Shangri-La
第26話
力(ちから)
2009/07/27 UP



  「行ってみたいとは思わないか龍児君……」

 「え?」

 「そのシャングリ・ラと言う場所へ」

 渡辺の目はギラギラと輝き

 奥歯を噛締めたその口元は笑みを浮かべて

 そう、まるで楽しいイベントを前にした少年の様である。

 「人はそれぞれ自分の人生と言うものを背負っている」

 「龍児君も例外じゃない」

 「それは……」 渡辺の話に耳を傾ける龍児。

 「戸惑う気持ちは十分解るよ」

 「誰だって自分の知らない事や理解できない事を目の当りにすればきっと戸惑う」

 「不安に思う気持ちと好奇心とが入り混じり、次の一歩が踏み出せなくなる」

 「自分に自信が無いか?龍児君」

 「じ、自信……」 

 渡辺のその言葉は龍児の心臓を貫くようだった。

 ここ数日の間に龍児は幾度も自信を喪失している。

 「僕には力が無い……」 意気消沈した一言だった。

 崩れるように龍児は地面に膝をつき、肩を落とす。

 「龍児君……」 片足を引きずりながら渡辺は龍児に近寄った。

 「力には色々な種類がある」 優しく龍児の肩に手をかける渡辺。

 「え?」 顔を上げる龍児。

 「相手をなぎ払う腕力」 拳を握り空中にパンチを繰り出す渡辺。

 「有利な戦い方を導く知力」 大きく目を見開く渡辺。

 「ピンチから這い上がる判断力」 人差し指を自分の即頭部にあてて、おどける渡辺。

 「人を引き付ける魅力」 満天の笑みを浮かべる渡辺。

 「そして最後に信じる力だ」 両手で龍児の両肩上腕部を力強く握り締める渡辺。

 「わ、渡辺さん……」

 「自分が何を理解し、何を信じて行動するかが問題なんだ」

 「俺は信じてみたいんだ。そのシャングリ・ラって言う存在を」

 渡辺はひときわ輝く星をめがけて指を指した。

 ある程度人生経験を積んで来た男と経験不足の少年とがぶつかり合った瞬間であった。

 龍児は身動き一つせず、その星を眺めていた。

 「まあいいさ。今ここで決断する必要は無いよ」

 渡辺はステッキをつきながら歩き出した。

 「まだ十分時間はある。ゆっくりと考える事だ」

 横目で龍児を見る渡辺。

 「また会おう、龍児君」

 チェルビラは正直言ってこの渡辺をシャングリ・ラへ導きたくはなかった。

 「龍児にとっても起点かもしれない……」 チェルビラはつぶやいた。

 しかし、今現在の龍児ではシャングリ・ラへたどり着くのは非常に厳しいであろう。

 「危険だけど……マラードを一緒に……」

 チェルビラにとって龍児は今まで探し続けた逸材なのだ。

 「長い年月をかけて、ようやくめぐり合えたのよ」

 ゆっくり時間をかけてでも龍児を育て上げてシャングリ・ラへ連れて行くつもりである。

 だが、周りの連中はそう待ってはくれないようだ。

 「そろそろ、やるしかないわね」 チェルビラは決意した。

 片足を引きずる渡辺とカノンはゆっくりと去っていった。

 それを見送る龍児。

 「千恵……」 

 「なに?」

 「シャングリ・ラってさ」

 「ん?」

 「あの星の方にあるのか?」 渡辺が指していたあの星を龍児は指差した。

 「ぜんぜんちがうけど……」 


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  暗闇の中、アリシャン号と言う名のガレー船が移動してゆく。

