●profile 太田代志朗 ohta Yoshiro ■小説家、歌人。 ■静岡県生まれ、大阪・京都に育つ。 ■1965年3月、立命館大学文学部(哲学専攻)卒業。 若く梅原猛、高橋和巳の薫陶を受ける。実存主義研究会はじめ、「序説」「広小路文学」同人。 小説「才気ざかり」「鰾」「きょうの賭け」「蒼茫」「八月盛夏」など。 ■劇団「現代劇場」(小松辰男主宰)に参加。 戯曲「小喝食」「孤独がぼくたちの瞼を閉じる」「失楽園」など京都祇園会館で上演。演劇誌「現代劇場」発刊。 ■1965年4月、「対話」同人、編集委員となる。 「対話」に小説「反復」、「このひとときは風にみち」、「アルベール・カミュ論」発表。 ■1968年3月、上京。知性コミュニケーションズ、現代構造研究所にて、東京・ 雑司ヶ谷から目白台に住む。 ■1970年3月、結婚し南浦和に住み、長男誕生。 ■1971年5月、高橋和巳逝去(享年39)。 ■1970〜80年代、バブル景気とポストモダンの虚飾と狂乱の日々。 フランス、イタリア、ベニス、スペイン、ニューヨーク、香港、マカオに遊ぶ。 ■1973年6月、「神々の詞章ーー折口信夫小論」(「現代詩手帖」)。 ■1974年5月、「新潮」「南北」に原稿数編持ち込む。 ■1979年9月、さいたまの小城下(岩槻)に棲む。 ■1979年12月、アンソロジー「文学に現れた蔵」 (文藝春秋) ■1987年5月、「小松辰男追悼集」編纂・発行。 ■1987年7月、「月光」(福島泰樹主宰)に参加。短歌、掌編を発表。 掌編「孫次郎」「ヴェネツイアの雪」「武州残月記」「イコンの闇」「十三夜」など。 ■1989年1月、「短歌時評)」(「図書新聞」に1年間連載)。 ■1990年11月、歌集『清かなる夜叉』弥生書房)刊。 ■1991年1月、対談・梅原猛「高橋和巳の文学とその世界」(祇園”つる居”で収録)。 ■1995年5月、国際日本文化研究センターにて梅原猛、井波律子と懇談。 ■1995年6月、「公方繚乱」(日本ペンクラブ電子文藝館)。 ■1996年1月、『このひとときは風にみち』(白地社)刊。 エッセイ・小論に「伊東静雄の手紙」「岡部伊都子さんの貌」「白川文学の世界ーー壮大な漢字の宇宙」、 「荷風散人の正月元旦」「志賀の都は荒れにしを」「秩父困民党の山河」「世阿弥流罪考」、 「偽チャンドス卿の記」、 「吉野・後南朝の悲歌」「澁澤龍彦の声」など連載。 ■2000年4月、「花と狂乱」。 ■2002年7月、ウエブサイト「花月流伝」発信。 ■2002年10月、「朱鳥の乱」(日本ペンクラブ「21人のプリズン」)。 ■2003年4月、「花嵐ーー謡曲”熊野 ”より」。 世阿弥の幻」。 ■2004年6月、新作能「自天王」。 ■2005年7月、「奥吉野、夢醒めぬゆめ」(日本文藝家協会ニュース 647号)。 ■2006年5月、「雨水」。「朝飯会ーー北大路魯山人の夏」。 ■2006年9月、新築の小家に茶室を設け掛け軸に「風月夢幻」(書・梅原猛) ■2007年6月、「遊行と鎮魂の京都発見」。 ■2008年7月、「夜叉丸残篇」。 ■2009年5月、「高橋和巳研究会」発信。封印された高橋和巳をネットに放ち交流が深まる。 ■2009年8月、新作能「実朝」。 ■2009年12月、新作能「実朝」の一節が中小路宗隆(長岡天満宮)により節付、京都観世会館で謡われる。 ■2010年7月、新作能「銀河鉄道の夜」。 ■2010年9月、「花吹雪広小路容彩」(立命館哲学同窓会50周年記念誌) ■2011年7月、「孤高の修羅よ、睡らざれ」(日本近代文学館 館報)。 ■2011年11月、梅原猛講義「人類哲学序説」を京都芸術大学・東京学舎で受講。 ■2015年3月、「幻想論序説」(安森敏隆歌集『沈黙の塩』解説)。 ■2018年11月、共著『高橋和巳の文学と思想』(コールサック社)。 ■2019年8月、「わが風月夢幻ーー梅原猛追悼」(立命館大学哲学同窓会会報)。 ■2021年8月、「高橋和巳電子全集」(小学館)の編纂、解題に取り組む。2023年6月、配信完了。 ■2023年8月、高橋和巳・高橋和巳たか子資料(手紙、写真など)43点を日本近代文学館に寄贈。 京都・金福寺で ▲TOP▲ |
