落涙の意味は問うなよ
ーー福島泰樹小論



 冬ざれの野に吹く風の音が聞こえる。闇に蠢くぬばたまの夜が長い。何か鬱屈し、荒涼とし、憂愁禁ずべからざるような時、私は福島泰樹の歌集を書庫から取り出して慄然と紐解く。あるいはCDをかけたりして、その短歌絶叫を聞くのである。
そして、地方コンサートから慌ただしく帰った深夜の電話などの終わり際に、
「飲みたいね、泰さん」
 と何気なく言うと、
「おお。また飲(や)るか」
 すかさず潔い言葉が返ってくる。

一期は夢なれどくるわずおりしかば花吹雪せよ日暮まで飲む
                              ーー『転調哀傷歌』

華やぐ酒楼ではいつも豪快な飲みっぷり。
辺りに聞こえる大音声。しかも、福島泰樹の弁舌さわやかに説く現代短歌批判は舌鋒鋭く際限がない。
「短歌(うた=ルビ)が眠っている。言葉は乱れ、軽く、飄々としている」
と最近おりごとに険しくいう福島泰樹の正眼に構えた清新の器量が、集い寄る者たちをどこまでも悲壮に衝つ。まさに「裸馬に一鞭くれる合戦の若武者」(塚本邦雄)そのものに、現代に苛立ち、怒りを露わにする。だが、歌が何であるのか。その結社のありかたや発表される夥しい現代の短歌作品、ましてや歌壇の潮流のことなど、彼にとってほんとうはもうどうでもいいことなのかもしれない。
 
 今少し一つのドラマの文脈を辿れば、福島泰樹が早稲田短歌会の講演依頼のために高橋和巳(一九三一〜一九七一)と会ったのは、遡れば一九六六年十一月のことであった。この一期一会により、堕落解体を己が心情として虚構の知的風土を暴こうとした高橋和巳を総括して、第十八歌集『黒時雨の歌』(一九九五)を上梓するに至るまで三十年を要している。
 
 京都で政治工作の波濤に揺れつつ、同人雑誌『対話』を拠りどころとして気炎を上げていた頃、
「早稲田の福島泰樹に会ってきてね。君も一度会っておくといいね」
 高橋和巳はその“熱血漢”について滔々と語ったのだが、果たして、それは何のメッセージであったのか。自問自答しつつ、その福島泰樹に実際に菊姫一本をぶら下げて会いに行くのに、私は十八年の歳月がかかっている。したたかな水脈が通じるには、それだけの蒼ざめた遍歴が前提だったということか。

その頃、敗北し挫折する状況に身を晒した怒りと絶望が定型韻律の美学の呪型に迸る『バリケード・一九六六年二月』よりも、なぜか、『エチカ・一九六九年以降』『晩秋挽歌』『転調哀傷歌』を経た第五歌集『風に献ず』(一九七六年七月刊)が、愚直な私には何よりも印象深く迫ってきていた。
 東京を離れた愛鷹の山村で過ごす福島泰樹の日々には、孤高の魂の冴えがあった。ここには、政治闘争に己の創造の深層を探り詰めたあとの内部風景が粛状とひろがっている。バリケードを築いた褐色の憤怒の隊列への呼びかけは、深く沈潜した悲しみに転調しているのである。

  椿おちおれはせつなき歌つくる いざ鎌倉へゆくこともなし

絢爛と散りゆくものをあわれめば四月自刃の風の悲鳴よ

昼つらき憂愁にわれ曇りおりぬばたまの夜となりて晴れゆく
                                ーー『風に献ずる』

日本的戦後のジレンマを前に自死した「村上一郎氏に」捧げられている本歌集は、椿が落花し、山月は煌々と照り輝き、その椿の花片をなすこともなく無聊に履き集め、そこから切なき歌をつくるという。東都の紅灯彩旗は遠く、風の悲鳴に日がな唇を噛み締める。

 荒寺の酒徒は、この時、孤絶の煉獄で静かな再生をはかる。それは孤高の鮮血に染め上げられた歌こそが悲しみであり、連帯であり、実存そのものであるということだった。

通俗的な日常の生活などもとより眼目になく、重畳とせまるその男歌の韻律は、時として無神経に繰り返される定型パターンではないかという一部の声も確かにある。だが、知ったことか。その無頼の韻は、つきつめれば鬱然とせめぎあう言霊による叫びそのものであるということだろう。
 
 短歌という韻律の魅力は、その思想性を取り込むと同時に、昏く裂かれた内部の深層を自覚的に紡ぐ。それを詩的真実とした福島泰樹は、独自のリズム、歌謡性に加えて時代に彩られたなみなみならぬ熱い情念の帆柱を血みどろに打ち立てる。他に追随を許さぬパセティックな切り口こそ、時代の要請する不条理であり、非在への痛憤そのものなのである。

 六〇年安保闘争につづく早稲田学館闘争、全共闘運動、連合赤軍事件、そして九・一一以降の状況にと福島泰樹は時代に鋭く切り込んでいるが、その途上で志半ばにして倒れ、阿修羅のように一途に駆け抜けた同志への鎮魂歌も夥しい。

黄昏の架ける橋とぞ高橋よ 光の雨が降り初めにしを

悲しみの器であれば嘆くまい五月 紅蓮の花は散りたり

落涙の意味は問うなよ 堕落とは断罪鬩ぐ巳への意思        
                              ――『黒時雨の歌』

 『時はいま晩秋にして』(『国文学』)で、福島泰樹はその時代の狂気を潜り抜けてきた「永遠の闇」をたぐりよせながら、すでに高橋和巳へ共苦の花束を捧げているのだが、これらの歌の調べはどこか意図的な破調をきたすことによって、かえってその切迫する心のゆらぎが直截に響いてくる。短詩型の呪型に叩き込む情念の沸騰を抑えた妙というべきだろうか。
 
 福島泰樹の鎮魂歌は、かくのごとく、とりもなおさず時代に引き裂かれた者たちへの決然たる呼びかけとなっている。ちなみに、最新刊の『季刊月光』第一号における「月光備忘録」においても、「昨夏ヨリ身辺、死者多ク」としての晩歌六〇首。その語彙も韻律も、青春の悲傷を深く刻み込みながら、「泣き崩れ」「淋しみながら暮れて」「渺々と喚び返し」「浪漫細き瞼に涙ため」「花に嵐のさらばわが友」と絶唱している。死者に憑依した切ない宿業の調べが連綿と奏でられている。

しかし、それにしても、全共闘運動への加担におけるそのラディカルな思想的営為は、とどのつまりは悲痛な内面の巳への断罪そのものであった。ならば、深夜の泥酔、未明の下宿先におけるゆえしれぬ嗚咽のもとに流されつづけた滂沱の涙の意味など、金輪際、問うな。

 それは共に戦い破れた者だけが知る紺青の限りなき羞しさともいわねばなるまいが、三十一音律定型詩もて福島泰樹は、今なお戦いのバリケードの前線に立つ。流血に汚れるシャツを脱ぎ、雨に打たれる創痍の城砦(とりで=ルビ)の中で、泥靴の紐を永遠に結びつづける。激動の時代へ向き合う詩魂は、絶えずみずみずしく炎え上がっている。惰眠を貪りつづける短歌(うた)よ。
 
「浪漫とは、情(こころ)であり、志であり、歌である」というオマージュは、電子情報の浮遊するデジタルな時代に籠められた一つの挟撃なアイロニーだろう。それをしもぐいと引き寄せた蒼白の黙示録として、落涙の意味は問うなよ、と絶叫しているのである。

●『短歌四季』2004年5月号

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