 次元と次元の間を移動しているこの船は、魔法の力で動いているため水夫を必要としない。

 乗船しているのは、たったの二人とカラスが一羽だけである。

 「スター・マース様の話ではチェルビラの剣はヒューマノイドに姿を変えているらしい」

 人形のように表情の無いその少女、リディルは言う。

 「インテリジェンス・ソードとは聞いておりましたが、その様な力が?」

 褐色の肌と頬のペイントが特徴的なゴゼットは、舵を握りこの船のコントロールをしている。 

 「ただの宝剣がヒューマノイドとして自ら行動できるなんて……驚きだわ……」

 さらりとした長髪で耳から伸びる髪の毛がカールしているリディルは

 驚いたと言う割には顔に表情が無い。

 「方角は解ったと言え、その世界へたどり着けるかどうかですな」

 ゴゼットは羽飾りやターコイズの装飾品を身につけているシャーマンである。

 シャーマンとは精霊の力を借りる魔術師の事である。

 「その世界は時間軸が十数年ずれているらしいわ」

 「では、パリス様が生れ変っておれば、既に青年期を迎えていますな」

 「即戦力になれば良いんだが……」

 リディルは黒いシックな衣服と肩にとまる一羽のカラスが何処と無く魔の香りを漂わせ

 可愛い顔つきとは反比例した不気味さを放っている。

 「記憶を失っておられると言うのは本当ですかね?」

 ゴゼットは一番重要な事柄をリディルに尋ねた。

 「特別な輪廻転生はその代償も大きいと聞く」

 「普通の人間として生活をしておられると言う事であれば……即戦力には……」

 「ゴゼット、クロームの神の力はそんな物ではない」

 「しかし、リディル殿……」

 「会って確かめるしかないわね」


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  「マラード、本当にあの少年と一緒に……」

 カノンは渡辺に心配そうな表情で聞いた。

 「龍児君はチェルビラを引き出す事に成功しているんだ」

 辺りはすっかり暗くなり所々街灯が点灯している。 

 「人間の姿になった事?」

 「そうだ、あれは龍児君がチェルビラに認められた証拠だ」

 「俺の時とは違う……」

 渡辺の目つきがいつもとは違い、こめかみの辺りに血管が浮き出る。

 「だが、俺はあきらめない……」

 「決してあきらめはしないぞ」 不自由になった足をさすりながら渡辺は言う。

 「マラード……」

 「俺は今持っている全てを賭けても良いと思っている」

 「財産、組織、そしてこの体もだ」

 「……」 カノンは渡辺が、なんだか遠ざかるような、そんな感覚を味わった。

 渡辺とチェルビラの間で何があったかは謎だが、全てを賭けてでも手に入れたい

 理想の地『シャングリ・ラ』に対する執念は中途半端なものでは無いという事だけは理解できる。


  「漁夫の利を得るつもりだな」

 「ん?」 漁夫の利を得るという台詞が男の声だった事に渡辺は驚いた。

 重低音の響く渋い声は街灯のあたらない暗い陰の方角からだった。

 「誰だ!?」

 ゆっくりと陰から一人の男が姿を現した。

 「ぼっ、ボスっ!」 カノンはとっさに口を開いた。

 「今度は何を企んでいる?マラード」

 暗闇に溶け込むような黒い衣装の男は余裕の顔つきでゆっくりと渡辺へ近づいて来る。

 「く、クバード……」

 考えている事が見透かされているのではと思わせるような鋭い目。

 ある程度、戦闘を経験したものであればこの男の放つ殺気が只者ではない事に気づくであろう。

 「マラード、貴様が何を企もうと知った事ではないが、カノンを巻き込むのはやめろ」

 「巻き込むだと?」

 「ボスっ!違うのよ!これは私が……」 カノンがとっさに間に割り込む。

 「オレの組織に手を出すと、どう言う事になるか忘れた訳では無いだろうな?」

 クバードと渡辺の目からまるで光線でも出ているかのようで、お互い目をそらさない。

 「面倒見の悪いお前の組織に何の恐怖も感じはしないが?」 渡辺が言う。

 クバードは腕組をしていて、武器を手にしている訳ではないが

 まったく隙が無い。

 武器は腰と背中に装備した二本の長剣で、抜刀するにはそれなりの時間がかかるはずだが

 こちらから攻撃を仕掛けた瞬時にカウンターで仕留められるのでは無いかという脅威のオーラが出ている。

 一方、渡辺は見たところ丸腰で片足を引きずっている状態だ。

 どう見ても分が悪い。

 「組織の事をとやかく言われる筋合いは無い」 クバードは腕組をしたまま言う。

 「聞いたぞクバード。カノンの気持ちもまったく理解していないようだな?」

 「……」

 「モラとか言う少女に熱を上げているようで、組織の統制も取れていないらしいじゃないか?」

 クバードはカノンを睨み付けた。

 カノンは渡辺の背中に隠れる。

 「お前こそ何を企んでいる?クバードよ」 逆に聞き返す渡辺。

 「……」

 「故郷は崩壊し続けているらしいが、お前はそれを阻止するために動いているのか?」

 「お前に教える必要は無い」 真一文字の口と、まぶたを閉じるクバード。

 「どうだ、俺と組まないか?クバードよ」

 「笑わせるな」 片目を開きクバードは渡辺を睨み、ほくそ笑む。

 「俺にはマディーの書がある」

 「ま、マディーの書だと!?」 この時、クバードはめったに見せない驚き、焦りの表情を見せた。

 「なぜお前が所持している?」

 「おっと、そんな事はお前に教える必要は無いな」

 今度は、渡辺が余裕の笑みを浮かべる。

 やり取りは、どちらも一歩足りと譲らないと言った状況である。

 「そうか……どうりで、お前が知りえない情報を知っている訳だ」

 「どうだ?クバード、俺とおま…」

 「カノン、国へ帰れ。いいな」 渡辺の話の途中にもかかわらず、カノンに釘を刺す一言を言い残すと

 「おい、聞いてるのか?クバード」

 クバードは何か思い出したかのようにその場を後にした。

 「ちい、逃がしたか……」

 「ふう……」 カノンは胸をなでおろした。

 「何を急にあわてているんだ?クバードは」

 「さあ……」

 この緊迫した状況で戦闘にならなかった事がカノンには奇跡としか思えなかった。

 「まあ、いいか」

 「……」

 渡辺を見つめるカノン。

 こちらの世界に着いて以来、カノンが頼れるのはこの渡辺しかいなかった。

 片足を引きずり、武器も持たずしてクバードを撃退した渡辺に対するカノンの信頼はまた高まった。

 「マラード……」

 「どうした?」

 「いや、なんでもないわ……」




つづく

 



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