| 日録●太田代志朗●2026年 |
3月5日(木) さいたま赤十字病院。 晴れているが北風が朝から吹き荒れる。 さいたま赤十字病院(循環器内科)の退院後2週間目の診察。心電図・血液検査で1時間あまりかかったが、順調な経過。特に心臓リハビリを受ける必要なく、運動スクールなどで体力調整をはかることもよいとのこと。「順調」とはいえ、心臓の回復には数ヶ月〜1年ほどの長いスパンが必要。また整形外科の脊柱管狭窄症の手術は今後の体調をみて4、5カ月先の見通しになる。 ーー帰宅してひと休み。年老い、健やかな生活をと感謝して生きる。 3月4日(水) 雨のち晴。強風。 くれなゐの雨ふるこゝろ春乃雨老いにけらしな老いざらめやもーー山中智恵子 七十二候は「草木萌動」、奈良のお水取りも始まった。 昼前に雨が上がり、青い空が広がる。小公園を跛行2.500歩。 ・流離の思想にありて花の雪 3月3日(火) 「図書新聞」の終刊。 桃の節句。朝から雨が降っている。箱根で大雪。 しのつく春の雨に冬の寒さとなる。 『図書新聞』がこの3月をもって終刊。 「文学・芸術・学術・思想・ノンフィクションや児童書などの書評をはじめ、映画評や美術批評、社会批評や時代批判の言論」で時代を切り開いた。井出彰さん(社長・編集長)に「短歌時評」を書けと促され、1990年1月から1年間書きつぎ、担当の藤沢周さんは「ネオ・ロマン派の歌人」といって持ち上げてくれた。短歌時評を経てその後、定期的な書評を受け持ち、どんどん新刊書が送られたりして、意欲的に執筆した。思えばさまざまなジャンルの本をとりあげた。 井出さんは困難な経営に向かいながら、「小説やエッセイを得意とする文人肌」でいつも見守ってくれていた。「高橋和巳電子全集」12巻(小学館)の編纂・解題を終え、その総括を書かしてもらおうと思っていたが、その井出さんが亡くなり、担当者が変わり、梨のツブテになってしまった。文学の責任と時代の憂愁が迫る。年々歳々花相似たり、人同じからず、である。 ・春雨や朝のカフェオレ飲み干しぬ 3月2日(月) 鬱金櫻。 曇天。昼前のスポーツ公園。ムリできず時々座って休憩。跛行3.000歩。 分祠の荒れた境内に早咲きの花(鬱金櫻)が咲いている。 そして、リビングに小さな雛人形を飾り、雛あられをポリポリ。 世にいう断捨離、終活ならざるも蔵書半分を処理しなお4連移動書庫あり。 さて、横尾忠則のシルクスクリーンのポスター三島由紀夫原作『椿説弓張月』は、わが書卓に夢幻の艶をくりひろげる。国立劇場で一緒に観劇した高橋和巳はもう酒も飲めず体調が一向に思わしくなかったが、「幕切れで為朝が白馬にまたがって去りゆく幻想的なところはよかったな」とポツリといった。その秘蔵のポスターは、神田K書店では5万円で引き取るというが、そんな巡りも嫌なことで、いづれ奴がれの骨紛にまぎれゆくはや。 ・断罪にわが発狂の花の闇 3月1日(日) 晴れ、弥生。 晴れ。3月早春の陽ざしに身も心もほぐれる。 城址公園で流し雛。町は雛めぐりで賑わっている。 昼前、所用あり大宮に出る。ここから氷川神社に詣で、大宮公園、盆栽村へのいつものコースをと思っていたが、跛行3.000歩でダウン。エキナカで大船軒の鯵の押し寿司を買って帰る。ーー夜、月煌々。 ・梅匂ひ狂ひゆくはや老残も 名月無片墨、座梅盛開、芳香四散、家中無人、一身徘徊ーー名月記。 |
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