Shangri-La
                      第52話
          大切なもの
                      2011/08/01 UP




 

  額から汗が流れ落ちる

 アルスレイの瞳が大きく空間を覆いつくし、見ている者を奥に吸い込んでゆく。

 記憶は時間を超越し光を失った空間へ意識を誘(いざな)う。

 暗くかび臭い牢獄。

 アルスレイが傷だらけで鎖に繋がれ

 牢獄に捕われていた

 あの日

 そう、少年悟とアルスレイが少しだけ会話をした

 あの日である

 今思えば、あの会話は運命的なものであったのかもしれない。

 実際には交わる事がありえない者同士が

 何らかの力によって遭遇してしまった。

 そしてその出会いは、お互いの人生に大いなる影響を与えてしまったのではないだろうか?

 「君は兄さんを恨んでいるのか?」

 鎖に繋がれたアルスレイはぐったりとした表情で言った。

 「当たり前だ」 

 悟の瞳には怒りの炎が立ち込めていた。

 しばらく沈黙が続き、悟は絶望する一言をつぶやいていた。

 「どの道、もう俺たちは終わりだ……」

 少年悟は怒りの炎も沈下して絶望の闇に包まれた様な瞳をしていた。

 「世の中には色々な人が居る」

 「君のように兄を恨む人、私のように兄に恨まれる人」

 「だが、おかしな事にお互い終着点がこの部屋で死を待つのみとはな……」

 この二人、兄が共通点ではあるが、まったく真逆な人生を送っているにもかかわらず

 同じ牢獄にとらわれて、ただひたすらに死を待つのみとなっている。

 「こんな事なら、私も君も我慢強く辛抱するべきだったのかもしれない」

 「自分のやりたい事を優先してきたばかりにこの結果だ……」

 「あの屈折した家族を受け入れろというのかっ!?」 悟は再び激怒した。

 「君は……屈折していたのは自分自身では無いかと考えた事はあるか?」

 「あ、あんたには関係ない」 

 と、その時

 「二十番っ!出ろっ!」

 警備兵の声が響いたかと思いきや

 少年悟は無理やり連れ出されて行った。

 抵抗する悟のわめき声も

 次第に遠くなり

 アルスレイはただ一人

 会話も無い

 音も無い

 薄暗い牢獄に取り残された。

 少年悟との会話が無くなった事が

 この牢獄を今までより一層寂しい空間にさせ

 寂しい空間はアルスレイにも多大な影響を

 いわゆる、今までの人生を振り返る時間を与えたのだ。

 「大切なものがあれば、お互いに道を踏み誤ることは無かったかも知れんな……」

 アルスレイは力の無い声でつぶやいた。

 「大切なものか……」

 人によって大切なものは様々ではあるが

 金、土地、地位、名誉

 家族、友人、恋人

 仕事、趣味

 漠然と形の無い『夢』でも良いかも知れない。

 なにがしら大切なものを持っている者と、そうでない者では

 人生の方向と内容はまったく違った物になるのではないだろうか?

