Shangri-La
                      第56話
         風の精霊の歌声
                      2011/11/13 UP





  「あの小娘はっ!?」 プロキウスも観衆と同様に目を見開いた。

 「クバードの連れていた弟子だ……」

 その姿を見るまで、プロキウスは全く忘れていたが、久しぶりに現れたクバードの

 陰に隠れるようにプロキウスをうかがっていたあの少女だ。

 その小さな体から察するには、とてもクバードと同じ世界で裏家業を営んでいるとは

 想像できない、それがプロキウスの第一印象だった。

 だからあの時、仕方なく冗談で「娘をこしらえたのか?」とクバードに問いかけたのだろう。

 全身を覆った難攻不落の鎧『フルプレート・アーマー』と

 リーチの長い両手持ちの長剣を装備するアルスレイに

 小さく幼い少女が、たいした武装もなしに

 一生懸命に立ち向かってゆくその姿に誰もが、少し哀れみを感じるほどであった。

 先のクバードとの激戦を見ていた者なら、そう思っても当然であろう。

 「いや、まてよ……」 プロキウスはスキンヘッドの頭の汗を手ぬぐいでふき取りながら

 「アルスレイの動きがあまりにも遅くなっている」

 疲労困憊と言う文字があまりにもしっくり来る今のアルスレイにとって

 モラの素早さは少々厄介なものであろう。

 「あの小娘、素早さだけならクバードに負けては居ない……」

 また、プロキウスの悪い癖が出たようで、クバードに託していた夢、希望、その他云々を

 今度はモラに期待している。

  闘技場の観衆の誰もが、このレイド戦の幕は下りたと思っていたさなか

 思いがけないイベントが残っていたと大騒ぎになっていた。

 激戦の末、力を出し切った表情で長剣を地面に突き刺し寄りかかっていたアルスレイのもとに

 電光石火のごとく突っ走るモラ。


  モラの突撃とは別にもう一つの出来事が動き始めていた。

 そう、甚目寺霞がここでようやく口を開いたのだ。

 「カードが動いたわ……」

 少年悟の引いた愚者のカードの力がここに来て発動したと言うのか?

 おそらく今回のレイド戦において、様々な事柄が重なり

 とうとうカードの発動条件を満たしたのだろう。

 天を仰ぐ霞。

 その視線の先に青白い光に包まれた一枚のカード。

 カードはまばゆい光とともに消え去り、光の粉が闘技場一帯に散らばった。

 剣闘士達と囚人達のあいだで辛うじて生き残った悟は

 モラに急所を攻撃され戦意を喪失した一人の歩兵と激突した。

 歩兵は転倒した拍子に兜が脱げ落ちた。

 怯えきった顔つきで、モラに切り裂かれた首の辺りを必死で押さえている歩兵。

 「ゆ、許してくれっ!」 歩兵は叫ぶ。

 「はっ!」 悟は愕然とした表情で身動き一つしない。

 なぜか?

 それは、その歩兵の顔に見覚えがあったからだ

 「にっ、兄さんっ!!?」

 そう、その歩兵は悟の兄とそっくりであった。

 「ゆ、許してくれっ!!」

 近衛兵は首筋から流れ出る血を必死で押さえながら叫んだ。

 「許す?……」 悟はこの言葉に今まで兄にされた理不尽な事情を思い出し

 兄との記憶と言う強靭な手のひらが悟の脳みそを鷲掴みにするようであった。

 母はいつも兄と自分を比較して、そのできの悪さを叱責した。

 初めは年の差だった。

 年下の悟は当然、兄より劣っていたが

 いつしかその劣等感が悟の心を支配し、比べられない方向へ逃げるようになったのだ。

 すなわち、兄がする事柄の反対方向へ

 それが反抗だったのかもしれないが、ますます母との距離も広がっていった。

 悟が気がついた時にはもう、その距離が縮まる事は出来ないほどになっていたのだ。

 「ゆ……ゆる……せると……」

 「許せるとっ!!思っているのかっ!?」 拳が振るえ怒りがこみ上げてくる悟は

 兄の思い出とは別に甚目寺霞の言葉を思い出していた。

 霞が言った、自分の人生の方向性を変えるのは、やはり自分次第と言うあの言葉を

 「今まで生きてきた道だって俺が選んだ道だっ!」

 「方向性に間違いがあるはずがないっ!」

 「間違っているのは兄さんや母さんだっ!!」

 「俺を捨て置いた……お前らが、俺をこう変えたんだっ!!」

 複雑な心境の下で悟は葛藤し、この一瞬のためらいが非常に長い時間に感じた。

 「頼むっ!殺さないでくれっ!」

 「兄さんっ!やっぱりあんただけは許せないっ!!」 悟は思い切りスピアを突き立てた。

 「はうっ!!」

 ここへ来て何度も人間の体に刃物を突き立てる、あの嫌な感覚が

 初めはためらったものの

 この時点では怒りに我を忘れたのか?慣れてしまったのか?

