Shangri-La
                      第43話
            企み
                      2010/12/24 UP




  キャプテン・キーンが指揮する海賊船はエーテル・プレーンを航海していた。

 エーテル・プレーンとは『この世』と『あの世』の狭間である。

 物質世界、いわゆるマテリアル・プレーン(M・P)に我々生命体が存在する訳だが

 生命体が死後に肉体より精神が抜け出し、次ぎの世界に行く途中の空間が

 エーテル・プレーンである。

 物質世界からはエーテル・プレーンに存在するものは見る事ができないし

 もちろん触れる事もできない。

 だが、エーテル・プレーンからは、物質世界に存在するものを見る事は出来る。

 建物や人は色彩が無くモノクロに見えるが、物体には触れる事はやはり出来ない。

 お互いの次元が異なるため、我々が存在する物質世界からエーテル・プレーンに居るものに干渉できないし

 エーテル・プレーンからも物質世界には干渉できないという事だ。

 死んだ者の魂はこのエーテル・プレーンに存在し、その時は物質世界の物事を見る事は出来る。

 自分の葬式とかを見る事ができるのだ。

 極まれに死んだ者の魂(幽霊)が見えてしまう人もいるようではあるが

 その幽霊自身は物質世界に居るのではなくエーテル・プレーンに居るので

 こちらからは触れる事もできないと言うわけだ。

 物語では、たいてい悪霊を退治するには一般的な武器では無く、エーテル・プレーンの者に

 攻撃可能な物が用意されるのが常である。

 キャプテン・キーンの海賊船はその狭間に存在する。

 いや、潜伏している。

 龍児の世界のいかなる者もこの船を発見する事は不可能であろう。

 
  その海賊船の船長室でキャプテン・キーンと骸骨男が会議をしている。

 「それは本気で言っているのか?」 キーンは片方しかない目を見開きつつ大声で言った。

 三百人もの乗組員を仕切っているキャプテン・キーンは隻眼でムスタッシュ風の口髭が

 なんともかっこ良い男である。

 「コフュー、サシューサ」 骸骨男は顔をぼろいローブで深く覆い、薄気味悪い表情で何かをつぶやく。

 骸骨なので声帯が無い。

 そのため、喋るたびに喉から吹きすさむ風の様な音だけが聞こえてくる。
 
 「それで、こっちの街を占拠できるのか?」 キーンとは会話になっているようで

 深刻な作戦が練られているようである。

 「あんたが以前、一つの世界を支配していた事は聞いているが……」

 「シュー、シュー」

 骸骨男は大きな衣装箱よりアイテムを取り出した。

 「そ、それは?」

 カエルのような爬虫類と山羊が混じり合った顔をした悪魔の彫像を机の上に置いた。

 子猫ほどの大きさの彫像は下半身が醜く太った人間の体で、大きな山羊の角は角笛になっている。

 「コフュー、ニッシーサー」

 「オルカスの角笛……だと?」

 ここで、とんでもない名前が出てきたとキーンは内心、凍り付く様な感覚がほとばしった。

 オルカスとは悪魔の中でも最も凶悪な存在に位置づけされており

 知っている者がオルカスの名を聞くと間違いなく理性を失い恐怖する。

 アンデッドモンスター、すなわち死霊どもの創造者である。

 オルカスが存在する以上、この世界には死霊が存在する。

 オルカスが凶悪とされる意味は、あらゆる生命体の命を奪い、その屍を媒体として

 アンデッドモンスターを作り出す仕組みにある。

 例えば、歴戦の勇者がゴッドイーター(神をも滅ぼす存在)まで到達したとしても

 生命体である以上、いつかは死を迎える事になる。

 その勇者の屍をオルカスが手に入れたとすると、既に死んでいるため

 半永久的にアンデッド・ウオーリアーとして破壊されるまでオルカスために

 殺戮を繰り返すであろう。

 一つの世界を支配してきたドラゴンですら、屍となればオルカスの力で

 ドラゴンゾンビと作り変えられて支配下に置かれてしまう。

 その死霊を司るオルカスの体の一部で造られたとされるこの角笛。

 一体どのような力があると言うのか?

