日録●太田代志朗●2026年 

10月29日(金) 晴れ時々曇り。
夕べは10時にはベッドに入り、よく眠った。
起床6時。朝はめっきり寒く、気圧の谷や湿った空気が流れる。
嵯峨日記=幻想劇場は変容する。
・定めなきこそ浮世なれ夢小路、乱行、しぐれにうたふ幻想劇場
時に掌に澤胡桃を弄ばせ、 この武州古城下の陋屋にはてればいいのだと思う。


10月27日(水) 木枯らし。
晴れ。風が冷たく吹き荒れ、まさに北風に身を晒す感じ。
10時前のさいたま新都心駅前も強風で立っていられない。さいたま日赤で血液検査、心電図をとるのに2時間余。循環器のM先生の診察はスムーズに30分待ち、心臓のほうは快調で有難い。とはいえ食事や内服薬の管理など課題も多い。木枯らしに冬のはじまりの街を少し歩いて行こうかとも思ったが、疲れており、混雑する大宮を経て電車でまた陋屋に帰る。手土産にモンブラン。
相次ぐ不正アクセス、情報漏洩。サイバー攻撃 により国家社会が大きく揺れる。AIによる自動化された攻撃でもあるらしい。TVの解説者が「近寄らず、接せず、相手にせず」という。老学のPCにも不審のメールが次々に来襲、こまめに削除しているのだが。


10月25日(日) 小雨。
夕べは眠っていたのか、また夢を見ていたのだったか
朝食終えて近くの野辺をウォーキング50分。時折りの小雨に薄寒く暗い日曜日。老体が重く、あちこちのひずみに何ともやるせなくなくなる。ひと汗かき、家に帰って熱いシャワ-浴びる。
嵯峨日記は幻想劇場になり、「過去と現在、幼年と老年、文学と記憶と現代社会の不穏とが、悲愴のイリュージョンもて同じ舞台で衝突する場所」になった。

夜、NHK Eテレ「古典芸能へ招待」で『源平布引滝・義賢最期』。片岡愛之助奮闘。5月大阪松竹座さよなら公演の歌舞伎である。
その砌、松竹座には梅原猛先生と京都からご一緒したことがあった。懐かしくいろいろなことが思い出される。渋谷天外、勝忠男氏と会い、「太田さんは哲学的でむつかしいこと考えるんですね」と勝さんに言われたのだったか。

10月24日(土) 小雨。16℃。
昨夜の十三夜は隠れて見えなかった。
早朝起床し、朝食終えてから小雨の公園ウォーキング40分。
往く人もまだらで、落葉が散り山茶花が咲いている。
ゆるんだ腰のコルセットを固く締め直し、自分で歩く、考えるのだと。神田の古本祭り行かず、小雨に寒い昼下がり、炬燵にはいって転寝&散読。


10月23日(金) 快晴。
さいたま南西部は朝から穏やかに晴れる。
朝食終えて小径をぶらぶらゆくと、芒野がきれいに刈りあげられいる。芒のなびきに楽しいい一画だったのだが、茫洋とした草地になってしまった。柿の木の実が熟して、住宅地の風景を彩ってる。
昨日はさいたま日赤(整形外科)診察。心臓の緊急救命はじめお世話になっているO先生、腰部も経過順調で、来月腰椎MRIとなる。帰路コクーン(さいたま新都心の大型商業施設)に寄ったりして杖つかず7.0000歩ほど歩いてくる。

17日、村上龍さん74歳、19日、小林信彦さん93歳逝去。合掌。


10月21日(水) 芒野。夏日。
朝食終え薄陽がさす川辺の芒野をぶらぶらしてくる。
白い穂のゆらめきに殺風景な武州の大地が匂う。
この地に40年余棲み、ようやってきたと思う。
午後から晴れあがり、季節外れの陽気になる。
茫漠の日々にて、卒爾無数寄な輩にて似非嵯峨日記。さなり晩節の幻想劇場なりてや。
ーー「ピアノ協奏曲第1番」、若きショパンの感傷とロマン。


10月20(火) 曇り、秋冷。
大型台風が沖縄に接近、不安定な天気。
ここのところ肩が張って夜も眠れず苦しい日々が続いた。
夜にうつらうつらしていると、次々に嫌な夢ばかし見ている。
H整形外科で診察うけレントゲンを撮り、診断は頸椎が異常に狭まっており、変形性椎間板症なり。単なる肩凝りのせいかと思っていたのだが安静第一。鎮痛剤カロナール錠300mgをだしていただく。ーー何とも老体に次々に症状が襲う。
ーー短歌「わが嵯峨日記」40首のWORD原稿喪失し茫然としていたが、ウィルスバスター・サポートで有難く復元。


10月18日(日) 晴天。孫娘とお茶の稽古。
秋が澄み深まる。早朝に芒の穂の光る野辺を少し歩いてくる。
18日は明日香がなくなった同じ日付けにて静かに線香をたてる。
午後、孫娘がきてお茶の稽古。夢幻庵のお軸は梅雪書の「看雲」。中置(五行棚にて)で濃茶、薄茶二服をいただく。終わって女子大生にして友達のこと、旅のこと、食べ歩きのこと、バイトのこと、文化祭で筝曲発表のことなど話してゆく。20歳、健やかに育ち何より。気がついたら、外が暗くなっている。


