Shangri-La
第24話
感情
2009/04/24 UP




  唇がかさかさに渇き、虚ろな目をしたモラを何とか自宅まで運び込む龍児。

 「まあ龍児っ!どうしたのその子?」 母は驚き戸惑いながら龍児に尋ねた。

 「こっ、この子はクラスメイトで、きゅっ、急に倒れて……」

 とっさに話をでっち上げる龍児。
  
 「そうなの、龍児お兄ちゃんが助けたの」

 千恵(チェルビラ)も話をあわせる。

 「そっ、それは大変だわ」

 「お布団敷いてくれる?母さん」

 「わかったわ、氷水とタオルも用意するわね」

 一瞬で家の中がごった返す緊急事態に豹変した。

 母が布団を敷いてくれたのでモラを横にして熱を測る龍児。

 苦しそうな表情で顔色も良くないモラ。

 「龍児……」

 「まだ起きちゃだめだ」

 龍児は床から出ようとするモラを止める。

 「そうだ、熱さましの薬があったはず」

 龍児は急いで台所へ向かった。

 震える体に活をいれる様に、モラは全身の力を振り絞って立ち上がる。

 「モラ!何をする気?」 チェルビラが問いかける。

 「行かなくちゃ……」

 「行くってどこへ?」

 「ボスのところ」

 「そんな体で出て行ったら」

 「ボスなら薬を持ってる」

 モラは窓を開ける。

 「そんな事をしたら」 チェルビラの声色が変わる。

 横目でチェルビラを見るモラ。

 「龍児がまた心配するじゃないっ!」

 一瞬、空気が固まったような沈黙状態になった。

 何も考えず、ただ行動に移すモラと他人のことを気にかけて感情的になるチェルビラ。

 二人は今、自分のことをもう一度考え直した。

 考える余裕が無かったとは言え龍児の気持ちを理解できなかったモラ。

 感情的になり自分が思いがけない言葉を発し、その意味を考えるチェルビラ。

 「それでも行くつもりなの?」 チェルビラは厳しいまなざしで見つめる。

 「この病気はボスの薬じゃないと治らない」

 「また敵が来たらどうするのよ」

 「……」 しばらく考え込んだモラは指輪からネノを召還した。

 指輪をさすりながら、モラが魔法の言葉を口にすると

 指輪より煙が立ち上がる。

 やがて煙は人型になり、一体の少女が現れる。

 ゴーレムと言う魔法で動くガーディアンだ。

 「ネノ、龍児を守って」

 ネノは辺りを見回して状況を把握している。

 「了解」 必要最低限の言葉で答えるネノ。

 「すぐもどるわ……」

 そう言い残すとモラは出て行った。

 チェルビラは去り行くモラの背中をじっと見つめて

 「そうじゃなくて……龍児に頼りなさいって言ってるのよ……」

 つぶやいた。

 龍児が薬を持って戻ってきた。

 「モラ、これを飲めば少しは楽になるよ」

 布団をめくるとそこにはネノが居た。

 「えっ?」

 「龍児、あの、その」 チェルビラがあわてる。

 冗談的に事を運ぼうとしたチェルビラであったが、それが逆にあだとなり

 「モラは?どこへ行ったんだ?」

 龍児を怒らせてしまった。

 「薬を取りに行ったのよ」

 「どうして?!」

 怒りを抑えるのに必死な龍児。

 「あの病気はこの世界の薬では治らない事を知っていたのよ」

 「そ、そんな……」 薬を落とす龍児。

 「りゅ、龍児……」

 「モラは何も僕に言わずに出て行ったのか?」

 龍児はまたしても、何も出来ない自分が悔しくなり涙を流した。

 「僕は……」

 こぶしを硬く握り締める龍児。

 「龍児……」

 それを見て胸が苦しくなるチェルビラ。


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  鉄塔の柱に腰掛けたフレイラは街の明かりをぼやん眺めている。

