Shangri-La
第7話
チェルビラ
2008/03/16 UP


 「あっ」 ちょっぴり寂しげなモラは西の夕焼けのほうに反応した。

 「現れたようだな。モラ、気を取り直しゃーてこと」 ヤーンの踊る剣は言う。

 「そうだね……」 モラの顔付きが徐々に厳しくなっていく。

 そして、いつもの戦闘前のモラに戻った。

 足取りは軽く、風に乗ったように滑らかである。

 モラの行動の全ては柔らかく、そよ風のようであるが

 一旦本気モードになると激しい突風のように変わる。

 どちらにせよ、風である事には変わりない。

 後に『つむじ風』と言う伝説を残したほどである。

 また、モラは普通の人間にはない特別な能力を持っていて、ターゲットの気配を感じ取る事が出来る。

 そのため、ほとんどの戦闘でイニシアティブ(主導権)をとる事が出来る。

 これが、モラの最大の武器と言っても過言ではない。

 その身軽さで、素早くターゲットに気づかれる事なく接近してアサシネイト(暗殺)する。

 この一撃で倒れる強者も少なくない。と言うのは、人間は衝撃に備えて全身の筋肉を硬直させて

 内臓などを物理的ダメージから守る。例えば、腹筋に力を入れると、お腹を殴られても痛くない。

 その逆に力を入れていなかったら、内臓が破裂する可能性も決して低くはない。

 モラの不意打ちは普段のダメージの数倍の威力になっている事だろう。

 かなり戦闘能力の高い相手でも、この不意打ちから始まる戦いでは

 形勢を逆転して勝ちを収めることは非常に難しい。

 故に、アサシン(暗殺者)は脅威と言われるのだ。


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  黒いスーツの男は身長が180cmを超える巨漢であった。

 顔にはアイスホッケーのキーパーの着用する仮面(マスク)をしている。

 そして懐から電動スライサーを出した。

 「落ち着け、まずは動けないようにしてやるから、安心しろ」 

 独り言のように巨漢は言うが、龍児や渡辺とは会話が成立しそうな言葉ではない。

 「どういう事なんだ?」 龍児には意味が解からない。

 チェン・ソーのように両手で持つ電動スライサーに電源が入る。

 電動芝刈り機のような音を立て鋭い刃が小刻みに震える。

 「喜べ。ハムのように薄切りにしてやる」 何を喜ぶのか?

