詩歌の風景
”あはれ”と”しほれ”のパトロジー



●花しぐれゆるがるかなたすべもなきわがうつそみのいのちあらしめ

ゆめ、ねむり、いのち・・・・、記憶はいつもおぼつかない。やがて止まってしまうオルゴール、無力なかりそめの時間のながれ。やわらかいそよぎに、ふとゆうぐれの死者と遊んでいる。すべもなく、すこしずつ、ほんのすこしずつ、締めつけてゆくてのひら。なみだ、ささやき、くちびる・・・・。
いったいどこに行けばいいの。好きなものなんてありはしない。

昼下がりの窓辺にたたずめば、ふと春の海辺のホテルを予約している。気まぐれな一人旅。港町、心酔わせるはじめての物語。もしも、愛が裏切りだというなら、それはわたしのことなのかもしれない。かなしみ、ゆらぎ、ほほえみ・・・・。はなしぐれ、そのかがやく闇にうずくまったまま。

●花の下にて春死なむ彼奴
(きやつ)の歌のあはれなり狂はずにゐる

なぜ隠遁したのだったか。

詩歌にあけくれ、花と月に焦がれ、なにゆえ漂泊の旅にその生をかけたのだったか。世俗に背を向け、死を予期した歌は凄惨なまでにうつくしい。それこそ、春に散る花の虚実であり、歴史の彼方にたちすくむ己の戦乱そのものであったのか。

いや、待て。
人が彼奴をして風雅といい、風狂というのはたやすい。おれはこの男の詩情を冷酷につきはなしておくことにしよう。なに? 花とな。月とな。ええい、戯言(たわごと)はよしてくれ。今宵、酌む酒の味がまずくなる。これ以上、おれじしんが狂わぬためにも、よ。

●その夜を百合もて発(た)てばさばかりの偽花伝書の行方知らずも

夜の闇につつまれ、静寂が言葉を断つ。百合の花束を左手(ゆんで)にかかえ、人知れず出立しよう。

 『風姿花伝』は、世阿弥の畢生の芸術論。「幽玄無上の風体(ふうてい)」こそ花の奥義であったか。おお、そうよ。時分の花、声の花、幽玄の花とな。ふむ。漂泊の手猿楽にいったいなにがわかろうてか。乱らば乱れ。生きなば生きよ。知らいでか。花などなんの未練。今、そのかなしみのさきにきらめく偽花伝書。世にもうつくしくまとめあげられた苦悩の詩篇。
――おれは一座の栄光と流亡の歴史を残したかったのだ。

●夏さりて遁れ来し汗の掌(て)にまた嘉(よみ)しつゝ「甲冑を愛す」と

気まぐれな季節の終わりに、「さらば夏の光よ」と、それがわたしの悪の華への手紙の最後のフレーズだった。

「まどろめば夏に決然とわれら歌に亡ぶを・・・・」とも書き、結局、誰にも知らせず舞踏会の手帖を捜すために湖国への旅に出たのだった。

「甲冑を愛す」とは、長年つきあってきていた友人の台詞で、酒を酌みかわしてはお互いの志を通じ合っていたのだが、このところなぜか会っていない。

その夏、湖上のホテルでわたしは新作能を書き上げた。
奥吉野に非業の死をとげた後南朝の最後の皇子を主題にした修羅能だった。

●こゝ過ぎて駆けつけきたる鳥羽院はあらづ激情(こころ)に燃へ焼き落ちぬ

鵺が啼く。

妖艶と修羅の風が吹きあげる。亡魂が徘徊し、悪鬼たちが跳梁跋扈する。地獄巡りの炎熱に身を焼き焦がし、破れ衣をまとってたむろしている者どもが大声を上げ喚いていた。

駆けつけていったのだ。いったい誰が火をかけたのか。さかまく火炎に鳥羽院が轟音を立てる。大焦熱(だいしょうねつ)の煙にまかれて、白い楼門や御堂の甍が崩れはてる。

百韻連歌会や浄土双六、猿楽酒宴も、かくて昔日の夢になってしまった・・・・。浮世の中のさがなれば、身を憂きとこそおもいしに、狂いの舞いのおそろしや。歌えや歌え身をうらみ、あわれ昔の恋しさや、露のいのちのかぎりなり。