 何のためらいも無かった。

 「どうだっ!苦しいかっ!」 悟は自分が受けた苦しみを

 ひとつ、またひとつと思い出し

 その苦しみの回数だけ兄の体にスピアを突き立てた。

 もう何度スピアを突き立てたか?

 解からなくなるほどであった。

 「これが……貴方の答えなのね……」 最上段から見ていた甚目寺霞は悲しい表情でつぶやき

 「これ以上は私のタロットの力をもってしても……無理ね……」 

 「残念だわ……」 

 「ばかめっ!!俺が決めるんだっ!」

 「俺の人生だっ!!これでようやく自由になれるんだっ!!」

 「お前さえ居なければっ!!お前さえ居なくなればっ!!」

 「昔から俺を縛り付けてきた鎖を俺は今断ち切ったんだっ!」

 「お、俺はっ!自由だあぁぁっ!!!」

 悟は体中に返り血をあびて真っ赤に染まり、こめかみと首に青筋を立ながら

 かすれた大声で叫んだ。

 最上階で霞はその様子をじっと見詰めながら小刻みに震えていた。

 「あなたはそう思っているかもしれないけど」

 「でもそれは本当の自由じゃないわ……」

 「自由と言うものは何かから逃れるものではなく」

 「その環境を自ら打破して、なじんで行く様に努力する事よ」

 「縛られていると思っているうちは自由にはなれないわ」

 「縛られていると思わなくなるように精神を鍛える必要があるのよ」

 「あなたの心を縛り付けている鎖は、逃げるのではなく」

 「そういった苦行を乗り越えなければ、断ち切ることは出来ないわ」

 霞は振り返ると同時に無表情になり闘技場を後にした。


  この闘技場においてまた一つのイベントが終わった。

 だが、モラのアルスレイに対する怒りは絶頂に達していた。

 「よくもボスをっ!!」 モラの一撃はつむじ風の様だと誰かが言ったが

 確かに素早いだけではなく、なにか流れのようなものを感じる。

 「あの二本の短剣からなにか、歌声のようなものが聞こえないか?」

 「え?ヒュンヒュンと聞こえる、あれか?」

 大歓声の中、まさかそんなはずはない。

 もしも聞こえるとするならば、それは見る者に

 その目に飛び込んでくるモラの剣さばきが、幻聴を書き立てたのだろう。

 二刀流で小さな手に握られている短剣の風を切る音は、まるで風の精霊の

 歌声のようである。

 がしかし、その風の精霊の歌声もアルスレイのフルプレート・アーマーの硬度が

 断ち切り、鋼と鋼がぶつかり合う甲高く、まるでハーピーの叫び声のような

 不気味な音に変換されてしまう。

 フルプレート・アーマーの硬度は、モラ自身も先の一撃で実感できたはずだ。

 「じゃあこれならどうだっ!」 モラは勢い良く弾みをつけて上空より攻撃を繰り出した。

 ところが、勢いをつけた攻撃も、フルプレート・アーマーは弾き返す。

 「むりっぽいわ……」

 額から滝のように汗を流しているアルスレイはモラに手を出す暇が無いのか?