 さすがにアルスレイもこの時、考え込んでいた。

 「いったい俺の大切なものは何だったのか?」

 第三者が居る場合、アルスレイは自分の事を『私』と称していたが

 独り言をつぶやく時には『俺』になっている。

 そして少年時代に追い求めていた夢を思い出した。

 毎日、厳しい剣の訓練を受けていたアルスレイは

 忘れる事ができない親友が居た。

 二人はお互いに切磋琢磨し、究極奥義である

 『スマッシュ』と言う技の習得を夢見ていた。

 「究極奥義の習得が夢だったが、それが大切なものではなかったな……」

 うつむくアルスレイ。

 「今思えば、大切なものは他にあったのではないだろうか……」

 遠い記憶がよみがえる。

 まだ若く、色んな事がよく理解できていなかった頃の記憶が


  「おーりゃーっ!!」

 「ま、またかよ」

 「このアルスレイ・リゼル・ウオンルーは簡単に負けないのだよ」

 「アルスレイの剣の方が良いんじゃねえか?」

 「じゃあ、使ってみるか?ブルランド」

 「おっしゃ、覚悟しろよアルスレイっ!」

 「ははは、お手柔らかに」

 アルスレイと親友ブルランドは、時より二人で稽古をし

 お互いの力量を確かめ合っていた。

 「アルっ!これでどうだっ!」

 「甘いぜっ!ブルランド!」

 アルスレイはブルランドの放った一撃を弾き返して満足そうに笑い

 剣はブルランドの手を離れ高々と空中を舞った。

 「ブル、これで俺の実力が解かってもらえたかな?」

 「いやいやアル、お前の剣は俺には合わねえんだよ、グリップが握りにくい」

 お互い自分勝手な事を言いながら、弾き飛んだ剣を回収に向かうアルスレイとブルランド。

 「ああっ!」

 「アル、お前の剣、崖の下に落ちちまったぜっ!」

 弾かれた剣は崖から真逆様に落下してしまったのだ。

 「す、すまねえっ!」

 「家宝が……剣士の誇りが……」

 絶望的な表情でなみだ目のアルスレイ。

 そう、アルスレイが使用していた剣は家宝であり

 自分の腕を過信して勝手に持ち出していたのだ。

 家宝の剣は崖の下に広がる薄気味悪い森の中へと消え去った。

 「あの森は……」 もう目が死んだ魚のようになってるアルスレイ。

 「まずいな……」 冷や汗が止まらないブルランド。

 確かに優れた剣であるが

 それよりもウォンルー家に伝わる家宝と言う肩書きの方が重要であった。

 そもそもウォンルー家の倉に保管してあったこの宝剣が

 兄の成人を祝う式典で使用される為に

 先日メンテナンスも兼ねて外に運び出されていた所を

 アルスレイが無断で持ち出していたと言う訳だ。

 「みつからねえな……」

 「ああ……」

 日が暮れるまで探してみたが

 結局見つからず、二人はその場を後にした。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


  「アル、遅かったじゃない」

 食事の支度をしていた少女は名前をミディアと言い

 ウォンルー家でアルスレイの身の回りの世話役をしている。

 年端も行かない孤児であったミディアはこのウォンルー家に来てから

 笑顔で毎日明るく元気に仕えている。

 「ぐぐっ……」

 アルスレイは失った剣の事で頭が一杯で

 ミディアの声が聞こえていなかった。

 「うひょー、こりゃまた豪勢な料理だな」

 準備されている食卓の料理を見てブルランドは

 よだれがこぼれそうな顔付きで言う。

 ミディアは手料理を褒められて笑みを浮かべながら

 「シャワー浴びてきたら」 ブルランドに言った。

 「了解。アルお先に」 

 ブルランドの声も聞こえてはいないのか

 アルスレイは食卓の料理を眺めて呆然としている。

 「えへへ、すごいでしょう」

 「……」

 言葉の無いアルスレイの顔を覗き込むミディア。

 料理を見て呆然としている訳ではなく

 失った剣の事が頭の中で渦巻いているのだ。

 「……剣が……」

 「ん?」

 ぼそぼそと何かを言っているアルスレイにミディアは

 「どうかしたの?」 

 「ミディア……」

 「ん?」

 「剣を失くしたんだよ……」

 「剣?」

 「ああ、剣だよ」

 「あらら、ドジね〜」