 一瞬、船長室は静まり返った。

 「それを使って街を恐怖のどん底に落し入れるつもりか?……」キーンの声が少し震えていた。

 この新たな企みに、さすがのキーンも動揺を隠せなかった。

 
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  ロマネスク建築風の建物が並び、枯れた噴水が中央にある市場で色々な物が売り買いされている。

 ロマネスク建築とは、10世紀末から12世紀にかけて西ヨーロッパで広まったキリスト教美術様式で

 特に重厚な教会堂建築に代表され、半円形アーチの多用が特色である。

 荷馬車が頻繁に行きかうこの一角には、しっかりとした西洋風の石畳が引いてあり

 新鮮な果物、魚、肉、牛乳など、生活に必要な物は一通り買い揃える事が出来そうである。

 その市場の裏路地に人を売買すると言った少しばかり胡散臭い

 いや非常に胡散臭いエリアがあった。

 幾つか店があるようだが、見ると確かに店の主人達の人相も悪い。

 中でも一際やばそうな男の店先で商談が行われていた。

  
  「また来たのか?」 背中の曲がったスキンヘッドの男が腰掛より立ち上がりながら言った。

 「ああ、また少し汗をかきに来た」 

 「俺と組む気になったのか?クバードよ」 スキンヘッドの男は嬉しそうに言う。

 「そんな気は全く無い」

 「相変わらず無愛想な奴だな」

 クバードの陰からモラが顔を出した。

 「おいおい、いつの間に娘をこしらえていたんだ?」

 「馬鹿を言うなプロキウス、こいつは弟子だ」

 「はっはっは、解かっている、冗談さ」

 「今回はこの弟子の分も手配してくれ」

 「それも解かっている、それよりクバードよ」

 「なんだ?」

 「俺たちの故郷が崩壊していると言うのは本当か?」

 「ああ、既にエステリア方面は消滅した」 クバードは腕組みをして目蓋を閉じた。

 「エステリアがか?……信じられんな」 プロキウスは深いため息を漏らす。

 モラはそっとプロキウスの顔をうかがい、前には出ないようにしている。

 おっかないのであろう。

 「傭兵時代にあの城を何度か攻めた事があったが、難攻不落の要塞だった」

 「結局落とせなかったが、いろんな意味で良い城だった……」

 プロキウスは遠い空を眺めながら昔し話を始めた。

 「あの頃は、正規師団の連中の鼻をへし折るのが楽しみだったなあ……」

 「世界が崩壊しているんだ」 クバードはプロキウスの話の腰をへし折った。
 
 「城どころか、国ごと消滅した」

 「消滅って……どんな風にだ?」

 「空間ごと消えうせ、暗闇だけが残っている」

 「暗闇だと?」

 「ああ、吸い込まれたら一巻の終わりだ」

 「……」

 「その暗闇は徐々に広がっている」

 「ここは大丈夫なのか?」

 「さあな……」

 「ここは既存の世界とは異なり何者かが作り出した世界だろ?」

 「それも本当の話かどうか……」

 「ここは安全地帯だ」 プロキウスの歯並びの悪い笑顔がまた不気味である。

 クバードの故郷であるメキアはバッカス王国によって占領されたが

 そのバッカス王国は長年にわたってエステリア王国と戦争をしていた。

 クバードの所属していたシーフギルドはバッカスのアサシンギルドによって壊滅状態にされてしまった。

 当時のギルドマスターは行くへ不明になり、後にクバードが残党をかき集めて

 新しく『クバード一家』を立ち上げる事になる。

 このプロキウスと言う男はクバード達と同じアベリアン大陸出身らしく

 どういった経緯でこの世界に来たのかは不明であるが

 現在では奴隷商人を営み、より強い剣闘士をコロッセオに送り出す事を生甲斐としていた。

 どうやらクバードはモラの快気を確認するために、コロッセオ(闘技場)の

 出場手配をプロキウスに依頼していると言う事だ。

 「手配は出来るがクバードよ、今回はちと厳しいぞ」

 「なぜだ?」

 「凄い奴が居るらしい」

 「どんな奴だ?」