●武州岩槻城本丸跡小庵にさればおもひの白椿なれ

今年は、京都で修業したという老練な庭師に頼んで小さな庭に白椿を植えてもらった。

「よござんす。一つは姫白椿(ひめしゃら)にしておきましょう」
結局、二本の花木が玄関脇の露路に植えられ、その白椿が幾日もせずに花を開いた。
愛らしく白い小さな花だった。

人生の節目にごとに、わたしはいくつかの花や木々に出会ってきたように思う。縁あって武州岩槻城址に住んで三十年余。落城の里に孤魂流落、風が立ち翠したたる。
――老いにけらしもわが夏椿よ。

●狂言師 幼きピエロと昏れおちてねむる愛(かな)しき五山送り火

くれおちてからねむる。ねむりにねむり、ふと目覚めれば蛍が飛び交っていた。その蛍の光をぼんやり追いながら、まだゆめうつつにあだし野をさまよっているようだった。

わたしたちのあだし野、わたしたちの不在の愛のしらべ。

うちしおれた夜々の声。
世界を揺さぶることなんて、もうとっくにかんがえていない。くだらぬ俗悪に染まって生きることよりも、この亀裂にふかくくちづけしてみる。ひとを愛せぬゆえに星の数ほど愛するというひとのまどろみ、その頬にあかあかと映える五山送り火。

●詩人(うたびと)の血の流れゆくさみだれの午後にてあらば急げ上洛

建久四年(一一九三)、左大臣九條良経の第で催された六百番歌合。

題は四季と恋、それぞれ五十。作者は主家の良経をはじめ、慈円、定家、隆信、寂連、家隆など名うての十二人。空前絶後、絢爛の歌会は、おもえば中世の闇をつらぬく美の饗宴であった。
官能と妖艶のかぎりのむせびであった。

ならば、ここに熾烈のデモンの血が流されなければならぬ。運命の奈落に向い、悪胤のエロスがはじけなければならぬ。
いそごう、修羅の生涯をつむぐためにもいそいで参ろう。さみだれの午後に。

●たたら夢のうちなる血みどろな夜を背反(そむ)き祈るも義にてありけり

そう、復讐ゆえにゆるされる一つの物語。蒼く、膿みただれてゆく世を生きることなど、たかがしれている。そうよ。所詮、ゆめともうつつともしれぬ今日がかぎり。もしも、義というものをつらぬくことができないなら、夜の荒野に絶叫してみよう。

もう肩肘張ったことはなにもしたくないのだが、それでも、いさぎよく己に決着をつけなければならないときだってある。不信をかさね、血みどろな夜にそむいても、よろよろと弱法師(よろぼし)のようにあるきながら、またつぶやくわが汚辱と悔恨のつややかなラプソディ。

●なだれおちゆく紅葉(はな)のゆくへのいづこひたすらに愛せよ

このまま、見境もなくなだれてゆくか。紅葉(はな)がゆらぎ、ときめき、おののく。
そしてつぶやき、哀れに華やぐ。

刺しとおす夢とおもえば、人を愛したその日から、苦しみがはじまったのだ。
かなしいさけびがふきあげる。あかときのめざめにきらめく光、はらはらした息づかい、いやはての否定と絶望。きみのまぶたに告げれば、秋はゆうぐれて、それでも、それでもひたすらにかそけく愛せよ。

●悪小路花山院通り月見町糺河原に佇ちし逆髪

漆黒の闇がよどむ。ひしめきあう。
京の都は一揆や兵乱に焦土と化していた。悪小路には腐乱する死体が折り重なった。ふと、あやかしの影がよぎる。匂いやかな衣擦れとともに、一人の女がひとけのない花山院通りから月見町へあゆむ。

ひととき、闇が一条の光に揺れた。
逆髪とは醍醐天皇の第三皇女。
悪行のむくいでこころがみだれ、髪が逆さまに生えている。その異形のすがたこそ、前世のあわれな罪業そのものだった。