●profile 太田代志朗 Ohta Yoshirou ■小説家、歌人。 ■静岡県生まれ、大阪・京都に育つ。 ■1965年3月、立命館大学文学部(哲学専攻)卒業。 若く梅原猛、高橋和巳の薫陶を受ける。 『序説』『海炎』などを経て、学内雑誌「広小路文学」委員長、作品発表 小説「才気ざかり」(序説)、小説「今日の賭け」「蒼茫」(末川賞佳作)、小説「蝕」(広小路文学)。エッセイ「幻想と阿片」「拒絶の美学」「夢魔劇への招待」「現代の逆鱗」(立命館学園新聞) ■劇団「現代劇場」(小松辰男主宰)に参加。小松は京都前衛アート運動にかかわっていた。 戯曲「小喝食」「失楽園」など京都祇園会館、山一ホールで上演。演劇誌「現代劇場」発刊。 ■1965年、同人雑誌「対話」に参加。編集委員となる。「対話」5号、6号、7号を編集発行。 同誌に小説「反復」、「このひとときは風にみち」、「アルベール・カミュ論」発表。 シンポジューム「エティシズムと文学」、「文学と救済」、「創造と文学」に出席。 ■1968年3月、京都アカデミズム(私学幻想機構)から背反疾走。 高校は学業放棄で1年留年、大学卒業後も永いモラトリアムでやっと正業につく。 知性コミュニケーションズ、現代構造研究所にて、東京・ 雑司ヶ谷から目白台に住む。 友人大橋広康の好意で国立劇場、歌舞伎座で毎月歌舞伎鑑賞。 高橋和巳・たか子と国立劇場で三島由紀夫の『椿説弓離張月』を見る。 高橋和巳たか子とヴィスコンティ監督の『山猫』を新宿で見る。 三島由紀夫の「三原色」「恋の帆影」「黒蜥蜴」など見る。 「新潮」編集部の小島喜久枝さんより執筆を促される。 「南北」発行人の常住郷太郎氏より執筆を促される。 ■1970年3月、結婚し南浦和に住み、長男誕生。 ■1970年4月14・19日、日本大学芸術学部の劇団人心(石井考一)のアトリエ公演。 「小喝食」上演、東京・池袋豊島区民センター7階ホール(開演:6時30分) ■1970年11月、「三島由紀夫展」 (池袋東武百貨店) ■1970年11月、三島由紀夫「椿説弓張月」を国立劇場で高橋和巳・たか子と一緒に見る。 ■1971年5月、高橋和巳逝去(享年39)。 出先の軽井沢から鎌倉にかけつけ通夜、納骨。葬儀告別式は東京・青山葬儀場。 ■1971年11月、エッセイ「無名の告示」(「青素」2号) ■1971年12月、「対話」8号、高橋和巳追悼号を編集・発行。林廣茂、古川修、山本雅男らと編集制作。 ■1970〜80年代、バブル景気とポストモダンの虚飾と狂乱の日々。 フランス、イタリア、 ベニス、スペイン、ニューヨーク、香港、マカオに遊ぶ。 ■1972年、現代風俗研究会に高田宏氏の誘いで東京部会に参加。 ■1972年5月、三枝和子さんに「小説を書きなさい。早く、今すぐに」といわれる。 ■1973年6月、エッセイ「遥かなる神々の詞章」(「現代詩手帖」j臨時増刊「折口信夫・釈迢空」) 高橋和巳の周忌祭は河出書房新社がやっていたらしいが新宿、原宿の会に2回出席した。 ■1975年5月、日赤医療センター(東京・広尾)で心臓カテーテル検査入院。 ■1979年9月、武州の小城下・さいたま市岩槻区本丸に居住。 ■1979年12月、アンソロジー「文学に現われた蔵」編(文藝春秋)。 ■1981年4月、住友文化フォーラムの企画運営。 ■1982年5月、玉川温泉に1週間逗留、映画制作委員会スタッフ。 ■1983年5月、井伏鱒二、三浦哲郎と歓談同席(銀座吉兆) ■1984年4月、白崎秀雄氏と新橋のお座敷。 ■1984年10月、辻井喬氏の講演同道(千葉・袖ケ浦)、 京都で奈良本辰也、上山春平、多田道太郎、日高六郎、河合雅男氏ーー数多くの方に接する。 ■1985年5月、東富士カントリークラブ。 ■1985年11月、奥吉野の宮瀧、国栖、菜摘、、入之波、金剛寺(自天皇の墓)探探。 ■1986年2月、スーパー歌舞伎「ヤトタケル」を新橋演舞場でみる。 ■1986年8月、軽井沢で一家で遊ぶ。 ■1986年11月、「茶の湯五百年の造形展」(主婦の友創業七十周年、日本橋・高島屋)をみる。 ■1987年5月、「夢は荒野を 小松辰男追悼集」編集・発行。 ■1987年6月、福島泰樹主宰「月光」に参加。掌編「孫次郎」「花守童子」「京都五山送り火」 「十三夜」「イコンの闇」 「時雨」「ヴェネツィアの雪」「武州残月記」など発表。 ■1988年4月、16歳の長女明日香を不慮の事故で失う。ーー吉野、京都、東北の地を彷徨。 ■1989年4月、亀山太一(明石長谷雄)詩集「冬たんぽぽ」(思潮社)発行に協力。 ■1989年4月、15歳から書きつづけていた日記帖30冊を焼き棄てる。 ■1989年、「図書新聞」の短歌時評、1年間担当執筆。 ■1989年5月、東京・元赤坂の無畏軒(中村外二=設計施工)の茶会で井上康史氏と同席。 ■1990年2月、京都で堀部公允と歓談、『風韻余滴ーー京・炭屋の四季』(淡交社)。 ■1990年5月、浜野ゴルフ倶楽部 ■1990年11月、歌集『清かなる夜叉』(弥生書房)刊。 ■1990年12月18日、塚本邦雄紫綬褒章授賞を歓ぶ会に参加(ホテル高輪) ■1991年1月、第五回井上靖文化章で梅原猛受賞。その山ノ上ホテルの祝賀会で辻邦生と歓談。 ■1991年1月28日、小松左京の還暦を祝う会(大阪・ホテルプラザ)、旧「対話の会」メンバーにも会う。 ■1991年3月、対談=梅原猛・太田代志朗(祇園:つる居) 「高橋和巳の文学とその世界」。 ■1991年、歌集『清かなる夜叉』につき松永伍一氏より謹書「寂心」の書。 ■1991年4月、スーパー歌舞伎「オグリ」見る(新橋演舞場(梅原先生より招待) ■1991年8月10日、埴谷雄高氏に会う(東京・吉祥寺の埴谷邸)。 ■1991年8月、軽井沢で中村真一郎、 佐岐えりぬさんと昼食会。 ■1991年9月、高橋和巳を忍ぶ会(京大楽友会館)、梅原猛、岡部伊都子、高城修三、井波律子ら。 ■1992年8月、誌上講演:梅原猛「この火宅の時代をどう生きるか」企画取材・構成(「宝石」8月号)。 ■1992年11月、吉野散遊ーー金剛寺、蔵王堂、如意輪寺、天河村、樫原神宮、室生寺、吉野離宮、川上村。 ■1993年1月30日、梅原猛先生文化功労者顕彰祝賀会に参加(都ホテル・瑞穂の間) ■1994年5月、母こと(84歳)逝去。法昌寺で葬儀。7月、77日忌法要。 ■1994年8月、寺田博さんをねぎらう会(ホテルニューオータニ(芙蓉の間) ■1994年10月、西伊豆・松崎で1週間過ごす。 ■1995年4月、国際日本文化研究センターにて梅原猛先生にご挨拶。 ■1995年5月、阪神・淡路大震災で瓦礫の神戸の街を歩く。 ■1995年6月、作家生活に入り、中世の関東争乱を舞台にした『公方繚乱』(200枚)は 、 秦恒平氏のアドバイスで日本ペンクラブ・電子文藝館に配信。 同じく『増補・高橋和巳序説』(180枚)を配信。 ■1995年6月、辻邦生氏より「弱気になってはいけません」と激励の手紙。 ■1996年4月、佐渡に世阿弥の跡を辿る。 ■1996年12月、日文研・共同研究「「日本文化の深層と沖縄」で、山折哲雄が歌集「清かなる夜叉」引用。 ■1996年1月、『このひとときは風にみち』(白地社)刊。 ■1997年1月25日、安原顕氏と歓談(東京プリンスホテル) ■1998年4月、『高橋和巳序説』(林道舎)発行。 ■1998年5月、間村俊一画集「ジョバンニ」の刊行を祝う会(レストラン オレ・オラ) ■1999年8月、奥吉野・川上村に1カ月逗留。後南朝の史跡・文献調査。新作能『自天王』執筆。 ■1999年12月、岡部伊都子さんに会う。「能つれづれーーこころの花」(檜書店)いただく。 ■2000年1月、高橋和巳研究会を発足。「対話」同人の林廣茂、古川修らと代表幹事。 ■2000年3月、中編「流れ公方異聞」(「イリプス」1号) ■2001年5月、小嵐九八郎氏と歓談(料亭 大宮 一の家)。 ■2001年7月7日、「浜田知章全詩集」出版記念会(法曹会館) ■2001年5月13日、長男波流佳、結婚。 ■2002年4月、福島泰樹歌集「六月挽歌」出版を祝う会(学士会館) ■2002年7月、WEBサイト「花月流伝」発信。著書紹介・小説・短歌・エッセイ・演劇など掲載。 デジタル・テクノロジーのもとに生成する神話・伝承・物語など展開。 ■2002年5月、「高橋和巳の憂憤ーー三十三回忌に」(「図書新聞) ■2002年9月、風人連句会(主宰・夫馬基彦)月例会、オンライン連句会に参席。 ■2002年10月、日本ペンクラブ・京都フォーラム「文学の力、表現の冒険」制作参加。安森敏隆と歓談。 短編 「朱鳥の乱」(日本ペンクラブWIP委員会編「21人のプリズン) ■2002年10月、「詩情湛える世界ーー明石長谷雄を悼む」(「現代詩手帖」10月号) ■2002年10月、坂本一亀氏をしのぶ会(パークハイアットホテル新宿) ■2003年1月、「孤立の憂愁ーー高橋和巳・立命館大学講師の時代」(「月光」) ■2003年5月、日生劇場で谷崎潤一郎作、蜷川幸雄演出『恐怖時代』見る。 ■2003年11月、小説『公方繚乱』、日本ペンクラブ電子文藝館に掲出、秦恒平の協力を賜る。 ■2004年1月、浦和の如心亭(亭主大沢宗陽)で初釜。 ■2004年5月、郷愁からネットへーーBBS「高橋和巳を語る会」開設。 ■2004年5月、山中智恵子さんら連歌の会に参加(東京・山の上ホテル) ■2004年6月、新作能「実朝」(季刊「月光」2号) ■2004年8月、タイに遊ぶ。チェンマイ〜チェンライへ。 ■2004年10月、下谷・法晶寺で立石伯氏とあう。 ■2004年11月、「辻邦生展」、学習院大学目白キャンパス 史料館展示室 ■2005年2月、左目白内障手術(自治医科大学大宮治療センター) ■2005年5月、松岡達宣歌集『青空』出版記念会(ライオン銀座クラシックホール) ■2005年10月、RITSアートフォーラムで活動。立命館大学映像学部シンポジュームなどに参加。 ■2006年1月7日、孫娘の真理子誕生。 ■2006年7月、畏友依田啓一と関西空港ゴルフ倶楽部をラウンド。依田啓一との最期のであいとなった。 ■2006年7月、立命大アート・フォーラムの連中とセーリングクルーザで琵琶湖に遊ぶ。 ■2006年9月、「宮永東山 作陶展」に寄る(高島屋京都店) ■2008年1月、15歳から書きつづってきた日記帳30冊を焼却。 ■2008年6月、武州古城下の家を建て替え(積水ハウス自由設計)、茶室も設ける。 ■2008年7月、「夜叉丸残篇」 (埼玉文芸家集団・会報第10号)。 ■2008年9月、氷川の杜文化館・能舞台で仕舞の稽古。金春流老職分よりヨワ吟、一部仕舞。 ■2008年10月、詩歌の風景「”あはれ”と”しほれ”」(「高翔」50号) ■2008年11月29日、「心に滲みる和の音ーー川口慧耀」企画参加 (長岡天満宮) ■2008年11月、中編「朝飯会ーー北大路魯山人の夏」(「孤帆」36号) ■2009年6月、連歌ー短歌行「羽衣」、「三輪」、「フーガ」山中智恵子追悼号NO31号 ■2009年7月、「水無月挽歌」50首、「月光」所載。 ■2009年8月、 新作能「実朝」発表(文藝「月光」 勉誠出版)。 ■2009年10月、真田風雲録」福田善之・作 蜷川幸雄・演出(彩の国さいたま芸術劇場) ■2009年12月、梅原猛、西川富雄先生を囲む忘年会(ホテルルビノ京都) ■2010年5月、前立腺肥大手術(秀和綜合病院)、併せて以後、循環器内科に通院。 ■2010年9月、「花吹雪広小路容彩」(立命館大学同窓会50周年記念誌) ■2010年3月27日、立松和平さんを偲ぶ会(東京・青山葬儀場)。 ■2010年9月、先輩の中小路宗隆(長岡天満宮司)が京都観世会館で、 拙作の新作能『実朝』の一部節付け公演・発表。 ■2011年7月、気仙沼〜一の関〜中尊寺旅行。 ■2011年10月、那須ハイランドゴルフクラブ。 ■2011年11月、「孤高の修羅よ瞑らざれ」 (「日本近代文学館」第242号) ■2011年8月〜10月連載「悲哀と解体のパトロジー:高橋和巳生誕生90年、没後40年」(「図書新聞」)。 ■2011年11月、梅原猛の講義「人類哲学序説」を京都造形芸術:東京芸術学舎で受講。 ■2012年3月、初期胃癌の内視鏡摘出手術で自治医科大学(大宮医療センター)に10日間入院。 ■2012年5月、高橋たか子『終りの日』の書評(「図書新聞」2012年5月24日号)。 ■2013年5月、副鼻腔手術で自治医科大学(大宮医療センター)。 ■2013年6月、茶室「夢幻庵」(揮毫:梅原猛)とし日々清遊。 ■2013年7月、小中陽太郎「キネコと映像分析ーー60年代の胎動」(岩波セミナールーム)。 ■2015年3月、「幻想論序説」 (安森敏隆歌集『沈黙の塩』解説:現代短歌社) ■2015年4月、季刊「悲の器」編集代表、発行準備。 ■2015年6月、田中寛、橋本安央氏、武州小城下に来庵。 ■2016年9月、斎藤茂吉の生家〜かみのやま温泉〜芭蕉〜山寺などを旅。 ■2017年6月、AQUA新車。 ■2018年5月、松本鶴雄氏の推薦・紹介の埼玉文藝家集団を退会。傳馬義澄、飛高敬ら親しく交流していた。 ■2018年10月、愛犬安寿(キャバリア牝15歳)を亡くす。 ■2018年10月、共著『高橋和巳の文学と思想ーーその志と憂愁の彼方に』(コ−ルサック社)発行。 同書の記者会見は丸の内ガーデンパワーで 執筆の立石伯、加賀乙彦、井口時男、 小林広一、田中寛、東口昌央らと会う。 ■2019年3月、『高橋和巳電子全集』(小学館)打ち合わせ。 ■2019年4月、天城高原丸の平〜天城高原ゴルフコース。 ■2019年8月、「わが風月夢幻ーー梅原猛先生追悼」(立命館大学哲学同窓会会報)。 ■2020年12月、皐月ゴルフ(佐野コース) ■2021年8月、『高橋和巳電子全集』、第1巻「邪宗門」配信スタート。 ■2021年10月、宍戸ヒルズカントリークラブ。 ■2021年11月、「高橋和巳没後50周年ーー寄り添う青春と文学の構造」(歌誌「月光」39号)インタビュー。 ■2023年6月、「高橋和巳電子全集」配信完了(編纂・解題12巻、および年譜(45枚)。 ■2023年8月、高橋和巳・高橋和巳たか子資料(手紙、写真など)43点を日本近代文学館に寄贈。 **未稿(整理補足中) ■日本文藝家協会々員、 高橋和巳研究会(代表幹事) 京都・金福寺にて |