 命綱なしでこの高さまで登ること自体、尋常ではない。

 電力会社の作業員でも肝を冷やすであろう。

 「あの銀狼も少年が聖戦士と気づいているのか?」

 遠くを見るフレイラの瞳に街明かりが映りこみ、とても綺麗である。

 「フレイラ!」

 「フレイラよ!」

 「呼んでるぜ」 空中に浮遊する水晶柱がフレイラに話しかける。

 呼んでいるのは鉄塔の下の方からで、おそらくハールギンだろう。

 「あ、登ってきてるぜ」 クリスタルはいやそうに言う。

 「フレイラ、貴方チェルビラの剣の在り処を知っているらしいわね」

 鉄柱を必死で登るハールギンの台詞は所々聞き取れなかった。

 「何故早く教えてくれなかったのよ」

 「あの時、貴様が聞こうとしなかっただけだろう」 フレイラは目もあわせない。

 「まあいいわ、聞かせてもらいましょうか?その剣の在り処を」

 息切れしながらハールギンは言う。

 「貴様に語る話など無い」

 「何ですって?私が聞くと言っているのよ!」

 「それがものをたずねる態度か?」 フレイラは冷めたい顔つきで言う。

 「マトロン候補の私に失礼じゃなくて!」 ハールギンは耳を真っ赤にして言う。

 「マトロンだと?今ここでは、その様な地位は関係ない。そういう事は地元の教会でやってくれ」

 「きょっ!教会に対する侮辱よ!フレイラ!」

 「待ってください」 ドュナロイが空中浮遊しながら、慌てて止めに入る。

 「こんな侮辱は無いわ!」

 「ハールギン、君はもう少し感情をコントロールしたほうがいい」

 ドュナロイが真面目な表情で言う。

 「こんな侮辱を……くっ!」 ぐっとこらえるハールギン。

 「仲間割れをしている場合ではありませんよ。こちらの世界ではこの三人しか仲間が居ないのだから」

 「そうだけど……」

 「ここはお互い冷静になり、剣の在り処とあの狼についての対策を練らねばなりません」
 
 空中浮遊から鉄塔の柱に飛び降りながらドュナロイは話を進める。

 「あの、あの狼……」 ハールギンの怒りの矛先は狼に向けられた。

 「あの狼だけは許せないわ!神の裁きを受けるべきよ!」

 「ハールギン、冷静に」 だんだんドュナロイの視線が冷たくなってゆく。

 「あの銀狼は接近戦においてはとても勝ち目が無い」 フレイラが話し始めた。

 「弱気なものね?」 ハールギンはフレイラの話し方が気に入らない。

 「おそらくこの三人でも倒す事は難しいだろう」

 「そうなんですか?」 ドュナロイも少しばかり立腹し奥歯をかみ締めた。

 「あの狼は何者なの?」

 「ライカンスローピーだ」

 「ら、ライカンスローピー?」 

 「知ってますとも、狼男ですね?倒せない事は無いでしょう」 ドュナロイは拳を振り上げた。

 「ただのライカンスローピーではない」

 「大丈夫ですよこのドュナロイに良い策があります」

 「……」 フレイラはドュナロイの勢いに、これ以上語る事をやめた。

 「狼男はずば抜けた嗅覚を持っています。それを逆手に取るんですよ」

 「そう、優れた嗅覚を持っている。香水は命取りだ」 フレイラはハールギンをにらみ付けた。

 「な、何よ」

 「確かに、ハールギンは宗教的に香水をつけていますからね」

 「マトロン候補としてのたしなみよ」

 「わざわざ自分の居場所を教えているようなものだ」 フレイラは鼻であしらう。

 「私は逃げも隠れもしないのよ」

 「しかし今度の作戦はその香水の匂いを利用するんですよ」

 「な、何よ。私をおとりに使う気?」

 「優れた嗅覚があだとなる作戦です」

 「まあ、やってみればいい」 フレイラは立ち上がり日本刀を握り締めた。

 「では次にチェルビラの剣の在り処をお教え願いましょうか?」

