近代日本の興亡史と表裏一体


林廣茂著
『幻の三中井百貨店
――朝鮮を席巻した
近江商人・百貨店王の興亡』
(晩聲社)


 
 かつて、朝鮮から大陸にかけて十八店舗を持つ一大百貨店王国があった。
 この本では植民地時代の朝鮮半島全体を、「朝鮮」と総称しているが、漂流する歴史認識によって清算され、過去の忘却の彼方へ追いやられたはずのその王国に新たな照明が当てられた。近代日本の興亡史と表裏一体である日本的経営のモデルそのものである三中井(みなかい)百貨店の創業、成長、発展、崩壊、消滅の幻のプロセスが、ここに満を持して解き明かされたのである。気鋭のマーケティング専門家によって検証されることの意味は極めて大きい。 
 
 日本、清(しん)、ロシアが激しく争い、朝鮮での主導権獲得をめぐる歴史状況下において、まさに「日本人にとって朝鮮は新しいビジネスフロンティア」であった。近江商人として江戸時代から着実な商いをすすめてきた中井屋は、明治三十八年(一九〇五)三中井商店として創業している。
 
 日本政府の肝いりで開店した破竹の勢いの三越や、丁字屋の組織的な市場調査能力に欠けた出遅れとはいえ、朝鮮、満州、中国の広大なマーケットを前にした四兄弟首脳陣の結束はこの上なく固かった。英知を尽くしたスタッフやブレーンによる情報収集、スピード、意志決定など革新的な戦略システムが次々に編み出される。
 
 それは進取の気に満ちた首脳陣のアメリカ視察から得た経営感覚のほかに、日本国家と不可分である強い産業報国の信念を確立したからであった。かくて、三中井は朝鮮総督府の政策や朝鮮軍の防衛方針を全面的に支持しながら、その御用商人となることで、拡大成長の路線をきりひろげていく。
 
 著者は韓国を含むアジア諸国を頻繁に訪ね、日本、欧米、韓国それぞれの出身企業に対して、主としてマーケティング戦略コンサルテーションを提供してきているだけに、その解明にも説得力がある。
 
 植民地下、日本は政策的に韓国文化を融合し日本化したことは事実であり、また朝鮮人が日本文化を受容していったことも事実であろう。朝鮮人は日本人のライフスタイルを取り入れ、日本商品を好んで求めている。そうした背景における朝鮮社会の日本適応化、大衆消費社会化、文化受容と適応など、当時を忍ぶ生々しい写真も豊富に掲載され、その独自の洞察、資料調査もひときわ冴える。
 
 こうした中で、明治以降の日本と朝鮮半島・中国大陸との関係史の中に位置づけ、創業者四兄弟の近江商人としての特徴や、経営者としての能力やその限界も明らかにされる。そもそも近江商人経営の哲学とはいかなるものであったか。著者は拡大成長する三中井の五大経営志向として、@コスモポライトネス(広域性)と革新性A倫理性B強い同族意識Cマージナルな出身(零細な商売に従事している)であるがゆえの強い上昇欲求D強烈な国家志向を挙げている。
 
 そして、企業は継続してこそ経営者としての志を実現できる(国家や社会のために尽くす)、無私の心を実戦することこそが利に繋がる(利は余沢である)、社員全員と夢や志や悲哀を共有することで、はじめて団結心とダイナミズムが生まれる、という。
 
 しかし、創業者の死去とともに、後継者を育てることなく、またその後の一族の内紛などにより、三中井の筋金入りだった「近江商人性」の倫理は失われ消滅の一途をたどり、ついに再建のシナリオもなく空しく潰えさってゆくことになる。
 
 敗戦により、それまでの朝鮮・大陸にあった店舗や商品のすべてが接収されたという歴史事件はともかく、そこに何より強固な再建の意志がなかった後継者たちの無神経な経営感覚。それはいったい何だったのか。近江商人の倫理性である誠実、節約、勤勉、投機・射幸の禁止、国家への貢献、公は私の上位であるという意識の壊滅など、つまり「企業の魂」の喪失が、ここでは鋭く指摘される。それこそ日本的な社会、精神文化そのもののであることは論を待たない。 
 
 戦後、三中井の後継者は株ですべての財産を失う。また、滋賀県随一の豪壮な本宅も売却。挙句には夜逃げ同然に故郷を離れ、鞍馬の山裾で養鶏場をはじめるが、それにも失敗して世を去る。その一族や関係者に当る著者の並々ならぬ取材インタビューも胸を熱く衝く。
 
 グローバリゼーション時代を生き抜くための企業のマーケティング戦略を熾烈に説きつつ、「事業とはそれに携わる人々の人生ドラマ」だとする著者は、朝鮮(現韓国)、扶余(ブヨ)生まれ、幼年期を同地で過ごしている。その郷愁が随所に垣間見ることができる本書は、日韓の架け橋としての三中井を位置づけて、「日本でその本体が消滅して久しい三中井が、朝鮮に伝え、韓国で継承された百貨店ビジネスの原型は、いま韓国人の手によって習熟・創造された韓国独自の百貨店ビジネスの中に生かされている」という。韓国に人一倍の愛情を注ぐ著者ならではの断言なのだろう。

 本書は、「マーケティングの国際移転」のフレームで解明する日本の経営論、経営継承論である。ここには、流通産業興亡の鮮烈なドラマとともに、第二次大戦下における朝鮮、大陸の消費生活文化についても、その豊富なデータによる克明精緻な調査分析が行われるなど、真に興味深い一書となっている。


『図書新聞』2004年4月3日号

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