 自閉的な巨漢の台詞に龍児は困惑している。

 がしかし、渡辺はこの男にただならぬ殺意を感じた。

 「こいつは本気だぜ」

 「ええっ!」 龍児は今の状況が、まったく飲み込めないままでいる。

 「ただの変質者ではないようだな。何者だ?」 渡辺は問いかけるが、スーツの巨漢は返答しない。

 渡辺は素早く今の状況を飲み込んでいる。

 スーツの巨漢の発言、凶器、行動からして無事では済みそうにない。
 
 かと言って、渡辺には逃げ伸びるだけの足がない。

 「龍児君、あの剣はあるかい?」

 「いえ、剣はどこかへ飛んで行きました」

 「そっか……」 渡辺は剣があればと思ったが、その希望は絶望へと変わった。

 スーツの巨漢はスライサーを振り回しながら突進してきた。

 電動スライサーは肌に触れるだけで、簡単に肉を切り裂くであろう。

 しかも、TVショッピングで売られているような奴ではなく業務用のでかい奴だ。

 女性では持てない位のサイズで、おそらくは牛や豚の肉を切り分けるときに使用するものであろう。

 巨漢の攻撃を渡辺はステッキで必死に応戦している。

 スライサーを持っている腕をステッキで受け流し、うまく攻撃できないように邪魔をしている。

 しかし、いつまでも受け流しているわけには行かない。

 覚悟を決めた渡辺は懐にもぐりこみ

 「せいやっ!!」 掛け声とともに黒いスーツの巨漢に左の拳を叩き込んだ。

 「あぐっ!!」

 見事な一撃が綺麗に巨漢のアゴにクリンヒットし、汗が飛び散り男はひっくり返った。

 この拳を見た龍児は渡辺が、ただ優しいだけの男ではないと思った。

 余裕の笑みを浮かべる渡辺。

 だが、片足のハンディーは大きかった。

 足が自由に使えれば、おそらく互角に、あるいは男に勝つ事が出来たかもしれない。

 「ハムのわりには、いい拳を持ってるじゃねえか? 効いたぜ」 巨漢は殴られたのに嬉しそうに笑うが

 仮面(マスク)を着けているので表情まではよく判らない。

 「そりゃあ、ありがとよ」 渡辺と巨漢の会話が成立した瞬間である。

 「だが、ハムは薄切りに限るって、お客様の要望でね」 言葉の最後にスライサーをぶん回す。

 渡辺はスライサーの一撃をくらってしまい、肩が切り裂かれた。

 肉片は飛び散ったが出血はまだのようだ。いや、今、出血、いやこれは流血だ。

 見る見るうちにワイシャツの左肩を真っ赤に染めた。

 「どうした?チョットかすめただけだ。薄切りではなく厚切りになっちまったぜ」

 龍児は人が本当に殺されると、あの男は殺人鬼であると、この時点になってやっと理解した。

 今から警察に連絡しても、渡辺はおそらく殺害されるであろう。

 時間がない。

 かと言って龍児本人の力ではこの巨漢に太刀打ち出来るはずもない。

 「ハムはしっかり固定してからスライスしないとな。超薄切りには出来ない」

 「超薄切りって……遠慮しとくぜ」 渡辺は苦笑いを浮かべつつ言う。

 しかし、その余裕じみた顔付きも一変した。

 巨漢はでかい図体を生かして体当たりをして渡辺を地面に押し倒した。

 スーツの巨漢はその勢いで渡辺に馬乗りになり、スライサーを頭上高く振り上げた。

 「準備は出来た。これで超薄切りに確実に出来る、感謝しろ」

 マウンテンスタイル(馬乗り)からのスライサー攻撃、絶体絶命のピンチ。

 「あうっ!!」 何故かスーツの巨漢は突然悲鳴を上げた。

 よく見ると、石ころが飛んで来ているではないか?