 「何でも両手持ちの長剣をぶん回す、かなりの兵(ツワモノ)がエントリーされているらしいからな」

 「モラのリハビリに持って来いだな」

 「良く聞けクバードよ」

 「……」

 「前回、お前さんが引き分けた四本腕の牛頭を倒したほどの腕だ」

 「あの牛頭を倒したのか?」

 「豪快に一刀両断だった。あれは見事だった」

 「……」 クバードは言葉が出なかった。

 「なあ、クバードよ、お前さんは本業は戦士や闘士ではない」

 「何が言いたい?」 クバードは、いささか怒りを覚えた様で唇をかみ締めた。

 「このコロッセオを舐めて掛かると命取りになるぜ」

 暗殺やアクロバット的な行動に卓越したクバードにとって

 何処からでも見通せるコロッセオの闘いは、正直実力を発揮できる場とは言えない。

 「それに今回は皇帝コモドゥス主催の大会も用意されている」

 「ほう、王様主催か」

 「前回のように、すんなり脱出できるかどうか……」

 「いや、すんなり脱出はしない」

 「な、なんだって?」

 「今回は前回とは違って、もう一つ目的がある」

 「そ、それは何だ?」

 「それは言えない」

 「おいおい、寸止めかよっ!」 ニヤケながらプロキウスは言う。

 クバードはモラのリハビリとは別に新たな企みがある様で

 横目でプロキウスを伺いながら笑みを浮かべて

 「まあ、後ほど」 と渋い声で言い残し去っていった。

 「クバードよ、剣が峰に立っていても尚、余裕の笑みを浮かべるのか?」

 プロキウスは立ち去るクバードの背中を眺めながらつぶやいた。

 「お前さんにとっては、この世界も箱庭に過ぎないと言うのか?」


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  奇跡的にも闘技場で勝ちを収めた少年『悟』は、暗く冷たい部屋の中で縮こまっていた。

 「俺が悪いんじゃない……」

 頭を抱えて苦しむ悟は、強制的とは言え人を殺した事に後悔していた。
 
 「子猫のミルキーが……道路で死んだんだ……」

 悟は幼い頃に飼っていた子猫を思い出していた。

 アメリカンショートへアーの子猫だった。

 毛の色が白くミルキーと言う名前で悟も兄も大そう可愛がっていたが

 ある日、散歩に連れ出し、その途中で道路に飛び出してしまったのだ。

 「外に連れ出すなって母さんに言われていたのに……兄さんが……」

 「俺は止めたのに……」

 「母さんは俺を信じてくれなかった、俺のせいにしたんだ……」

 悟の目の前でトラックにはねられた子猫の体は痙攣しながらも必死に立ち上がろうとしていた。

 しかし後続の自動車に次々とはね飛ばされ、悟はなす術も無いまま、悲しく見守るしかなかった。

 子猫は最終的にぺしゃんこになって、その原形をとどめる事は無かった。

 悟が子猫のそばにたどり着いた時は、赤黒く染まった毛皮のみになっていて

 悟はその道路にへばり付いている毛皮を必死で路面からはがし取った。

 「ミルキーっ!!!!」

 毛皮とも肉塊とも言えない状態になってしまったミルキーを高々と持ち上げ

 悟は泣き叫んだ。

 兄はその光景に怯えながら、全てを悟のせいにした。

 断片的にしか記憶は戻ってこないが、この思い出だけはあまりに今の悟には酷であった。

 過去の忌まわしい記憶を一つ思い出すたびに悟の心に深い傷が刻み込まれて行く。

 環境は人の性格を左右すると言うが、悟の折れた心の原因は家族構成だった様だ。

 その記憶が欠落してた時の悟は人の命を尊重できたのだが

 忌まわしい記憶を徐々に取り戻すたびに人の命を尊重できる余裕を失っていった。

 「俺にはどうする事も出来ないんだっ!」

 「ミルキーを助ける事も……」

 「兄さんの様に上手に生きてゆく事も……」

 「母さんに好かれるような子供である事も……」



つづく

 



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