Shangri-La
                      第45話
      兄の存在がもたらす影響
                      2011/02/13 UP




  薄暗くかび臭い石造りの地下通路を二人の警備兵が向かっている先は

 二十番の部屋、すなわち少年『悟』の居る牢屋であった。

 「この時期、囚人の部屋割りが頻繁に変わって大変だな」

 「ああ、面倒を見る俺達の事も考えてほしいものだ」

 屈強な体つきの警備兵達は愚痴をこぼしつつ足早に歩いてゆく。

 「まあ、皇帝様の主催とあっちゃあ、戦闘の回数も人数も多くなるからな」

 「確かに、レイドも開催する事になるだろう」

 「レイドは一回で大量の奴隷が死ぬからな」

 「剣闘士や囚人も、この時期だけは商売繁盛ってか?」

 「俺達のお給金も上げてもらいたいものだ」

  闘技場にて多くの囚人の命が公平な裁判のもとではなく、一部の人間の娯楽のために散り行く様は

 現代の先進国社会では考えられない光景である。

 「二十番、出ろ」

 空気の抜けたような面構えの悟は、警備兵の言うがままに連行される。

 主催者側で剣闘士の力量を測り、面白い展開になるように対戦相手が組まれ

 部屋の移動も、それに伴って行われている様である。

 闘技場での戦いは回数を重ねる事で、その生存確率が徐々に下がる訳だが

 それは弱いものが死に、強いものが残るからで

 少年『悟』がこの後、生き残れるかどうかは衛兵の腕の太さと悟の腕とを比べてみれば一目瞭然である。

 「二十番、お前は今日で終わりだな」 警備兵の冷たい一言は悟の心に突き刺さった。

 この一連の理不尽な展開がタロットカードの仕業だとしても

 甚目寺霞が言うように、自分の道を見つけ出し行動する機会は残されているはずだ。

 しかしながら、悟にはそこまで考える余裕がみじんも無く

 「ほら、この部屋にはいれ」 警備兵の酷い扱いのもと、別の部屋に移された。

 牢屋の冷たい金属製の分厚い扉は、棺を納める焼き場の扉を連想させ

 悟の脳裏から祖父の出棺の記憶を呼び覚ました。

 あの時、人としての形を保っている祖父の体も

 火葬炉の扉の中へ入ってしまえば、跡形もなく燃焼してしまうと言う

 悲しさと寂しさで胸が張り裂けそうであった。

 綺麗に骨だけ残る台車式火葬炉では人間を焼くのに時間が掛かり

 その間に悟は色々な祖父との生前の記憶を思い出して涙した。

 何故か?今になって優しかった祖父の記憶だけがよみがえって来る。

 この牢獄の扉は悟にとっては火葬炉の扉に匹敵する位、重苦しく

 この扉の中に入ってしまう事で、全てが終わってしまうのではないかと

 思わせるような感覚を与えた。

 「さっさと入れ」

 悟は固まったまま動こうとはしない。

 「どうした!入らないかっ!」」

 そして小さい声で何かをつぶやいた。

 「りたくない……」

 「なにっ?」

 「入りたくないっ!」

 全身に精一杯の力を込めて暴れる悟は足をばたばたさせ、わめき散らす。

 「こ、こいつ」

 悟の必死の抵抗も空しく、警備兵二人に押さえ込まれ

 強制的に部屋に放り込まれた。

 蹴り込まれた悟は、頭を抱えながらしゃがみ込む。

 「お、俺は……」 

 涙を流して冷たい石畳の上に倒れこんだまま動かない悟は

 力尽き、水面(みなも)に沈み込むように眠りに落ちていった。


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 


  桜庭病院の表玄関には本日工事中と言う紙が貼ってあり、入ることができない。

 カノンは渡辺に言われて偵察中であったが

 経験上、これほどにまで手こずった事は今だかつて無かった。

 一般の来客も中に入れずに困っているようで

 中の非常事態に気が付くのも時間の問題であろう。

 ただ、今のところ、病院内で武装集団共が占拠して大暴れしているという事は外部には漏れていないようだ。

 「おかしいわね……」 裏口に回ったカノンは非常口からも進入できない事に疑問を感じた。

 それもそのはず、出入り口は全て武装集団が閉鎖したからである。

 病院の1階の窓はセキュリティーがしっかりしている為、コントロールセンターのボタン一つで

