装いせよ、わが魂

高橋たか子挽歌


一言、その人の名誉のために言っておくが、太田代志朗君だけは、
利心なく、ひたすら和巳を尊敬する、純朴な文学青年だった。
高橋たか子著「高橋和巳という人――二十五年の後に」河出書房新社) 

             



●大阪・吹田時代(1964年~) 

長編を書け若造 悲の器酌む酔ひどれに愁ひ貌寄せ 

紅茶だす震へる白き手のありて「白描」同人高橋たか子 

一目ぼれ生活(たっき)の果ての狂気をばぶつけ鬱金のさあれ鴛鴦(おしどり) 

澁澤龍彦研究会をつくりませうーー息巻くわれに君は目をふせ 

明日は埴谷邸に泊まる 雨の日の引っ越し作業手伝いて笑む 

●鎌倉で(1967年~) 

鎌倉・二階堂首塚脇の平屋にて執筆の燃ゆるたまゆら  

首塚で愛犬ゴンと三人の写真に写る風のひととき 

「泊まつていきなさい」くずおれしわれにやさしきその夜の鎌倉 

「おめでとう結婚するのね」ほほゑみて一九六九年春のことぶれ 

小説原稿のコピーを頼まれしわれ三昼夜にわたりコピーとる 

「遥かなる美の国」なれば遙(波留佳)とよ名づけてくれし弥生三月 

唐十郎紅テント公演を見に行く、あなたもいらっしゃいね 

国立劇場「椿説弓張月」を一緒に見てあの幻の駆けゆく白馬 

高橋(和巳)の女遊びを怒りをり夜の電話をじつと聞きゐる 

あの人は京都へ行つた、いまさら何がアカデミズムかーー深夜の絶叫 

誘はれて「山猫」を見し新宿の街にあなたはほゝゑえみゐたる 

山猫のサリーナ公爵家の舞踏会、華麗に踊るあなたのもとに 

手伝ってくれない? とう自殺幇助の物語われは応じづ都会(まち)に出てゆく 

「辻邦生さんつて、ほんとに美男子なの」、ホテル・ラウンジの明るき午後よ 

銀座ケテル、千疋屋の食事会――誰にか告ぐる宴の夜は 

秋の夜の皇居一周ぶらぶらとその時あなたは恋をしてゐた 

その人に電話いれしも声かすれ北鎌倉の幻想館よ 

ああ高橋和巳逝けり紺青の釘音ひびく五月の党派

「ゴメン! 何も言はなくて・・」その通夜に肩をいだかれ泣きくづれたる

さればバッハ無伴奏チェロ・ソナタ 滂沱の初夏(なつ)の青山斎場 

「写真も遺骨も何もない」二階堂の家おとなへば憮然といひき 

この家は黒川紀章の設計よ 灯り(ライト)を自在にあなたは言った 

●パリへーー(1972~) 

「わたしまう・・」拒絶さる門前のあかときやみの愛(かな)しき怒涛 

その日からさらば遠き人なりて夢をくぐりてつひに会はざる 

装いせよ、わが魂よーーまろびつつ霧(きら)ふはつなつパリのぬばたま 

「欲望の荒野さまよふ」告解のうすむらさきの血を流しつゝ  

われらさびしく聖堂にきさらぎのさやかなりしやパイプ・オルガン 

あらゆる人間関係を日本に置き去り生きるかなパリの黄昏 

男社会を憎みしあなたの苦悩 髪なびかせし春の断崖 

怒りの子ロンリー・ウーマン誘惑者 没落風景空の果てまで 

森有正ノートルダムの遥かなれ訊ね行きしか露のゆふぐれ 

わが魂よーーパリに生きむやそよぎてよ孤独に絶へし薄墨牡丹 

愛娘十六歳喪失ひて手紙出せしも返事あらずわれ旅に出る 

●霊的生活へ 

一九七五年受洗カトリックへ、さらばその日より風よ椿よ 

十字架の聖ヨハネいふかの雲と暗さの闇を永遠(とは)に負ひぬや 

ゴルゴダの丘にはじける夏柘榴ユダの荒野のあかきくちびる 

霊的な出発へ、神に出会ふとき自分は砂漠になつてゐるのよ 

雑魚などにかゝはりしらずうつしみのありとや問ひぬさはれ巡礼 

絢爛の悪と聖との肉を裂きあなたはエルサレムへ神の国へ 

愛など蔑みさすらはゞはかなきを許されざるか黒き血痕 

たまかぎるこの目ざめを神の目ざめといふ朝の礼拝堂にひとりゆくはや 

ベッケルアン大修道院で皿洗い夜は小さきベツドで睡る 

満月の聖地詣でるすでに恋敵(こひがたき)など死して老ゆ神無草 

十字架の聖ヨハネ伝かの雲と暗さの闇を永遠(とは)に負ひぬや 

禱りをり修道服に身をつゝみ海辺の村のわが亡命者 

●その晩年 

神よ 遠き高みにありて歓びの霊性ゆゑに著作の絶版 

ふと中村真一郎氏とよぎつて行けり新宿の夜のパーティー 

老いたらば痴呆の母をかゝへゆく瞑らざる日の雨の上洛 

罪あらば夢と狂気の秋霰(あきあられ)われゆゑならぬあはれミサ曲 

忘却の京都よ愛よ還らざれ海の彼方の蒼き蜜月 

「わが死後を勝手に書くな。自分でさへ分からぬことを・・」しぐれの夕べ 

二〇一三年七月十二日 心不全のため茅ヶ崎の福祉施設で死去享年八十一 

木槿ゆれ葬儀・告別式しらず夏の日暮れに酒飲んでおる 

茅ヶ崎の海よ明日よ告げざざればいづかたなるか著作権代表人 

夢つむぐきみならでかも花吹雪く禱りの街へ朝のジヨギング 

白骨のなだれゆきしか闇夜(よる)に咲くうすきまぶたの悪の華なれ



 総合サイト「プロメテウス」(2013年10月1日)