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太田代志朗
Ohta Yoshirou


■静岡県生まれ、大阪・京都に育つ。
■1965年03月、立命館大学文学部(哲学専攻)卒業。
  若く梅原猛、高橋和巳の薫陶を受ける。学内雑誌「広小路文学」委員長、作品発表。
  『幻想派』『立命短歌』の安森敏隆らを知る。
■小松辰男と劇団「現代劇場」を結成。戯曲「小喝食」「失楽園」など京都祇園会館、山一ホール
 で上演。寺山修司と京都で小松辰男らと一緒に会う。
■同人雑誌「対話」に参加。編集委員となる。「対話」5号、6号を編集発行。
  鎌倉にいった高橋和巳と雪の生駒の宿屋で徹宵の花札に興じる。
■1968年03月、上京。 京都アカデミズム(私学幻想機構)から背反疾走。
  雑司ヶ谷から目白台に住む。
■1970年結婚し南浦和に住む。長男誕生。国立劇場、歌舞伎座で毎月歌舞伎鑑賞。   
 
■銀座8丁目から元赤坂の新ビルへ埼玉から1時間半の通勤。
■1971年05月、高橋和巳逝去(享年39)。
  出先の軽井沢から鎌倉にかけつけ通夜、納骨。葬儀告別式は東京・青山葬儀場。
■1971年12月、「対話」8号、高橋和巳追悼号を編集・発行。
  その座談会原稿を整理、タイトルに「高橋和巳の青春」その時代」とつける。  
■1970〜80年代、バブル景気とポストモダンの虚飾と狂乱の日々。フランス、イタリア、
 ベニス、スペイン、ニューヨーク、香港、マカオに遊ぶ。

■1975年09月、武州の小城下・さいたま市岩槻区本丸に居住。
 小松左京氏と「対話」復刊打合わせ。高田宏氏に誘われ「現代風俗研究会」東
 京例会に出席。
 高橋たか子から電話あり、ヴィスコンティの『山猫』を新宿の映画館で一緒に見る。

■1987年3月、季刊『月光』編集に参加。福島泰樹、持田鋼一郎らを知る。
■1988年4月、16歳の長女明日香を不慮の事故で失う。
■1991年03月 梅原猛氏と対談「高橋和巳の文学とその世界」。
 同書刊行祝賀会は京大・楽友会館で行われ梅原猛、岡部伊都子、高城修三ら。
■1991年、歌集『清かなる夜叉』につき松永伍一氏より謹書「寂心」の書。
■1995年、出版編集・広告マーケティング業務を経て
作家生活に入る。
 中世の関東争乱を舞台にした『公方繚乱』(200枚)、 秦恒平氏のアドバイスを受け日本
 ペンクラブ・ 電子文藝館に配信。同じく『増補・高橋和巳序説』(180枚)を配信。
■新作能に『自天王』『実朝』『銀河鉄道の夜』。
■2000年01月、高橋和巳研究会を発足。林廣茂、古川修らと代表幹事。
■2002年07月、公式サイト「花月流伝」発信。
■2002年10月、日本ペンクラブ・京都フォーラム「文学の力、表現の冒険」制作参加。
■2004年05月、BBS「高橋和巳を語る会」開設。
■2009年8月、文藝「月光」編集に参加(責任編集:福島泰樹・立松和平、 発行:勉強誠
 出版)。新作能「実朝」発表。
■2011年8〜10月、「高橋和巳生誕80年、没後40年ーー悲哀と解体のパトロジー」掲載
 発表(「図書新聞」)
■2013年、小庵を「夢幻庵」とし日々閑遊。
■2015年春、季刊「悲の器」編集代表、発行の準備をすすめる。

■公式サイト「花月流伝」につきデジタル・テクノロジーのもとに模索される神話・伝承 ・
 物語など、その新た なメディア・リテラシーに共振している。

■日本ペンクラブ、日本文藝家協会々員、
「対話」同人、季刊『悲の器』編集代表、
高橋和巳研究会主宰、NPO観光立国理事
立命館大学東武ライン校友会長


嵯峨の大覚寺で

update:2016. 5. 25

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