 ドュナロイの目つきは、いっそう厳しいものになりフレイラの次の言葉に注目した。

 あごをコクリと下げ、一瞬沈黙するフレイラは徐々に話を始める。

 「私も最初は驚いた……」

 ハールギンとドュナロイは興味心身でフレイラの話に集中する。

 「チェルビラの剣は……」


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  モラが去った部屋には寂しさだけが漂っていた。

 モラから預かった子猫が、まるで場の空気を察したかのごとく音も立てずに出て行った。

 寂しさは倍増した。

 が、ずいぶん涙を流した龍児も少しは落ち着きを取り戻したようで、これからの事を考えていた。

 何も出来ない自分だが、何か出来る事があるだろうと

 次の行動に移すために、ネノから情報を入手する事にした龍児は

 「ネノさ……、さんは要らないんだっけ?」

 「……」 回答の無いネノ。

 「モラはどこへ行ったんだ?」 龍児はネノに尋ねた。

 「答えられない」 無表情でネノは言う。

 「ど、どうして?モラを助けなきゃ、どこかで倒れてるよきっと」

 「……」

 「僕たちは仲間じゃないか?」

 「……」

 「ほら、ネノがこの前、僕をかばってくれたように」

 「……かばう?……」

 「今度は僕が君たちを助けなきゃ」

 「その様な履歴はない」 ネノは冷たい口調で言う。

 「え?履歴?」

 「龍児……」 二人のやり取りに、ため息を付くチェルビラ。

 「どうして?君はそんな事を言うんだ?この前、僕を助けて怪我をしたじゃないか」

 「回答のしかたを変更する、記憶にない」

 「え?憶えていないのか?」

 「正確には前回の記憶は消去されている」

 「な、なんだって」

 「バックアップへのアクセスはマスターの認識コードが必要」

 「どういう事なんだ?」

 「前回、龍児との間でどのような事があったかは現在の私には関係ない」

 話し方にも感情は無く、ただおもむろに話すネノ。

 「龍児、ネノは今までの貴方との記憶を保存するように設定されていなかったのよ」

 見るにみかねたチェルビラは龍児に説明した。

 「意味わかんないよ」 体中が熱くなる龍児。

 「それが……ゴーレムなのよ」

 「だって、見た目は可愛い女の子で……ほら」

 龍児は曇りの無いネノの瞳を見ながら言う。

 確かにネノは可愛い。

 その顔立ちは凛としている。

 がしかし、表情はまったく無い。

 部屋の外で毛づくろいをする子猫も表情がない。

 「この前、僕をかばって怪我をして、その傷口を僕がシャツで止血して……」

 必死に状況を説明する龍児。

 「あの時、ありがとうって、可愛く、優しく言ったじゃないか?」

 「だから、記憶は保存されていないのよ」 チェルビラがつらそうに、悲しげに言う。

 「そんな、それじゃあ存在していなかったのと同じじゃないか?」

 少しはネノの事を理解したつもりだった龍児にとって

 ネノとの共通な思い出が残っていないと言う事に強烈なショックを受けた。

 それは、まるで心臓を鷲掴みにされた様に苦しかった。

 「ゴーレムだから?」 苦しみは怒りへ変わり

 「何だよそれ?僕を馬鹿にしているのか?」

 「今のネノはただ単に龍児を守るように命令されているだけ」

 「……」 ネノは無表情である。

 「そ、そんな……少なくとも僕は…ありがとうと言ったネノに……」

 「龍児……」 またひとつ、龍児の優しい心に傷が付いたとチェルビラも心が痛んだ。

 龍児は横目でネノをにらみつけて

 「ご、ゴーレムってこんな状況でも冷静でいられるんだな?」

 「感情と言うものが無いのよ」 チェルビラは言う。

