Shangri-La
第8話
命の重さ
2008/03/23 UP



 「あ、ありえない……」 龍児は目の前が真っ暗になった。

 常識を超える出来事が続く中、龍児の生活、いや人生の方向性が捻じ曲げられてゆく。

 百歩譲ったとして、剣がしゃべっても別にいいじゃないか?

 殺人鬼?凶悪犯?変質者?

 そう言った類(たぐい)の一人や二人、そりゃいるだろう。

 実際に犯罪は起きている事だ。

 でも、でも……

 モラが人を殺すなんて

 「あってはいけない事なんだ……」

 龍児がモラに描いていた想像図はこんなものではない。

 想い描いていたものと現実とのギャップがあまりにも違い過ぎていた。

 あまりの驚きに冷静で居られなくなった龍児は真相を知りたくなった。

 「雨宮 萌良さん……。これはどう言う事なんだ?」 今までに見た事も無い龍児の形相。

 「え?」しかし、モラはキョトンとしている。

 「人を殺した後に、なんで平気でいられるんだ!」 拳に力が入る龍児。

 「殺しちゃ……」

 「殺しちゃだめだった?」

 「えっ?いや、だめって?人の命だよ!」 

 「だって、わたし……」 しょげるモラ。

 龍児は今までずっと、モラの事がもっと知りたかった。がしかし

 このような形でモラの知らなかった部分を知っていくとは思っても見なかった。

 龍児は驚きから悲しみに変わっていく自分の感情を何とかコントロールしようと必死だった。

 しかし、いとも簡単に命を奪ったその行為が許す事が出来ないのだ。

 「いったい何人殺したんだ!」

 これ以上、こんな事は知りたくないんだと、龍児は心でつぶやきながらモラを質問攻めにする。

 「モラだって……」

 「どうなんだ!雨宮 萌良さん!」

 そうじゃないんだ。こんなはずじゃないんだ。

 君は何歳なの?どこの出身?好きな食べ物は?ねこ好きだよね? 

 龍児の心の中ではいくつかの、ごく普通の質問がしたかったはず。

 「どうしてこんな……」

 矛盾している自分に張り裂けそうな心。今の龍児にはもう限界であった。

 「モラだって好きで殺してるんじゃ……」

 何も始まる事も無く龍児とモラの二人のシナリオは終わりをむかえていた。

 「ちょっと待った」 足を引きずりながら、渡辺が割って入って来た。

 「モラさんと言ったね?」 渡辺はニコリと笑い軽く会釈した。

 渡辺は絶妙なタイミングで二人をブレイクした。これほど空気の読める男はなかなか居ない。

 「龍児君、もし彼女が助けてくれなかったら、逆に俺たちがやられていた」

 「おれたちが?」 渡辺の言葉に龍児が反応した。

 「あの大男は本気で俺たちを狙っていた。いや、その剣を狙っていたと思うんだ」

 「この剣を?」 地面に突き立った剣に近寄る龍児。渡辺は龍児のやるせない感情を剣に向けさせた。

 「巨漢は……?」 龍児が巨漢の死体を見ると、泡に成り溶けているではないか。

 「これは、一体……」 龍児ばかりではない。渡辺もこれには驚いた。

 「イシュリッドにコントロールされた者は死んだ後、泡になって消えてしまうの」

 モラは悲しげな顔付きで言った。

 「イシュリッド?」 目を細める渡辺。

 「そんな……遺体を家族に引き渡す事も出来ないのか」 龍児はそんな心配をしていた。 

 「証拠隠滅か」 渡辺は理解した。

 「死して屍、拾う骨なしだがや」 思わず口にして、しまったという表情のヤーン。

 「だいたい解ってきたよ、萌良さん、龍児君」 渡辺は真ん中に躍り出て話し始めた。

 「やはり、この美しい剣だ。これだけ美しければかなりの値打物だろう」

 突き立った剣は七色の光を放っている。

 「そして、ある組織がこの剣を狙っている。それがあの大男だ」

 「俺たちは、まきぞいを食ったんだと思う」

 「渡辺さんはこの剣をどこで手に入れたんですか?」 龍児は問う。

 「偶然、質屋で手に入れたんだ。一目ぼれだったよ」

 巨漢とこの剣はそんな所だとしておこう。だが、モラはどうからんで来るのか?