今宵、糺河原の風が冷たい。月よ。なんと運命は残酷なのだ。無情の髪がかなしみといかりになびく。ああ、地獄も仏のうちよ。わたしはみにくくはじらいながら、どこまでさまよいつづけなければならないのだろう。

●くれなゐうつせみかのこゝろまぼろし血痕おぼろ扇投げ放(す)

くれない、うつせみ、こころ、まぼろし・・・・。

あわいゆうべの、なんとなくものぐるおしく、おぼろおぼろにかぎりなく・・・・。いそぐべくなにもないゆえに、よりどころなく・・・・。そして、かりそめに、ただゆかしめよ。むなしく、にじみゆく血痕の解けゆきて、いたくもなくじっとみつめ、もう息絶えるようにせつなく、しぼみゆくばかり。さらば、愛しあうひとりなければ沁みてむなしきを、そっと扇を投げすてよ。かすかな死者のうたがながれゆく、夜のみずうみに。

●中世歌壇史の花月夢想百韻 近江出陣の名残の歌会

今一つ確認しておこう。
そう、畢竟、詩歌(うた)とは死をかけて愛するものだ。名残の歌会は久方に興が乗っておもしろかった。歌はひとをおそれもなく狂わせる。

さて、館に戻れば月が血を浴びてのけぞる。闇をついて兵馬がひしめきあう。二条河原に砂塵があがる。ほどなく出陣の時刻。鹿の子絞りの直垂に緋縅(ひおどし)の鎧。黄金づくりの太刀(たち)を帯(は)き、背筋を真直ぐに伸ばす。生きのこるためにはこの戦乱の世を凌がねばならぬ。決意を秘めたくちびるをかたく引きむすぶ。
ふぶく夜のことごとく、近江出陣とはわがゆめのはてのそよぎ。

●言霊(ことだま)のさきはふ国ぞ秋時雨さらば過ぎこし男のこころ

払暁、さわやかな目覚めだった。

カフェ・オレを飲みながらネクタイをしめた。
髭剃りあとも、いつになくすがすがしい。マーラーの交響曲第五番・第四楽章アダージェットが昂まる。“しほれ”の美学については、もはや二条良基卿の書状に任せておけばいい。

老舗料亭水月の懐石料理もおいしくいただいた。若女将にもご挨拶申し上げた。
帰宅した最後の夜は香をたく。そして、岳父譲りの愛用の古田織部好み絵志野茶碗で一服の茶をたてる。

美少年に恋して苦悩するベニスに滞在中のグスタフ・フォン・アッシェンバハへの手紙には、筆に硯を引き寄せ越前の手漉き和紙に、「さらば、永久(とわ)なる男のこころ」とよ。

●行け早くわが恋なればほゝゑむを夜霧に濡れしカサブランカよ

永久の乳房は迷宮の愛の錘(おもり)に、薔薇、胎児、革命――青醒めて目をつむる。

恋と革命の季節に、あなたは涙をぬぐったのでした。コスモスの花がゆれ、血に飢えた月光の夜になにを信じてゆけというのですか。仏領モロッコの都市カサブランカはナチの手を逃れて自由を求めて渡米する人々で賑わう都市。
リック、あなたとこんなころで会うなんて、なんという運命のいたずら。

愛を誓いあったパリの日々。
でも、裏切ってしまったのね。そして、カサブランカの空港の夜霧に濡れて、無頼のあなたはいつまでも無頼のまま、そのはげしい思いをコートにつつみこみ、これからいったいどこへゆくというの。 “アズ・タイム・ゴーズ・バイ”、時の過ぎゆくままに。

いいの、いいのね。二人だけのかなしみの夢を秘めて、さようなら。

●ながらへて風の刺客にあらざればまた書き急ぐ去年(きぞ)の列伝

日月(じつげつ)、人を擲(す)てて去るか。いや、
風の刺客が無頼の歳月に一閃を放ってほろんでゆこうとも、いますこし歌とともに生きよ。冬ざれに夕光(ゆうかげ)がふかまりゆくなかで、こころざしうちはえて、わが一期つらぬきとめぬことなく書きいそぐ。ひたすらに法下してたゆたい、ゆらぐ罪と祷りの紺青の列伝。

