いもしないだろう。

 「せいっ!やっ!!」 懇親の一撃を見舞うモラ。

 ところが、その攻撃は軽く弾き飛ばされた。

 「な、なにいっ!!」 まさかの奇襲攻撃を弾き飛ばされたモラは度肝を抜かれた。

 万事休すかとモラも観念したそのとき

 「扉を開くときは相手も警戒している」

 「え?」

 「奇襲をかけるならもう少し考える事だな」

 そこにはクバードが居た。

 「ぼ、ボス……」

 豆鉄砲を喰らった鳩のような顔をしているモラ。

 「どうして?……」

 「帰るぞ」

 まん丸なモラの瞳が徐々に潤んで涙がこみ上げてくる。

 「はっ、はいっ!!」

 元気な返事をしたモラは慢心の笑みを浮かべるのであった。


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  小鳥がさえずり、穏やかな噴水の水、教会の屋根に白い鳩がくつろぐ憩いの場。

 石畳の広場には新鮮な果物や食材を売る出店がいくつも建ち並んでおり

 この世界でも色々な人々が、色々な人生を送っている事が一目で解かる。

 耳鳴りが治まらない闘技場とは間逆な、のんびりとした空間である。

 アルスレイとヴァレリアは気が付くとそんな場所に赴(おもむ)いていた。



  「そうだったの……」 ヴァレリアの瞳は半分閉ざされて思いつめるような表情だった。

 「ああ、クバードが助けに来てくれなかったら死ぬまで牢獄だったろうな」

 「クバードは本物のあなたを助けるのが目的だったの?」

 闘技場でヴァレリアはやっとの事でクバード達の姿を見れたにもかかわらず

 お互いが殺しあっていたので、正直言って怒りを覚えていた。

 しかし、その深い理由も解からずに二人を悪く言った事に恥じて

 少しうつむいた。

 「ああ、しかし偽者とはいえ、シムラクラムを相手に良く戦った」

 「それは自画自賛なの?」

 「ははは、私は強いからな、シムラクラムも相当なものだろ」

 「でも、偽者と見破り、それを利用してここまでやりとげたんでしょ?」

 「ああ、たいしたもんだよあいつは」

 「でも……また一足違いだったわ」

 冷たい風がふき、ヴァレリアの髪がなびく。

 「会いづらいのさ」 アルスレイは真剣な顔つきになった。

 「え?」

 「君を誤ったとは言え、手に掛けて……」 

 「……」 その話は聞きたくないと言う表情のヴァレリア。

 「君を生き返らせるのにドローエルフの魔法まで頼って」 腕組をしてアルスレイは言う。

 「ドローエルフに?」

 「ギアスまで掛けられたからな……」

 「ギアスですってっ!!?」 さすがにヴァレリアもこのドローエルフと

 ギアスと言う二つの単語に驚きを隠せない様子である。

 「し……知らなかった……」 ドローエルフの魔法で生き返った事

 その代償にクバードがドローエルフからギアスを受けていた事も

 ヴァレリアは知らなかった。

 彼女達の世界ではドローエルフと言えば災いの種族で、関わる事は非常に危険で知られている。

 冷酷無残なドローエルフの魔法は強力で、悪魔を呼ぶことも日常茶飯事と聞く。

 日常茶飯事とは、ちょっと大げさかもしれないが、一度死をさまよったヴァレリアはどうやら

 そのドローエルフの力を持って生還したようだ。

 そして、ギアスとは、かなり高度な魔術で、呪いの様なこの魔法をかけられた者は

 強制的に術者の命令に従わなくてはならない状態になる。

 どちらにせよ、あのクバードがどうやってドローエルフとコンタクトをしていたのか?

 さらに言えば、よくも無事に取引をしていたものだと感心と驚愕をせざるを得ない。

 まあ、驚愕してから、安堵のため息とともに感心するわけであるが。

 アルスレイは遠い雲を眺めながら一呼吸して言う。

 「あのギアスのおかげでクバードはワインシルバーの指輪を奪取しなければならなかった」

 ヴァレリアが止めるのも聞かず、街を出て行ったクバード。

 ヴァレリアはあの時の事を思い出した。

 「そんな理由があったの……」 目が潤むヴァレリア。

 「だから、私を突き放すように……」 唇の振るえが止まらず声が震える。

 「なにも……なにもクバードは言ってくれなかった……」 涙が頬をつたう。

 アルスレイはじっとヴァレリアを見つめた。

 「いつも一人で背負い込んで……一人で苦しんでいるのよ……」

 肩を震わせながら泣くヴァレリアにアルスレイはクバードに頼まれた包みを取り出した。

 「これを渡してくれって」

 「これは……?」

 ヴァレリアはそっと包みをひろげ中身を取り出した。

 それは、とても綺麗な琥珀の髪飾りであった。

 「カノンが身に着けていた髪飾りだわ……」

 「それと、妹のカノンは姉に似て良くしゃべるようになったって」

 カノンの無事の報告とクバードのメッセージ。

 「ば、ばかねえ……」 

 直接交わすことはなくなった、そのクバードからのメッセージに

 ヴァレリアは涙が止まらなかった。

 平和の象徴である白い鳩達が青い空へと羽ばたいて行く。


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  「いつまでボサッとしてる」

 「は、はいボス」

 クバードの背中を追いかけるモラは、不思議な感覚を憶えていた。

 死んでしまったと思っていたクバードが目の前に居ることで、あの時の行き場のない怒りも

 いつしか消え去っていた。

 だが、それはモラだけではなかった。

 「クバードじゃねえかっ!!」

 馬車に乗り、帰る途中のプロキウスがクバードの姿に気づいた。

 「お、お前っ!生きてやがったのかっ?!」

 涙目のプロキウスは、さっそく馬車を降りて近寄ってきた。

 「ほれ」

 クバードはボトルをほおリ投げた。

 「うわっ!」

 ボトルをキャッチするプロキウス。

 「こ、これは……」

 プロキウスはボトルのラベルを見て驚いてる。

 「頂き物だ」 目蓋を閉じて少し自慢げに言うクバード。

 「高級品だなぁ」 嬉しさのあまり声が踊るプロキウス。

 「安物のラム酒の方が良かったかな?」

 クバードとプロキウスはお互いをじっと見つめた。

 「いや、お前の復帰祝いに飲ませてもらうぜ」

 そして、プロキウスは今までで一番いい笑顔を見せた。

 「世話になったな」 サックを背負いながらクバードは言う。

 「行くのか?」

 「ああ……」

 「今度は何を企んでいやがる?」

 「……」 クバードは一瞬、黙りこんでから口を開いた。

 「これからが本当の戦いだ」

 「世界崩壊って言うあれか?」

 「……」

 多くを語らず、再び黙り込んだクバードは

 「またな」

 最後に一言だけ言い残して去って行った。

 クバードとモラが夕日を背に小さくなって行くなか、プロキウスは

 <また来いよ>と何度も繰り返した。



  色々な物語はひとまず完結したようである。

 だが、クバードが言うとおり、本当の戦いはこれからであった。




つづく

 



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