ゆりまつり
三枝祭り


 
思い立って、午後の新幹線に飛び乗った。
 梅雨前線は活発で九州では300ミリの豪雨があり、梅雨明けにまだ1カ月ということだった。

 奈良市本子町、大神神社摂社・率川神社(いさかわじんじゃ)の三枝祭は、ゆりまつりといわれ、六月十六日の宵祭をはじめ、十七日・三枝祭、十八日・後宴祭とつづく。

 六月十六日の夜遅く、私は奈良に宿を取った。
 その宿の部屋のテーブルには、一枚の白いカードが置いてあり、心づくしの筆ペンで、この大和の最古の三枝祭について、つぎのように書かれてあった。
「三枝祭の名は白酒、黒酒の酒樽に本社三輪山でとれた笹百合の花(別名さいくさ)を飾ってお祭りするもので、お供えの百合の花は、疫病除けとして参列者に配られる・・・・」

 三枝の名は笹百合の古名、佐韋(さい)から転じたとされているものらしい。
 翌朝、奈良は晴れていた。九時、卒川神社に行くと、境内を入った左手入り口で、私は百合絵馬を買った。祭りまでまだ1時間半もあるが、もう境内は多くの人々で賑わっている。三社殿に向かって右殿が玉櫛姫命(たまくしのひめのみこと)で御母神、中殿が媛蹈・五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)で御子神、左殿が狭井大神(さいおおかみ)で御父神。つまり、娘神を中殿に左右から父神母神が守るようにまつられている。それぞれの社殿の正面には、吊り鏡が鈍い光を放っている。

 日本書記でいえば、父は事代主神、母は玉櫛媛、娘は・蹈・五十鈴媛命。古事記では父は大物主神、母は勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)、娘は百合の花のように美しい比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)。
清らかな狭井川のほとり、あたりには山百合が繚乱と咲き乱れ、野道を行く乙女は、

・かつかづも、いや先立てる 兄をし瑤(ま)かむ

 とやがて、神武天皇の皇后になるのである。  
 時間がきて、社殿への玉砂利を踏む宮司の恭しい祝詞う奉上があり、雅楽のしらべが厳かに奏でられてゆく。
 折櫃に納める柏の葉を編んでつくった蓋をし、黒木の御棚に乗せたお供えは古式による特殊神饌で、琵琶、大根、牛蒡、栗、和布、鮑、かます、鰹節、鯉。それに、飯と餅である。
 神前には黒酒(くろき)、白酒(しろき)を・と缶の器(酒樽)に盛り、その周辺は百合の花々で飾られている。
 
 三輪山の麓、狭井川のほとり。
 この日のために集められた5000本の笹百合を、元気よく保たせるのはなみたいていのことでな
い。水気を失って無惨に萎れかかっている花を除け、そこからさらに選び抜かれて供えられる。
 三輪山の麓、狭井川のほとり、この日のために集められた5000本の笹百合を、元気よく保たせるのはなみたいていのことでない。水気を失って無惨に萎れかかっている花を除け、そこからさらに選び抜かれて供えられる。

「最近は、この三輪山の笹百合が、年々、育たなくなっております」
 と式次第をすすめる宮司が言う。

 古事記によれば、「山由理草」の文字は、本来はヤマユリでなく、どうやら大和地方に多く咲いている笹百合のことらしい。
 まもなく、優雅な楽の音に乗った4人の緋袴の白百乙女たちの舞が、静かにくりひろげられる。

 早乙女ーー早百合こそ、太古の神々の夢幻が織りなした無上の祈りと喜びであったのだろう。
 瑞々しい笹百合の精に化した媛女たちは、初夏の明るい陽光に照らされ、あたりいちめんに漂う百合の香りの中で、私はこの世とも思われぬ花の舞に酔っていた。
 
 すべての神事が終わり、、参拝者に笹百合が配られるという。私もその人込みの中に見境もなく分け入った。
人並みが左右にはげしく揺れ、若い神官からやっとの思いで、一本の笹百合をいただく。
「三輪山周辺で咲いている笹百合です。ただいま、少し萎れていますが、お持ち帰りになって水に漬けると、すぐ生き返りますから」
 神官が親切に説明してくれる。
 
 午後からは、笹百合をかかげ持った七媛女の行列が市内をめぐることになっている。
 その日の夕方、私は近鉄で大坂に向かった。梅田のホテルの部屋に落ちつくと、早速、一茎に二輪の固い蕾をそなえたその笹百合を、水いっぱいのコップに差し入れた。
 それら一つ一つが、私自身の儀式であった。古代から信仰されてきた切愛の花が、今、確かに、まぎれもなく私の目の前にあった。
 なにかしら、はじめてほっとした気持ちになった

 文藝季刊誌『月光』第九号(一九九二年九月)に、私の第一歌集『清かなる夜叉』の特集が組まれたが、その中で、塚本邦雄氏は次のように論じる。
「初夏、佐保川の畔、卒川神社の三枝祭には、三枝の百合を捧げて、乙女らが練り歩く。その先頭に立つのは、あるいは明日香嬢、『明日香微笑(みせう)のゆめのしらゆり』か」。

 そして、ここに、マーラーの名曲、リュッケルトの詩「亡き子を葬る歌」を聴き、ゲハルト・ヒュッシュを筆頭に、次はディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、さらにベルント・ヴァイクルと、三者三様に魂を打ち、慰める名唱を聴くようだとしながら、「今日も明日も、、歌人太田代志朗は、私に最も遠く、それゆえに一番近い同志の一人であろう」と、過分の文章を頂戴している。
 百合の花が闇の空中で、静かに、厳かに舞っている。

・ささゆりのはなもてきみのはつなつにさなりめぐりぬゆめくぐりてや
・早乙女の空に光りぬいにしえの祷りはるかなゆりのまつりよ
・水無月の刺客のたたら死をのぞむ風吹きわたる夜の目覚めは
・舞うてはならぬおひとゆえーー髪乱れゆくべきもなき雨の大和に
・<花>ここにあらず醒めゆきひそかに羞しく告げよ闇の白百合

歌誌『月光』1993年8月号掲載

▲INDEX▲