 全てシャッターが下りている。

 バーナーでも持ってこない限り進入はできないであろう。

 カノンが考え込んでいると、渡辺より携帯電話に連絡が入った。

 「カノンどうだ?閉鎖されているだろう?」

 「ええ、数箇所確認したけど、入れないわ」

 「って言うか、どうして解かったの?」

 「やっぱりか」

 渡辺は武装集団のワゴン車を押さえる事に成功したようだ。

 「緊急時に仲間と合流するにはどうするんだ?」 ワゴン車の運転手を拘束し質問する渡辺。

 「……」 だんまりを決め込む運転手。

 渡辺は運転手の懐より拳銃を取り出し

 「いい物持ってるじゃないか」 運転手のこめかみに押し当てた。

 「カノン、もう少し待て。今から進入路を教える」

 「え?どうゆう事?」 カノンには状況がよく解からない。

 「無線機か?」 拳銃を運転手のこめかみでグリグリする渡辺。

 「……」 口を閉ざしたまま、横目で渡辺を見る運転手。

 「なんだ?この拳銃、おもちゃか?軽いな」

 「え?……」 冷や汗を流す運転手。

 「これ、プラスチック製じゃないか」

 「ああ……」

 「引き金も軽いな」

 「ちょっとっ!」

 「ためしに撃って見るか?」

 「まてっ!」

 「モデルガンかも知れんしー」

 「グロックっす、本物の拳銃だって!」

 「じゃあ、さっさとしろよ。俺の手が引き金を引く前にな」

 「ひいっ!」

 「俺は気が短いんだ」 鋭く睨みを効かせる渡辺に

 この男なら撃ちかねないと判断した運転手は

 「解かったっす」 渋々無線で仲間に連絡を取る。

 「オペレーター、オペレーターどうぞ」

 「こちらコントロールセンター」

 運転手の額から止め処もなく汗が流れ落ちる。

 「忘れ物を届けたいんだが、非常口のセンサーを解除してくれ」

 この台詞にコントロールセンターに居るスキンヘッドの男は隣に居るひげの男と顔を見合わせて

 そしてゆっくりとうなずいた。

 「解かった、南の6番だ」

 「了解」

 運転手は生唾を飲み込みながら渡辺を睨んだ。

 「カノン、南の入り口だ」

 「南って?」

 「確か渡り廊下のすぐの」

 「ああ、解かった」

 コントロールセンターのスキンヘッドの男が焦った顔つきで

 無線のチャンネルをボスに切り替えた。

 「ボス、緊急事態です」

 「どうした?」

 「ウニモグが何者かに占拠されたようです」

 「なんだと?」

 「今、運転手のノブオから無線が入りやした」

 「で、ノブオは?」

 「忘れ物を届けたいと」

 「忘れ物……第三者による介入で帰路を消失……か」

 くわえタバコを床に投げ捨てブーツで踏み消すボス。

 「一体何者だ?俺達の計画の邪魔をする奴は?」

 新しいタバコを出して吸い始めるボス。

 「届けたいという事はそいつがこちらに向かっていると言う事だ」

 部下達に不安がよぎる。

 ボスは士気を落とさないように力強い口調で指令を出す。

 「コントロールセンターは菊池に任せて植田」

 「へ、へい」

 「お前は6番へ行き、待ち伏せして始末しろ」

 「了解」 若いスキンヘッドの男、植田は菊池に後を任せて離席する。

 「タムセン持って行きな」 植田は菊池よりタムセンと呼ばれているアサルトライフルを

 手渡されてほくそ笑んだ。

 「まかせとき」


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


  人間の意識とは別に体内の細胞は自立してその営みを維持している。

 ひどく困憊していた悟は何時しか眠りに付き、その体力を回復させていた。

 「兄さん……俺は……」 ひどく汗をかき、うわごとを言う悟。

 どれくらい眠りに付いていただろうか?

 悟はまたもや兄の悪夢にうなされ、その苦しさのあまり目を覚ました。

 「くそう……兄さんがいけないんだ……俺は…」

  独り言を口にしようとした悟は、薄暗い部屋の壁に人気を感じた。

 目を凝らして良く見ると、大柄な男が鎖でつながれているではないか?

 上半身の鍛え上げられた筋肉がこの男の屈強さを物語っている。

 牢獄に入れられるだけではなく、わざわざ鎖でつながれているその訳は?