10月15日(木) 秋晴れ。
朝食を終わり、近くの野辺を少しぶらぶらしてくる。
10時より介護運動スクールで90分。肩が痛く頭が重い日々。
黒井千次さん逝去、94歳。黒井さんは老いてその日常を克明に書き綴っていた。愛読した『五月巡歴』はメーデー事件を経て戦後20余年を問うわが青春の書である。


10月13日(火) 秋日和。
さいたま南西部は穏やかな一日。
きょうはウォーキングもどこか身体重く30分で切り上げる。
午後、茫漠。気がついたら夕闇で寒さがしのびよっている。
「月光」98号(10月号発売)に「風蘭」30首。


10月10日(土) 晴れ。
秋晴れの一日。好天で各地が賑わっている。
家でゆっくり、のんびりーー腰が少しはってきているが、とまれ焦らず無理のない範囲で、術後の安全第一の暮らし。(さいたま日赤の整形外科8日の診察が22日に変更順延)。
磯前順一著『京都 祈りと差別の千二百年』(亜紀書房)読む。
五条橋、六条河原、六道の辻、清水寺など禁忌不浄の世界。
思えば若くその宮川町のお茶屋にはべっていたのだったか。

10月7日(水) 公園ウォーク、金木犀。
晴れ。昼前の公園ウォーク。風あり、金木犀の残り香。
午後、転寝&読書。「ウイーン世紀末文学選」など読む。
そしてマーラ交響曲「大地の歌」(マーラーはウィーン宮廷劇場を去りアメリカに渡る)。レコードのカバー絵にパルティニールの「地獄の渡し守カロン」あり。


10月6日(火) 「辻村寿三郎 人形曼荼羅」。
家の近くの岩槻人形博物館で「辻村寿三郎 人形曼荼羅」をみる。
寿三郎没後の大回顧展。小体のホールだが熱気に満ちている。
じかに見るのは始めてのことで、独創的で妖艶な人形群が、その濃密な物語性をもってせまる。
「 伏姫」(「新八犬伝」より)、白雪(「夜叉ケ池」より)はじめ、清盛、西行、祇園女御(「平家物語」より)など妖しの人形曼荼羅である。


10月5日(月) 自分の足で歩く、書く、考える。
時雨に公園ウォーク50分。肌寒い一日、何か調子がもう一つあがらない。
ウォーキングができているからといってムリは禁物。とまれ自分の足で歩く、書く、考えること」と。ーー野口富士男『誅歌』、中村哲郎『歌舞伎の近代』読む。


10月3日(土) 秋晴れ。
朝から住宅地自治会による秋の清掃。
皆さんと一緒に道路脇や公園の雑草取りでひと汗かく。

午後、図書館に本を返してから公園ウォーク40分。
家族連れや子どもたちで賑わっている。
いつもの菖蒲ケ池を一周して、櫻の老木の間を抜ける。
美しい芝生の150Y、光と緑が映える。
足取りも軽くなり、ラウンドしているような浮かれた気持になる。さりながらゴルフも、もう気軽にできぬのだろうて。


10月2日(金) 晴れ、公園ウォーク60分。
秋が深まる。小庭の手入れも楽しくなる。
さいたま南東部は雨続きの日々が嘘のように陽の光りが眩しい。
昼前の公園、快調な足どりでウォーク50分。スクワット20回。
芝生がきれいに刈りあげられ、コスモスが揺れている。
風が冷たかったが、歩いていると身体が火照ってくる。
家人の松風の会。夢幻庵、名残の茶会。大樋焼の茶碗で一服。
夜はリビングのソファにふんぞり返り、TVに昭和のムード歌謡を聞いている。
モーレツとビューティフルな1980年代の風景が何とも懐かしく思いだされる。

10月1日(木) 晴れ。神無月。
台風27号が去り、澄んだ青空が広がる。
家人の病院付き添いで9時前にM総合病院。MRIや心電図など検査で時間がかかる。
それが終わり午後2時。今度はS総合病院(循環器内科)に向かい、自分の3カ月診察。経過良好だと思っているのだが、検体検査で腎臓の数値悪くeGFR 36.0(正常:60.0以上)。「まだ透析することでありません」といわれるが正常安泰でなく、新たに薬を調合していただく。水に混濁して飲むロケルマなどクスリ代金22.000円也(3カ月分)。

今年早々2月に緊急救命センターによる心臓手術、また9月に脊柱管狭窄症の手術とあり、大きな山を越えた。心臓と脊髄の負担はまだ残っており、疲労を感じる前のこまめな休息を心がけている。焦らずゆっくり過ごそうと思う。


日録サイト:2002年7月~2026年10月

WEBサイト「花月流伝」は2002年7月より開信。
掌篇、短歌、高橋和巳研究、書評、エッセイ、著書目録など随時編纂・発信。
しかるに、多くのデータが遺憾ながら消失されている。

鋭意検討中だが、その大半は老学無才にて手に負えないでいる。

さあれ、ネットワーク時代をひめやかに思索、迷走、
わが意識の天頂をいろどる暗黒の形而上学。
文学終焉の荒野に、「ロマンと鎮魂」の黙示録をたどる
。
*
清かなる夜叉にしあらば醒めゆきて花幾千の夢にまぎれよ


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