2005/3/21
NAF河口のインド旅行記  

第24章 IN AURANGABAD 3

アショカと出会ったのはアウランガーバード1日目の午後だった。


――政府観光局のオフィスでアジャンタツアーの予約をした後
我々は例の如く町をぶらぶらしていた。

大きな道路沿いを歩いていると1台のリクシャーが我々に接近。
リクシャーの中からうさんくさいチョビヒゲのインド人が顔を出す。

「ハー−−イ!!ジャパニ!!ドコイキマスカー?!!」

だいたいのリクシャワーラ−はこんな風に声を掛けてくる。
陽気な声だが、まったく感情がこもっていない。

こんな客引きには慣れ慣れだった我々はサラッと流した。

「あー、散歩だよ散歩。」

「OK、バーイ。」

去ってゆくリクシャーワーラー。

そしてまた我々はぶらぶら歩き出す。

5分くらい歩いていると、今度は道路をはさんで反対車線から声が。

「ハーー−−イ!!ジャパニ!!ドコイキマスカー?!!」

さっきのヤツだ。

「だから、散歩だって、散歩。」

「OK、バーイ。」

そしてまた5分後。

今度は止まりもせず、すれ違いざま

「ハー−−イ!!ジャパニー。ドコイキマスカーーーー?」


そろそろ、挨拶みたいになってきた。

「散歩だ、散歩!」

男は去っていくリクシャーから顔を出し、

「OK、バーーーイ。」


町を散々歩き回り、疲れた我々は
オープンカフェ(オープンカフェといっても売店の前にイスとテーブルを並べただけの店だが)に入り
コーラで一服。

一息ついてまた歩き出す。
そろそろ宿に戻るか。

そして宿に向かって歩いていると
道路の向こう側から聞き覚えのある声が。


「ハーー−−イ!!ジャパニ!!ドコイキマスカー?!!」

またお前かい!!

いい加減あきれてしまった。
こんなにも同じヤツに声をかけられたのは初めてだ。
連れのM上も
「あ"〜、もういいよ。めんどくせーからこいつのガッツに免じて付き合ってやろうぜ?!」


こうして我々はアショカと出会い、
その日は、一緒にビービ−・カ・マクバラーというタージ・マハルのショボイ版のような建物の見物をし、
あやしいシルク工場を回ったりして、
今日の「アショカのリクシャーで行くエローラツアー」の契約に至った。――


アショカのリクシャーがエローラに向かって走り出す。

が、すぐに町中で停車。
「ちょっと待っててくれ。もうひとり乗るんだ。いまから迎えに行って来る。日本人だ。女の子だ。良かったな、お前ら?」
みたいなことを言っている。

いや、聞いてないし。

うきうきしながらリクシャーを降り女の子を迎えに行くアショカ。
エローラまでの長い道のり、そんなに男3人で行くのはイヤか?


程なくサリーを着た日本人女性がアショカと一緒に登場。
我々より少し年上のこの女性、タイだかマレーシアで仕事をしていたのだが
日本に転勤になり
帰る前にいろんなアジアの国を回っているらしかった。


アショカは3人の日本人を乗せエローラへ。

エローラに着いた我々は各々思いのまま行動し
その壮大な石窟群を存分に楽しんだ。

充分満足したところでまたリクシャーに乗りアウランガーバードに戻る。
我々の宿の前でリクシャーを止め
最後にアショカが屋台で売っているパイナップルの輪切りをおごってくれた。

アショカの持っている皿から日本人女性が1切れ取り、
M上が1切れ取り、
俺も、と手をのばしたところでアショカの顔色が変わる。

「NO!!これは俺のだ!!お前らは2人で1切れだ!!ハンブンコしろ!!!」


そんなに怒んなくてもいいじゃん・・・。
アショカの目に光が宿った唯一の瞬間であった。


それからパイナップルを食べ終わると
満足したアショカは日本人女性を乗せ去っていった。

「OK。バーーーーイ!!!」



アウランガーバード3日目が終了。
さて、そろそろ次の町へ行くかね。

旅も後半、北インドへ。



――エローラについての追記
アジャンタに比べエローラは実に良かった。
遺跡内は順路も無く自由に歩き回れるし
唯ひとつの石窟を除き、34もの石窟内にも出入り自由だ。
我々が行った時は人も少なく
高地にあるせいか、日は照っているが涼しい。
石窟の上に登れば、広大な自然と地平線が見え
心地よい風が吹く。
石窟自体もジャイナ教寺院群、ヒンドゥ−教寺院群、仏教寺院群それぞれに荘厳な迫力を覚え、
それらが、はるか昔「人の手」により「岩を削って作られたもの」であることの「ありえなさ」を感じとることができる。
夢中で歩き回り、少し疲れたところで
ひとつだけある売店で飲む瓶入りのマンゴージュースも最高だ。
西インドへ行くならこのエローラをお奨めしたい。――




         つづく


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