 全く攻撃をしようと言う様子が無い。

 「おかしい……攻撃してこないなんて……」 モラもこれには気づいた様子で

 一歩後退して様子を見ることにした。

 モラの両手に握られている剣は、クバードより短いショート・ソードである。

 この剣をアルスレイに命中させるには、より深い所に進入しなければならない。

 この間合いのやり取りにクバードも必死だったにもかかわらず

 モラはあっという間に潜り込めた。

 おそらく、次に潜り込む瞬間にカウンター攻撃を狙ってくるはずだとモラも確信していた。

 「ちがうな……」 プロキウスは何かに気が付いた。

 モラは再び踏み込む。

 今度はどれくらいの距離ならアルスレイが攻撃してくるのかを

 計っているようだ。

 時より力強いアルスレイの攻撃が繰り出されるが、モラは何とかかわしている。

 「このタイミングか?」 モラも牽制攻撃をしながら考えているようで

 それは仕掛けるのが毎回モラからなので、その余裕があるのだろう。

 「あの鎧を何とかできないかしら」 モラの発想は正解だった。

 歩兵たちの鎧は、部分的なもので隙間を狙う機会もあったのだが

 このフルプレート・アーマーにはその隙間すらない。

 まあ、そういった攻撃の対策が練りに練られた鎧だから当然である。

 「疲労困憊にしてはどうも様子が変だな」 プロキウスはアルスレイほどの戦士であれば

 そろそろ次の戦闘のスタミナが回復しても良いはずと見ていたが

 未だにアルスレイの動きが遅いことに疑問を感じていた。

 「そ、そうかっ!!」

 「はっはははっ!!」 

 プロキウスは並びの悪い歯をむき出して高笑いをした。

 「アルスレイのあの額から流れ出る汗の量からして」

 「毒だっ!」

 プロキウスはクバードとアルスレイの戦いを思い返して

 とうとう気が付いた。

 「なるほど、クバードの奴が放った、あのダーツには毒が塗られていたんだ」

 さすがは屈強な戦士をこの闘技場へ数知れず送り込んできたプロキウス。

 その通りである。

 実は、クバードがアルスレイに放った三本のダーツには毒が塗られていたのだ。

 アルスレイは、そのうち一本を剣で弾き返し、二本目は鎧で防いだが、三本目は

 避けきれず頬をかすめた。

 毒は頬より体内に侵入して、アルスレイの動きを鈍らせていたのだった。

 残念な事に、毒の効果がピークに達する前にクバードは敗れてしまったが

 その毒の効果が弟子であるモラに勝機を与えるとは。

 「しかし、毒の効果時間は使い手であるクバードが知らないはずはねえ」

 「時間の目算を誤ったのか?」

 「クバードらしくねえ……」

 「そんなはずはねえな」

 プロキウスは指であごの辺りをかきむしり、考え込んだ。

 「いや、まさか……」

 「計算されているとしたら」

 「こっ!この弟子のためっ!!なのか……??」

 「クバードはこの弟子がアルスレイと戦う事を想定していたと言うのか?」

 「自分がアルスレイに負けると初めから確信していた?」

 「勝てない相手だと悟っていたのか……?」

 「ちっ!ちがうっ!!」 

 「何か企みがあるっ!!」

 プロキウスは眼をむき出しにして立ち上がった。

 「奴の本当の目的のために仕組まれたものなのかっ!?」


  モラの踏み込む足元から砂埃が舞い上がる。

 「はあぁぁーっ!!」 つむじ風はまた吹き荒れる。

 「この鎧の弱点はっ!あそこだっ!」 二本の短剣を突き立てるようにして突撃するモラ。

 
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


  「しかし、凄まじかったよな今日のレイド戦は」

 「見たかったよ、今まで内勤だったから見てないんだよ」

 「うわ、それは残念だなー」

 「中でも、千人斬りの英雄と二刀流の男の戦いが凄かった」

 「千人斬りの英雄が負けたのか?」

 「いや、危なかったけど何とか勝った」

 「この死体がその二刀流の男さ……」

 「あうっ……」

 「あんな戦いは今まで見たことが無かったな」

 「そ、そうなのか?ついてないな俺」

 「でも、死んでしまえば、どんな屈強な戦士もただの骸(むくろ)さ」

 「ああ、そうだな……」

 この二人の裏方は担架でクバードの遺体を運んでいた。

 「この部屋でいいのか?」

 「ああ、後でオティフ先生が死体を解剖するみたいだ」

 「またかよ?」

 「あのマッド・サイエンティストには関わりたくないな」

 「まったくだ」

 筵(むしろ)をかぶせられたクバードの遺体は冷たい石造りの部屋に置き去りにされた。

 顔まで筵が覆っていて顔を拝む事はできないが、左腕が少しだけむき出しになっていた。

 確かにクバードの左腕だ。

 冷たくなった左手の薬指には、何かの牙が土台で黒い宝石を埋め込まれた指輪がはまっていた。






つづく

 



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