 「じゃあ、雨宮さんは?何者なんだ!?」

 「やっぱりその流れになるんだがや」 ヤーンはぼやいた。

 「萌良さん、君は暗殺者だね?」 渡辺は真剣な眼差しで言った。

 「この男、何者だ?理解力有り過ぎだがや」 ヤーンの剣もこの発言には驚いた。

 「ごめん、モラのミス」 

 暗殺者と言うものは現場を見られたら、見たものを始末しなければならない。

 この場合、モラは龍児を抹殺しなければならないと言うわけだ。

 そうでなければ、巨漢を殺す行為自体を延期するべきであった。

 「ミス?」

 「この事はもう忘れて」

 「忘れろって?」 

 「見られちゃだめなの」 モラは後ろで手を組み、背を向けた。

 「でも、知らない人じゃなかったからつい……」 横顔で言うモラ。

 「たまにはあるわな。つい油断してまったんだがや」 ヤーンはそっと慰めの言葉をかける。

 こう言ったモラの軽い行動が暗殺者に向いていない所だとヤーンは思っている。

 がしかし、人間性を失っていない所はモラの魅力であるともヤーンは感じていた。

 そしてそれが、師匠である『あの男』の影響だと言う事もヤーンは知っていた。

 「本当にごめんなさい!」
 
 そう言い残すとモラは走り出した。

 「まってモラ!」 龍児は思わず声に出すが、モラはどんどん遠ざかって行く。
 
 こんなんじゃない。こんな形で終わるなんてと龍児は何度も心の中でリピートした。

 モラの走り去った後を一陣の風が後をつけるように吹き抜けた。

 「モラ……」 風は龍児の頬にも優しく、そして悲しく伝わった。

 その風が、今までのモラとの思い出を全て持って行ってしまった様に感じさせたのである。

 告白もしていないのに、失恋した……。

 「こんなはずじゃ……」 龍児は言葉にならない呟きを何度も繰り返す。

 そして、モラの姿が見えなくなった。

 「しかし今時、刃物で暗殺するという事は考えられないが……、まあ、居ないわけでもないが……」 

 渡辺は声をかけるが、龍児には聞こえていなかった。

 
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  「どうした?泣いてりゃあすのか?」 ヤーンの踊る剣が心配そうに聞く。

 「龍児は、ねこを預かってくれた、やさしい人」

 「モラは人は殺すけど、かわいい動物は殺さないよ」

 人間とは環境に適する能力があってこそ、今日生存している。

 ここへ来て世界観、価値観の異なる二人が真向からぶつかり合った結果なのだ。

 平和な時代に生まれた龍児にとっては人の命の尊さが重要視される。

 人の命ばかりではない。小動物ですら、人の命と同様の価値を持つこの世の中。

 ペットも家族。

 だが、モラの生まれた世界ではどうやら、そうでは無いようだ。

 おそらくは、自分の命を守るため、自分の家族を守るためには他人の命が犠牲になるという事は

 当たり前なのだろう。

 「なぜだか分からないけど、涙が止まらないの……どうして?」 目蓋をこすりながらヤーンに尋ねるモラ。

 「そのやさしい龍児に否定されてまったから、モラの心は傷ついたんだて」 ヤーンは答えた。

 「ボスが言ってた。心に傷を持たないアサシンはいないって」

 「おみゃあさん、アサシンには、むいてにゃあわ」 泣き虫なモラには確かに向いていないのかもしれない。

 いつの世も、向いていない仕事に就いている者が大半ではないだろうか?

 「でもまあ、そお言いやあすな。モラは一生懸命やっとるて」

 それを知っているヤーンの踊る剣は、今だけは特別優しい言葉をかける事にした。


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  「この剣は龍児君が持っていてくれないか?」 渡辺は言う。

 「え?そんな」

 「ほら、俺が持つとやばいからさ」 

 「でも……」

 「足、もう片方しかないからさ」 苦虫をかんだような表情で笑う渡辺。

 「解りました」 龍児は仕方なく剣を預かる事にした。

 「じゃあ、何かあったら、この名刺の所に連絡して」

 「はい」

 どうやら眠れそうに無い日が続きそうだ。

 

  渡辺と別れて、帰る途中、携帯の着信音が鳴った。

 龍児はメールを確認する。

 《ちゃんと告ったか?プチドラさん》

 龍児は溢れる悲しさと悔しさをこらえながら返信した。



つづく



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