志賀の都は荒れにしを
ーー忠度都落



             
  治承四年
(一一八〇)八月。
  頼朝は石橋山に平家追討の旗をかかげた。
 
 これに呼応した木曾義仲が信濃に立ち、富士川合戦では戦わずして平家は敗走し、勝ちに乗じた源氏の軍勢は京都に迫る。後白河上皇は行方をくらまし、栄華を誇った清盛はその生涯を終える。
 平家は日に日に凋落の一途をたどっていた。
 
 かくて、寿永二年
(一一八二)七月二十五日。
 朝まだき、平家一門は主上とともにあわただしく都落ちしていく。
 落ち行く一門は総勢七千騎。空が明るみかけて東山の上には雲がたなびき、暁の月は白く冴えている。平家の方は誰一人、こんなことになろうとは夢にも思わなかった。
 京の都は源氏方の軍勢に、たちまち占領される。
 いずれも先駆けの血気にはやる強兵
(つわもの)だった。
 
 こうした中で、落ち行く軍勢からひそかに離れた薩摩守忠度
(清盛の末弟)は、五騎の侍に童一人をしたがえ、灰燼に化した京に発ち帰った。
 三位俊成
(さんみしゅんぜい)卿の五条の宿坊を訪ねるためである。
 俊成卿を師と仰ぎ、その教授にあずかっていた忠度は歌道大切と心得ていた。
 
 せめて生涯の面目に、わが一首なりとも撰集の中に入れ給え、と懇願する。
 「これまで詠んできましたる百余首の歌でござる」
  忠度は歌を書き込んだ巻物を右脇の鎧の引き合わせから取り出していた。
 「おお。さようか。かたじけない」
  俊成は巻物を受け取りながら言う。
 「しかと、お願い奉るしだいです」
 「・・・・」
  忠度はすべてを俊成卿に託するいがいに道はない。
  そして、俊成はその切なる所望を叶えることを固く約束した。
  
  薩摩守「骸を野山に曝さば曝せ。
  憂き名を西海の波に流さば流せ、
  今は憂き世に思ひ置く事ことなし。
  「さらば暇申して」とて、
  馬に打ち乗り、甲の緒をしめ、
  西を指して歩ませ給ふ。
         
(『平家物語』巻七「忠度都落)
 
  念願叶った忠度の気味のいい啖呵とともに何との晴れやかな覚悟のほどである。
  勅撰和歌集『千載和歌集』が編まれることになるのは文治三年
(一一八七)九月。
  千二百首のうちの一首に忠度の歌が取り上げらる。
  朝敵となった平家方の人なので、「故郷の花」という題の歌一首は、名を隠し、読人不知(よみひとしらず)とされた。

 さざなみや志賀の都はあれにしを昔ながらの山櫻かな

湖のさざなみよ。天智天皇時代の古い都も、時とともに荒れ果ててしまった。だが、背後にある長等山の櫻は、今もなお美しく咲きつづけている・・・・。
  ここには柿本人麿の「近江の荒都」の歌を前提に、平家の運命をなぞらえた戦慄的なしらべが、山櫻の照り翳りの悲哀とともに冴え返っている。むろん、昔ながらは櫻の名所長等山にかけている。その山櫻の花の行方に忠度がかけたものはほかでもない、一つの狂気であった。
 また、歌道に不朽の名を遺そうとした忠度の底光りした武将の勇気と意思であり、ひたぶる悲しみの詩魂であった。人は、それをまことしやかに風流ともいう。
 
 平家滅亡の酸鼻ただならぬ世にあって、平家の公達はその運命を静かに受容しながら、最期の雅のありかを一心に探る。それには戦乱にあって、風流雅懐と芸道尊重という虚構
(かりそめ)に託した危機感の裏返しなのだろうが、王朝の修羅とはそういうものなのなのかもしれない。
  
 たとえば、清盛の子息である皇后宮
(こうごうぐう)の亮経正は、幼いころ仁和寺の御所の稚児として仕え、詩歌管弦に長じ、常に風流の道に心を澄ましている。都が襲撃され、木曾義仲の追討を受けた琵琶湖のほとりに逃れながらも、亮経正は一夜、上玄(しょうげん)、石上(せきしょう)の秘曲を弾奏するのである。しかも、この琵琶の名手は仁和寺の御室(おむろ)の宮からたまわった琵琶の重宝“青山”を、このまま田舎の塵にするにはしのびがたく、戦の中でわざわざ仁和寺に引き返し、宮に青山を丁重に返している。
 
 また、合戦で花と散った若い敦盛は、管弦に遊ぶ笛の名手であった。愛用の笛は“小枝”と呼ばれ、鳥羽院よりくだされた祖父忠盛からの相伝のものだった。
  さらに、太宰府落ちで煌々とかがやく月の夜、自らの運命を察知した清経は、その入水の直前に舟の舳先で横笛の音取
(ねと)りをし、朗詠し、しばしの時を過ごしている。
 
  いずれにしても、一の谷では源平の運命をかけた戦いが展開される。
  大手からは範頼軍がなだれ込み、丹波路から迂回してきた義経は、鵯越えを坂落としにしての城の搦め手から奇襲した。これには十万騎の平家の大軍が立てこもる堅塁も容赦なく破られていった。見るまに総崩れとなった平家軍はやむなく陣に火を放つと、それぞれ船に乗って潰走する。
 