●まぼろしの雪降りつもりきさらぎの汨羅(べきら)にうたふ士にあらざるも

明けぬればきさらぎの光と闇。

(こん)よ反れ、と冷たくうちふるえる。
それにしても、あの夜の雪はまぼろしであったのか。雪よ。それが孤独と悲哀のあかしというなら、いくらでも静かに堪えていよう。愛すべき愚かさにすべてがうちくだかれた。たきつこころになおも吟(さまよ)いて夢になせや、と高貴な血がさわぐ。

信義にこそ生きつらぬき、ゆきゆきて君はきさらぎの山河にはてざるや。

●破滅する<党派>にあらばひとたびの愛に祷れる雪の曙

そう、いまさら傷ついた青春の日々を恨むことなんてすこしもない。
失敗はあった。悔やみ、つめたく裏切られたこともあった。苦しい破滅と解体の季節だった。

そうかといって、なにも理由なく年を重ねてきたわけではけっしてない。粋がることはないが、それはそれでよかったのだろう。すべてしらざるものへ、思い出を共有した人々が遠くに感じられないうちに、友よ、歌のわかれは歌のはじめであったのだ、と。

わが雪の曙。こころのはてのまぼろし。

●国籍不明の潜水艦 敦賀半島に上陸の朝もジョギング

大陸間弾道ミサイル発射の報に首相は国家緊急非情事態を宣言、ただちに戦時体制がしかれ安全保障会議がひらかれた。戦略防衛本部のメンバーは錯綜する情報の整理に忙殺されている。

だが、その朝も私はスニーカーの紐をかたくむすぶ。家をでて川辺の桜並木から、公園のジョギングコースにむかう。明るい冬の陽差しがまぶしい。自分自身に執着せずに自由になる。心のからまりからはなれ、流れる風をいっぱいに吸いこむ。大きくはく息がこころよいリズムをかなでる。

いや、これもいってみれば虚妄の戦後民主主義のもとにそだてられた老いぼれのニヒリズム。おもえば、「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾ガ事ニ非(あら)ず」とつぶやいたのは群盗放火が横行し、天変地異が頻発した乱世の美の使途のたわごとだったか・・。

国籍不明の潜水艦は書斎の波間にまで出没する。
 
●同士、江戸遊学から帰りて冬の夜に決起す最後の謀叛

遊学からかえって、なにをまた急ぐことがあったのか。「昨夜の楼酒老骨にしみ・・・・」としるして端座黙考。
謡いおわりほてりくるその夜、かねての決行がしらされたのだった。

無念の意地も、渇きのゆめも、そしてやさしいはじらいもわれをみすててゆくなれば、またも謀叛にかける冬の月に甘美な痛みがはしる。
 
●吐血して三月(みつき)嘯きながらへてうすづみいろの忍ぶ恋かな

ながらえて生き肌の哀しみをあらえば、水髪がなびく。
吐血してなおもつのるくるしみに、もはや一身をのがれきることはできない。ふりさけみれば寒き水仙の一輪ゆれ、影も形もこの忍ぶ恋にくずおれ、からみあい、とけあったまましずんでゆく。かくてあわれ恋情に燃える三月(みつき)、腰折は身も蓋もなく、みじめにうそぶきつづけるしかないのだろう。

●なにがそないかなしおすの 夜半になに告ぐべきか雪降りしきる

懐かしい温もりのある風景。
永訣から再生へのやすらぎのパトス。
さらされつづけた愛の記憶よ。

でも、いっさいのこころの重荷から逃れることなんてできやしない。そういって笑った。
「うたよみを殺(あや)めゆうぐれうなづけばそこもとしばしお待ち候」といって、老残は遠くに目をやり、またほほえんでみた。

雪の茶に招かれた帰りのことだった。
雪明かりの露地から逃れるようにして身をかがめ、なにがそないにかなしいのか、わからなかった。

北山通りに出てコートの襟をしめていた。そして、降りしきる雪に、ふと「さりあえぬ人もありけり・・・・」とつぶやいていのだった。

『高翔』第50号(社団法人自動車技術会関東支部報) 2008/OCTOBER

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