 いったい誰がと、振り返るとそこに黒いドレスの幼い女の子が立っていた。

 「なんだ投石器からの遠距離攻撃かと思ったら、小娘の仕業か?」

 「だが、いい腕をしている。後頭部に当ててくるとは。思わず声が出てしまったぞ」

 いたずら心に火が付いた巨漢はターゲットをその女の子に絞った。

 「しかし小娘。おまえも仲間に入れて欲しいのか?」

 その女の子から見れば巨人に見えるほどスーツの男はでかい。

 「仲間に入れて欲しい時は、何て言うんだい?」 近寄る巨漢、女の子は立ちすくんでいる。

 「幼稚園のお遊戯と同じだ」

 マスクの口元から蒸気の様な吐息がゼイゼイと漏れる。はっきり言って怖い。

 女の子の子猫の様につり上がった瞳が閉じられた。

 「あぶないっ!」

 もう行動に移すしかなかった龍児は後ろから巨漢に体当たりした。

 「もうやめろぉー!」 出し切れる最大の力を振り絞った。

 しかし、倒れたのは龍児のほうであった。

 大木にぶつかったかのようで、巨漢のほうはビクともしない。

 ゆっくり振り向く巨漢。

 「落ち着け、お前は後でゆっくりスライスしてやるから、安心しろ」

 だめだ、非力な者には正義を貫く事すら出来ないのかと龍児はこの時、思い知った。

 女の子は押し倒されて、スライサーの餌食になっていく。

 「やめてくれー!」 龍児は涙で視界が遮られて良く見えなかった……が

 巨漢の背中を駆け上がるセーラ服の少女を、わずかに確認できた。

 「なにっ!オレを踏み台に……」 巨漢はびっくりして声をあげた。

 次の瞬間、モラのショートソードが巨漢の延髄に切込みを入れる。

 「も、モラ?」 龍児は目を疑った。

 「げふっ!」

 悠長(ゆうちょう)にだべっていた巨漢は延髄を斬られて

 それ所ではなくなり、その場にうずくまってしまった。

 あれだけの巨漢がたった一撃で、いとも簡単にやられてしまった。

 これが、アサシネイトである。

 気づかれる事なく、一撃で急所をつらぬく。

 巨漢の体は痙攣(けいれん)が始まった。

 体全体の細胞組織が必死で生きようとしてるが、息の根が止まるのはもう時間の問題である。

 「ああっ!」 龍児の声は震えていた。

 龍児にとっては華麗に決めたアサシネイトはどうでも良かった。

 前回会ったモラからは、まったく考えられないこの行動に龍児の思考回路は停止寸前である。

 平凡な学園生活が急遽、音を立てて崩れていく様だった。

 しゃべる剣、足を引きずる男、仮面の大男、そしてあのかわいいセーラー服の少女。

 だが、龍児にとってはこのピンチを救ってくれた事よりも

 愛しいとさえ思ったセーラー服の少女が人を簡単に殺している状況にショックを受けたのだ。

 「あ、ありえない……」 龍児は目の前が真っ暗になった。

 

  「モラっ!イシュリッドが逃げるぞ!」 ヤーンの踊る剣があせりながら叫んだ。

 自体はまだ終わってはいなかった。

 「わかってるっ!」 モラもこの瞬間だけはあせる様子だ。

 切込みを入れた延髄からヒルの様な軟体動物がくねくねと姿を現した。

 『イシュリッド』である。

 そいつに止めを刺すモラ。

 「あれ!こいつ!刃が通らないわ!」

 「わしに任せろ!」 ヤーンの踊る剣が素早くそのイシュリッドに突っ込んだ。

 しかし、刃先はイシュリッドを貫通できない。

 「モラ、こいつはグレーターイシュリッドだがや!」

 「5回脱皮してる奴?」 モラは目蓋をパチクリさせて、ヤーンの踊る剣に聞く。

 「ネノに破壊させろ!モラ」 

 「だめっ!間に合わないわ!」

 「逃げられると厄介だで、だちかんっ!」

 暗闇に姿を消そうとする、そのイシュリッドと呼ばれる軟体生物。

 「ここまで来て逃がすなんて!」 悔しさが込上げるモラ。

 すると、その時、天空より一本の剣が鋭いスピンを利かせながら

 軟体動物を串刺しにし、地面に突き立った。

 「あの剣はっ!」 モラ、渡辺、ヤーンの三人はハモッた。

 龍児も虚ろな目ではあるが、剣を確認した。

 誰の仕業なのか、見事な一撃である。

 しかしもっと見事なのはその剣自体であった。

 その剣とは、この世のものとは思えない美しさの例の剣であった。

 「ちっ、チェルビラっ!?」 ヤーンの踊る剣は驚いて叫んだ。

 あのカバンから逃げ出した、この世のものとは思えない美しさの、七色の光に包まれた

 しゃべる剣は ”チェルビラ” という名前であった。

 その剣が今、目の前のピンチを打破したのだ。

 渡辺とモラは飛んできた方角を見るが、辺りには誰もいない。

 誰が投げたのか?

 もうろうとした意識の中、龍児には解っていた。

 誰かが投げたのではなく、あの剣は自分の意思で飛んで来たのだと。

 「はっ、あの女の子が居なくなってる……」 龍児は辺りを探したが黒いドレスの女の子はいなかった。

 「大丈夫だろうか……無事に帰れただろうか……あの女の子……」

 自分のことですら心配できる状態ではないにもかかわらず、なぜかこの時

 龍児はあの幼い女の子のことを心配していた。



つづく



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