 ミデアは食器を並べながら言う。

 「ど、ドジって?」 

 ドジと言われ返す言葉が無いアルスレイ。

 「まったく〜、また新しい剣を買わなくちゃねダメじゃない」

 「!……」

 「そんな事より、今日はアルスレイのために腕によりをかけて料理を作ったのよ」

 瞳を閉じ両手で頬をおさえながら愛らしく語るミディア。

 「そんな事より……だと?」 低い声でアルスレイが言う。

 そんな事と言われて怒りがミディアの方向に向けられた。

 「アルの好きな牛肉の赤ワイン煮とマッシュポテトよ」

 「あの剣はな……」

 「みてみて、オニオンたっぷりなんだから」

 「あの剣はウォンルー家に代々伝わる宝剣で俺の命の次に『大切なもの』なんだっ!」

 「……」

 命の次に大切なものと聞いてミディアも一瞬黙り込んだ。

 肩を落としながら椅子に座り込むアルスレイは

 いつもの活気を失っている。

 「だが、その宝剣ももう見つからないだろう」

 「……」 ミディアは言葉も無くアルスレイを見つめる。

 「崖の下は『ヤバト・ルーゼ・ウッズ』と言う強者でも恐れる森なんだ」

 この地方では『盲目の森』と称されるほど危険な未開の地であり

 この時のアルスレイ達にとって、踏み込むには、いささか力不足であろう。

 「そんな危険なところ、下りて探したの?」

 「いや、ふもとだけ見て回ったけど」

 「ろくに捜しもしないで、弱音を吐くなんてアルスレイが聞いてあきれるわ」

 「な、なにっ!」

 「だってそうじゃないっ!」

 「アル、シャワー上がったぞ……」 ブルランドがタオルで髪の毛を

 ふきながら出てきて、二人口論に気がついたが、間に入る余地は無かった。

 「うるさいっ!そこがどれ程、恐ろしい所か」

 「いつも家に居るお前なんかが解かるはずが無いっ!」

 「なんっ!!……わか……」 ミディアも怒りが頂点に達した。

 「解かんないわよっ!でもそんなに簡単にあきらめられる剣なら」

 「ウォンルー家の家宝もたいしたこと無いわねっ!!」

 ミディアは真っ赤な顔で給仕をしながら言う。

 「わ、解かっていないくせにっ!とやかく言うなっ!!」

 「むっ!!」 売り言葉に買い言葉であった。

 「もっ!もうそれはいいから、さっさと食事済ましてくれないっ!!」

 「なんだとっ!!」 アルスレイは立ち上がり

 拳を振り上げた。

 「お前はっ!!、俺の気持ちなんかっ!!」 拳は食卓に叩き付けられた。

 「全く解かってないんだあぁぁっ!!」

 「家宝を失くした事が、どれだけ恥な事かっ!!」

 食材と食器が飛び散り、床に散乱した。

 「せ、せっかく今日のために時間をかけて作った料理なのに……」

 驚きと戸惑いを隠せないミディアは悲しくつぶやいた。

 「お前のような養女に、貴族の誇りが解かってたまるかっ!!」

 「そ、そんな……」 ミディアは胸を突き刺されたような痛みを感じた。

 孤児であったミディアにとってはウォンルー家の親族やそこに仕えている

 全ての人が家族であったが、『養女である』と言う事実は

 はその全ての絆を断ち切ってしまう一言である。

 この時のアルスレイはまだ若かった故に

 親密な関係になればなるほど

 心の奥までその言葉が突き刺さってしまうと言うことを知らなかったのだろう。

 「アルスレイのバカぁぁっ!!」 

 「み、ミディアっ!」

 ミディアは涙をこぼしながら出て行った。

 ブルランドが出てきて

 「アル……ちと言い過ぎた様だな……」

 「ブルランド……」

 「気持ちってのは、一方通行じゃダメなんだぜ」

 ブルランドは壁に寄りかかり、目を閉じて話す。

 「え?」

 「アルの気持ちが解かって欲しければ、ミディアの気持ちも解かってやらなきゃなあ」

 「そ、それは……」

 「解かってるって言うのかい?」

 「い、いやその……」

 「その料理さ、いつもより豪勢だと思わないか?」

 アルスレイは床に散乱した食器と料理を見た。

 「俺はさ、この御馳走を見るまで思い出せなかったが」

 「ミディアはちゃんと憶えていてくれたんだ」

 「アルの誕生日をさ」

 「俺の……誕生日……」

 「解かってやんなよ、ミディアの気持ちをさ」