 「感情が?……」

 「か、感情が無いゴーレムなんかに守ってもらいたくないっ!」

 「……」

 前回のネノとの思い出は戦闘時から生まれた友情のようなものであった。

 それが消えていたとは、龍児は思いを晴らすすべが無い。

 「僕は……自分の感情すら満足にコントロールできないよっ!」

 「生きてるんだ!仕方ないだろ!何なんだゴーレムって!」

 とうとう龍児は抑えきれなくなったその感情を爆発させ

 泣き崩れながら龍児は言葉の暴力をネノに振るった。

 「ふざけるな……感情も記憶も無いなんて……感情が無くて誰かを守れるものかっ!」

 「龍児……」 なみだ目のチェルビラ。

 「感情がないわけじゃ無い……」 ネノがつぶやいた。

 「ぇ?……」

 「感情はデータとなって残るから……」
 
 顔の表情ひとつ変化しないネノ、がしかし龍児にはネノの瞳が潤んでいるように見えた。

 「感情がないんじゃない……」 ネノはまたつぶやいた。

 今度は唇が震えているように見えた。
 
 「ね…ネノ……」

 おそらく錯覚であろう。

 言い過ぎたという気持ちが錯覚を呼び起こし、ネノが悲しい顔をしているように見えたのだろう。
 
 「……」 ネノを見つめる龍児の瞳が小刻みに揺れる。

 抑えきれなくなった怒りの感情を全てとき放った後に残る空しさと悲しさ。

 今度はそれが抑えきれなくなる龍児。

 「ごっ、ごめんよおぉ!……」

 龍児はネノの胸に顔をうずめて泣きながら謝った。

 「……」 ネノは不動かつ無表情である。

 「僕が、僕がもう少し強かったら……」

 龍児の心の中で悔しさと悲しさが相まみえる。

 ネノは龍児の頭を優しく抱きしめ 「理解不能……」 とだけつぶやいた。

 「ぐすん……」 もらい泣きの涙をぬぐうチェルビラ。

 「怒りの感情と悲しみの感情は同時に進行するの?」 

 ネノにとっての感情とは、ただのデータにすぎないが、人の喜怒哀楽というものを優先的に分析する様である。

 簡単に言うと、自分には無い『感情』と言うものに非常に興味があり、会得したいと思っていると言う事である。

 少しでも人間らしくなりたいと言う事なのだろうか?

 「泣いたり、怒ったり……忙しい……」

 「にゃーー」

 子猫がネノの足元にすり寄って来た。

 「子猫……」 ネノは子猫を認識したが、モラが龍児に預けた子猫と言う記憶は残されてはいないのだろうか?。

 「にゅあーー」 この子猫もきっと、以前にネノに相手をしてもらったのだろう。

 しきりにネノの足元で甘える。

 が、しかし、ネノは相手にもしない。

 やはり、記憶のデータは残っていなかったのだ。
 
 悲しみが部屋に充満している。

 龍児は子猫を見て初めてモラに出会った日のことを思い出していた。

 どう見たって暗殺者には見えなかった。

 優しく、愛しい少女だった。

 そのモラの危機に何もしてやれないからと言ってすねている自分にジレンマを感じている。

 「駄目だ」

 龍児は涙をふいた。そして拳に力を入れた。

 「いつまでも、こんなんじゃ駄目だ」

 立ち上がる龍児。

 「見つからなくてもいい。僕はモラを探しに行く」

 「今動いたら危険よ」 チェルビラが止める。

 「いや、行くんだ」 頑な決意は揺るがない。

 「ここも危険」 ネノもつぶやいた。

 「何も出来ないからと言って、あきらめちゃ駄目なんだ」

 「出来る事をしなくちゃ」

 龍児はチェルビラからモラが出て行った状況を聞き

 モラの後を追う事を決意した。

 

 つづく

 


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