日録●太田代志朗●2024年 |
9月30日(月) 9月尽、秋日和、大安。 晴時々曇。静かな秋、彼岸花がいっぱい咲いている。 武州暮らしも老いて茫々。能楽師崩れの叔父に線香をたむける。 能『三輪』をYOU TUBEで見る。「誓納(せいのう)」の特殊演出。 三輪明神(後シテ)は、神々が岩戸の前で舞った神楽を再現して舞う。 ーーもう新作能を書くという気力もなくなった。 9月28日(土) 曇り、時々陽がさす。 朝早くに家人は裏千家の親睦茶会(大宮パレスホテル)にでかける。 昨年の膝手術やその後の体調でどうかと思っていたが、着物の着付けも彩りよく、元気な足取りで何より。ひとり朝食に白粥、梅干し、めざし。 京大文書館の企画展「1968年再考」は昨年開催され好評だったようだ。 その関連での編集で解体物語の執筆依頼をうけるが、丁重にお断わりする。 反大学、自己否定、似非知識人、ポストモダン、文学の終焉・・・。 老学にして京大系にあらず、秋風吹きゆきコンもつき余力なしや。 9月26日(木) 朝夕涼しく。 暑さもやわらぎ、朝夕が涼しくなった。 秋空澄み白雲、風が樹々を揺らしていく。 家事(小庭の水やり、玄関周り、台所、風呂場など)少々。 「翁とは何か」の座談、高論。読みふけり、日暮れになっている。 中世はアナロジーなる夢の世界であったか。 9月25日(水) 秋冷の候。 十二候は「霜始降」 (しもはじめてふる)である。 昨日の長距離ウォーキング(?)に疲れきょうは静穏に過ごす。 犬とは30年余り一緒に暮らした。 レオ、スバル、安寿の3代で、楽しい犬と一緒の日だった。 またどうかね、という声もあるがこらえている。 ーーNHKBSに『地下室のメロディ』(1963年仏)。ジャン・ギャバン、アラン・ドロン。懐かしい映画。 9月23日(月) 振替休日。 朝の小雨が上がり、日中は日が照り青空に白雲。 ウォーキングする公園の草がきれいに刈りあげられている。 ーー昨日のお茶稽古が終わって、家人も静かなひととき。 黄菊の残花ゆれ、日の暮れが早くなった。 9月21日(土) 芙蓉、彼岸花。 曇りでちょっとしのぎやすく、小さい秋。 川辺の畔路をぶらぶら歩き、草花を摘んでくる。 芙蓉、矢萩芒、竜胆、そしてひっそりと彼岸花が咲きはじめた。 石川(輪島市、珠洲市、能登町)に大雨洪水。最大級の警戒が呼びかけられている。 ーー大相撲秋場所14日目、大の里優勝。 9月19日(木) 東京、銀座~日比谷。 東京・新橋からDビルを尋ね、ちょっとした挨拶&打ち合わせ。 同ビル上階のレストランはご遠慮して、日比谷の松本楼でランチになる。 東京も変わった。モーレツからビューティフルの時代が何とも懐かしい。 上京は1968年3月。銀座から元赤阪へと25年、今や足元がふらつく身を顧みる。 9月16日(月) 敬老の日。 朝の曇が晴れ、きょうも暑くなる。 小庭の甕の中の澄んだ水に、メダカたちも元気に泳いでいる 敬老の日ーー血圧138-73-72、体重59kg。 「転ばない、風邪ひかない、怒らない」と小人閑居。 薗部澄:写真『失われた日本の風景』(河出書房新社)を見ていると、昭和が蘇る。 貧しくも美しい映像ーー家は傾き、道路はぬかるみ、小さな暮らしの灯りがあった。 9月14日(土) 猛残暑。 9月も半ば、秋の気配はいっこうにない。 出回った秋刀魚はともかく、名残鱧の味ももうとっくに忘れた。 猛暑で外出しようにも、身体感が重く、何もしたくなくなる。 小庭の水撒きやちょっとしたことで、汗がふきでてくる。 咳がでて飴をなめながら、日本シニアオープン、そして大相撲秋場所(両国・国技館)。 ーー夜、月、煌々。 9月12(木) 残猛暑。じっとり暑い。 メダカが泳ぐ大甕の水を変え、その清掃で汗だくになる。 甕の底にたまった泥を洗い落とし、水草を切り分けし、小石をきれいにする。 泥まみれになり、終わってシャワーを浴び、ひと息つく。 「じゃあ、お願いね」と家人は迎えの車で颯爽と運動教室へでかける。 運転免許更新の通知あり。「認知知能検査」は受けることとする。 