 失った剣の事ばかり考えていて、自分の誕生日すら忘れていたアルスレイは

 怒りで我を忘れ、ミディアの事をよく考えていなかった事を後悔した。

 「そ、そうだったのか……」

 散乱した食材のもとにアルスレイも崩れるようにふさぎ込んだ。

 「マッシュポテト……」 情けない顔でアルスレイはつぶやいた。

 アルスレイがマッシュポテトが好物と言うことをミディアは知っていた。

 「なんて事をしてしまったんだ……」

 「はやく追いかけなよアル」

 アルスレイはブルランドの顔を見上げる。

 ブルランドは白い歯を輝かせて笑う。

 「まだ、間に合うぜ」

 いままで情けない表情であったアルスレイの瞳に光が戻った。

 「ミディアっ!」 拳に力込めてアルスレイは飛び出していった。

 「やれやれ」 一息つくブルランドは部屋の壁に貼ってある写真を見る。

 思い出の写真がいくつも貼ってあるが

 アルスレイとミディアが満天の笑みを浮かべて寄り添う

 一枚の写真があった。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


  アルスレイは無我夢中で飛び出していったミデアを探す。

 「ミディアぁーっ!」

 心臓が張り裂けそうになるほど息が上がりながらも

 必死でミディアを探した。

 外は既に薄暗くなっており

 ミディアにもしもの事があったら

 どうしたらいいんだ

 と心の中で幾度と無くつぶやいた。

 「ミディアーっ!」

 あんな小さな女の子だ

 野獣にでも遭遇しようものなら無事ではすまない

 俺は取り返しの付かない事をしてしまったと

 アルスレイはミディアを探しながらずっと後悔した。

 「み、ミディアあぁ……」

 どれくらい時間が過ぎただろうか?

 もう随分探しているが一向にミディアを発見できなかった。

 涙をこらえ声が震えるアルスレイが

 半分あきらめ掛けていたその時

 「み、ミディアっ!」

 ミディアはそこに立っていた。

 アルスレイの目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 「ミディア……俺……」

 アルスレイの言葉を遮る様にミディアは

 「はいっ、これ」 自慢げに剣を差し出した。

 「そ、それは……」

 「剣って重いんだね」

 泥だらけになりながらも剣を探し出し

 少女にとっては重過ぎる剣をミディアは一生懸命に運んで来た。

 「お前……この剣ために……」

 「命の次に『大切なもの』なんでしょ?」 汚れた頬をぬぐいながら笑うミディア。

 「ば、バカヤローっ!」

 涙を流しながらミディアを抱きしめるアルスレイ。

 「あ、アル……」

 「命よりも『大切なもの』だってあるんだからな……」

 「く苦しいよ、アル……」

 抱きしめたミディアはきゃしゃで

 弱々しかったが、とても温かかった。

 『大切なもの』を失わずに本当に良かったと

 アルスレイは心の中で繰り返し思ったのだ。

 そして、ミディアの声が段々遠くなり

 しばらくすると聞こえなくなった。

 「ミディア……」

 アルスレイに影響を与える寂しい空間が

 見せた昔話であった。

 「遠いはるか昔の話のようだな……」

 鎖に繋がれている手で何かを掴もうとして

 掴む事ができないアルスレイはただ目蓋を閉じた。

 「俺はここで死ぬまで戦うしかないのか……」

 暗雲がアルスレイの脳裏を覆い被さってしまったかの様である。

 やがて、牢獄の暗闇がアルスレイを包み込み

 何も見えなくなって行った。



  灼熱の太陽と大観衆の円筒闘技場。

 目の前には両手に剣を握る

 クバードが立っている。

 両手で長剣を握り直すアルスレイの目に鋭い光が蘇る。

 「何を考えてるかは知らねえが、そろそろ次に行かせてもらうぜ」 クバードが目を細める。

 「ぼ、ボス……」 胸が張り裂けそうなモラ。

 「……」 口を閉じたままの甚目寺霞。

 「一瞬、妙な間が空いたな……どういう事だ?」 プロキウスも真剣な表情である。

 この後どういった展開になるか?

 誰一人として予想できないだろう。

 ただ、乾いた風だけが全てを知っているかの様であった。




つづく

 



  戻る