 体つきの勢いとは裏腹に金髪で長い髪が無力にも垂れて顔がよく確認できない。
 
 「こ、これは……」

 強靭な上半身には、拷問を受けたような傷が数え切れないほど付いている。

 「きっと凶悪犯のリーダーか何かだ」 悟は言葉を発した瞬間に

 聞こえているのではないか?と言う不安に駆られて語尾を小声にとどめた。

 日本で言う『さらし』を巻くように腹部には包帯が巻いてあり

 その包帯にはかなりの血がにじんでいる。

 「い、生きているのか?」 悟は震える小声で尋ねた。

 すると男は頭をゆっくりと上げ、目蓋を少しだけ開いた。

 長い金髪の奥には凛々しい顔がうかがえ、虚ろな半開きの眼ではあるが

 その奥にある瞳は強い輝きを放っており、ここまでひどい状況下に置かれても尚

 自分が間違ってはいないと言う自信と誇りを失っていない様だ。

 さすがに悟にさえ、この男がただならぬ者だと言う事が理解できた。

 そしてその男が口を開いた。

 「兄さんがいるのか?……」

 力のない声ではあるが、発音がしっかりしており聞き取りやすかった。

 「なぜそれを?」

 「君はうなされて何度も口にしていた……」

 悟はじっと考え込んでから兄の話をし始めた。

 第三者に、むねの内を話す事で蓄積されたストレスを開放すると言う手段は

 精神的に追い詰められる直前の人間がよく取る行動パターンの一つである。

 悟にとってはこの男が見知らぬ男である事と、鎖に繋がれていると言う

 二つの理由から打ち明かす決心が付いたのであろう。

 「あんたに言っても仕方ない事だが……」

 「優等生だった兄と俺はいつも比較された」

 悟は兄に対してコンプレックスを持っていたが、その根源を男に話した。

 「母はいつも兄を優先して、俺の事を見てはくれなかったんだ」

 母親の片寄った愛情の注ぎ方への不満が積もり、心の奥底に自我を封じ込めてしまった事。

 「何か事件がおきると決まって俺のせいにされた」

 兄のしてきた弟への裏切り行為とその真実が明かされずに暗闇に葬り去られた事。

 「何度か俺は兄の濡れ衣を着せられた事もある……」

 それが何度も繰り返された結果、悟の心は歪んでしまったのだ。

 「俺は兄のせいで今ここに居るようなものだ」

 そして最終的にはこの後、自分の命のともし火が消え去る事も理解している。

 「どう言う事かは知らないけど、もうすぐ俺は戦って死ぬんだ」

 「訳が解からねえよ」

 「俺の人生って何だったんだっ!?」 激しい口調になる悟。

 悟はこの時点で口を閉ざし、沈黙がしばらく続いた。

 「私にも兄がいる……」 男が穏やかな口調で話し始めた。

 「遥か遠い所で私を恨んでいるかも知れない……」

 「恨んでいる……?」 悟はうつむいていた顔を上げて男の顔を見た。

 「親は長男である兄に跡を継がせたい所だが、兄は体が弱く」

 「親族も交えて何度も協議した結果、この私に跡を継ぐように要請してきた」

 「悪い話じゃないだろう」

 悟は自分の人生とは逆なその話に少しだけ興味を持った。

 「兄の居る手前でそんな事はできない」

 「親は兄よりあんたの事を認めてるんだ、何の不満がある?」

 「兄からも直接頼まれたが、私には他にすべき事があった」

 「俺の兄とはぜんぜん違う、いい兄貴じゃないか」

 「結局、私は故郷を出る事にした」

 「逃げたのか?」

 「そうかもな……」

 「あんたは馬鹿だ」

 「世の中には色々な人が居る」

 「君のように兄を恨む人、私のように兄に恨まれる人」

 「だが、おかしな事にお互い終着点がこの部屋で死を待つのみとはな……」

 確かにそうであった。

 この二人、兄が共通点ではあるが、まったく真逆な人生を送っているにもかかわらず

 同じ牢獄にとらわれて、ただひたすらに死を待つのみとなっている。

 「こんな事なら、私も君も我慢強く辛抱するべきだったのかもしれない」

 「自分のやりたい事を優先してきたばかりにこの結果だ……」

 「あの屈折した家族を受け入れろというのかっ!?」 悟は再び激怒した。

 「君は……屈折していたのは自分自身では無いかと考えた事はあるか?」

 「あ、あんたには関係ない」 悟は凶悪犯のリーダーの説教じみた話にかなりの苛立ちを覚えた。

 と、その時

 「二十番っ!出ろっ!」

 警備兵の声が響いた。




つづく

 



  戻る