高齢ドライバーの認知機能の低下、判断力や記憶力の衰え、反射機能鈍化。 談山能(多武峰談山神社)には魔多羅神の翁面が奉納される。 死骸都市、死体遺棄の平安京、勝田到著『死者たちの中世』。 また、桜田好朗の著書をこのところ集中的に読んでいた。 『中世日本文化の形成ーー神話と歴史叙述』 の古書をネット購入。 9月9日(月) 重陽の節句。 晴天。9時20分予約のS歯科院で検診治療。 その帰りコープ生協で”あきたこまち”(コープ産直)5Kgゲット。 昼前の公園ウォーク30分。陽が照りつけ31~33℃、 熱中症厳重警戒。 重陽の節句。 「菊の節句」ともよばれ、菊酒を飲んだり、栗ご飯を食べたりし、無病息災、長寿をねがう。特段のことなく、家人が点ててくれた茶に葛饅頭。 さてまた、どこへいったか。財布がでてこない。ボヤキ、ワメキ、ブーブー。 9月8日(日) そぞろ、秋。 奈良大和、高野山、近江、熊野と旅行カタログが次々に舞い込む。 キャッチコピー「きっと見つかる私の秋」が紅葉、仏像、聖地へいざなう。 ーーさて、老骨は武州小城下に埋もれ、耄碌してしまった。 幻(ゆめ)の中に、また黒い馬が駆けめぐる。 ・ゆく秋のわが身せつなく儚くて樹に登りゆさゆさ紅葉散らす ・我楽多のやくざな巷(まち)よと思ひつつうなだれて帰る日の暮れもあり ・やまやまをめぐらして大和国内の雪の白きをさびしみ生くる ーー前川佐美雄 9月7日(土) 敬老の日の集い。 残暑厳しいが、二十四節気で白露、朝晩に空気が冷やされ露をむすぶ候。 グリーンタウン自治会「敬老の日の集い」に家人と出席。 「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」。 住宅地も高齢化がすすみ、80歳以上ということで40人ほど。 オカリナ演奏に籤当てなど、幕の内弁当に紅白饅頭。 ーー居住44年、あれこれ。日々の平穏な暮らしに感謝。 9月5日(木) 晴れ、30℃。 公園ウォーキング60分、日中は陽が照りつけ30~33℃。 碧空、白い雲、桜がすっかり葉を落とし、落葉の絨毯。蝉が啼き、木陰によるとそよ風が流れ、快調なペース。 「目にはさやかに見えねども」、季節がめぐる。 PCに向かう。筆硯に親しみ未だ嶮路に迷うや。 窓辺のサンセベリアがひとまわり大きくなっている。 「短歌年鑑」(KADOKAWA)の自選五首でき、投函。 9月3日(火) ”ごまめの歯ぎしり”で。 朝から雨雲が垂れこめて、いつ雨になるかしれない。 外へでて大雨にやられたら、たまったものじゃない。 老身どこへゆくということもなく、無精面に虚々実々、小心翼々。 丸竹夷二押御池、姉三六角蛸錦ーー馴染みの珈琲店や粥店があるわけでない。 早朝から熱い珈琲に寄り合い、団らん交流を楽しむといった度量もない。 未だひねくれ唄にべんべん。”ごまめの歯ぎしり”で日録をつづる。 消失したサイトの復元は一向にすすまない。 8月はドストエフスキーの長編2本読みあげた。 ひきつづき、ここのところ遮二無二に以下の点検読書。 天台本覚、社寺縁起、聖絵、在地神祇、往生、御霊会、呪師、垂迹その他。 9月2日(月) 猛残暑。警戒アラート。 台風一過の猛暑日になる。 郵便局にいってから、城址公園をひと周りしてくる。 右膝の痛みも治まり、元気だと思う分、元気なのだろう。 蝉が啼きしきり、桜の落葉がいっぱい舞っている。 話題のブログ「柳居子徒然」。 63年間、毎朝でかける珈琲店。多彩なネットワーク。 ブログ連載19年目、雨の日も風の日も綴られる”一言処士”の生き様が迫る。 京の話題が興趣をそそり、やんわりと無量の余韻をひびかせる。 不粋浅学はイノダコーヒは敷居高くして、専ら通ったのは六曜社だった。 ーー夕4時、K院にて定例の整体マッサージ。全身がほぐれる。 『松岡正剛の書棚』(中央公論社)、哀悼のページをひろげる。 夏がおわり、潜行、論告、流離のK氏も亡くなっていた。 |
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