 このとき、敢然と敵対していたのが一の谷の大将軍薩摩守忠度である。周章狼狽する見方には目もくれなかった。
「熊野育ちの大力。究意の早業」と聞こえも高い。
 紺地の錦の直垂(ひたたれ)、黒糸威
(くろいとおどし)の鎧、忠度は太やかで逞しい黒馬に金粉散らしの塗り鞍を置いて乗り、颯爽たる武者振りであった。このとき、忠度、すでに四十一歳。平家公達の中では、新中納言知盛、能登守教経とならぶ勇将である。
 
 われ先にと西海に落ち行く一軍を見届けると、忠度はたちまち敵軍百騎に打ち囲まれる。
 戦場は軍馬のいななきとともに、太刀の鍔音に鮮血が飛び散る。

 『平家物語』巻九「忠度最期」がその決死の場面を伝える。
  忠度は源氏の猪俣
(いのまた)党の岡部六弥太の追跡を受ける。
  その屈強の六弥太を引き寄せ、馬上から二刀、三刀と激しく切りつける。息詰まる死闘である。
  太刀無双とはいえ、忠度の刀は相手の鎧を通さず、薄手を負わせただけだった。
  六弥太の首を掻こうとするが、ままならない。
  そこに駆け付けた六弥太の小姓が、後ろから忠度の右腕の肘の下を勢いよくぶすっと斬りつける。忠度も負けじと六弥太を左手につかんで投げ飛ばす。
  だが、もはや戦況不利であった。
 
 これまでと観念した忠度は、西に向かって声も高らかに、
 「光明遍照十万世界、念仏衆生摂取不捨」
 と十度の念仏を唱える。
 
 仏の光明は広大なる十万の世界にあまねく、仏を祈る衆生を助けて遺すところがない。そう念じるより早く、起き上がった六弥太が背後からすかさず忠度の首を一刀のもとに斬りおとす。
  だが、六弥太には自分の討ち取った大将がいったい誰なのか分からない。
 そこで、矢を入れる箙(えびら)に結びつけてあった文を解き開いてみると、「旅宿花
(りょしゅくのはな)」の題で 一首の歌がしるしてある。

   行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵のあるじならまし

旅に行き暮れて櫻の木陰に止まれば、花がその夜の旅の宿の主となるという風雅を詠んだもので、そこに「忠度」と書かれてあり、薩摩守にちがいないことがはじめて分かる。
  忠度の首は六弥太の太刀先に刺し貫かれ、高々とかかげられる。
 「武蔵国の住人岡部六弥太忠純が討ち奉ったるぞ」
  と六弥太は意気揚々として叫ぶ。
 
 その声に、武将たちはいずれも、
 「あないとほし。武芸にも歌道にもすぐれて、好(す)き大将軍にておはしつる人をとて・・・・」
 と鎧の袖を濡らしたという。
  決死の戦の巷にあっても、忠度がなお和歌の風雅を忘れないということは武人としての面目とともに、最期まで芸道を忘れないたしなみでもって、美的秩序としての生きざまを鮮烈に飾っている。まさに、花も実もある古武士そのものであった。
  と同時に、それが政治と芸術に両断される忠度のかかえた悲劇でないはずがない。
 
 中世という乱世は、とりもなおさず侠気と虚無の坩堝であった。
 『平家物語』の合戦の文章は随所に躍動感あふれる叙述に満ちている。
 それが流布本作者の加筆や潤色によって磨き上げられた当時の息吹であり、内的な感動そのものであったのだろう。 かつて、平曲の当初の平凡な叙事的表現から流布本にみられる劇的表現に深められた世界に、人々は心おどらせ、熱狂していたことがよくうかがえる。それがまた、デカダンスの影のない平家の魅力にもなっている。
 
  世阿弥の能『忠度』は、古名を『薩摩の守』とも、『短冊忠度』ともいった。
  文武二道に生きた名将の和歌の風雅と合戦の勇ましさにふさわしい構成となっている。
 
 ここでは何よりも『千載和歌集』に勅勘
(ちょっかん)の身のかなしさで読人不知(よみひとしらず)として入れられたことに対して、「妄執の中の第一なれ」と嘆く。というのは、その歌が匿名で載せられたことにどうしてもあきらめかねる。そうこうして、撰者の俊成が世を去り、その後継者の定家の時代となり、忠度の亡霊(後シテ)は、かつて俊成の家に仕えて出家している通りがかりの者(ワキ)に、死んでも忘れることができない哀情をうつたえて定家への伝達を頼む。
 
 この能のもとの形は、二場に分かれた複式の夢幻能であったといわれている。
 六弥太、俊成、忠度の亡霊をつなぐものは風雅の道を主題とした和歌であるのだが、説話的な『忠度』後日譚は、幽玄の詩情と修羅の執心が混沌として、主役は波乱万丈の絵巻のように何度も入れ替わる。だが、それもさいわいなことに、忠度の霊はすでに櫻の花に昇華しているからかもしれない。

 「昔ながらの山櫻」の花は、歴史の彼方の迷宮に絢爛と咲き誇っていたのだろう。
 それとも、荒れた都の果てしのない闇に舞う暗闇櫻
(くらやみさくら)であったか。
 憂悶する花の歌のすがたからは、はかりがたい余情と暗示に富んだ熱い疼きのようなものが迫ってくる。


「文」2000年5月号掲載

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