【梅原猛「神と仏」対論集4「神仏のしづめ」(角川学芸出版)

怨霊鎮魂の能の再生復活を
――世阿弥の新たな深層のエロス



思えば、能とは玲瓏たる反世界そのものの叫びでなかったか。鎮魂の中世において卑賤なる美意識を戦略的に培養させ、その極北の歌舞の原風景を開花させていったのではなかったのか。

本書は梅原猛「神と仏」対論集シリーズ・第四巻「神仏のしづめ」、能楽研究者松岡心平を招いて白熱の能芸論が展開されている。

世阿弥に親灸する論客は多く、右顧左眄の秘すれば花と粋がる当代随一の評者も枚挙にいとまがない。しかるに、それらはいずれも根源的な「生きた世阿弥」を明らかにするものではなかった。ゆえに、この対論では、何よりも怨霊やディオニュソス的な世界が無惨に切り捨てられた近代能楽論を厳しく論断することからはじまる。

「秦河勝を通じて世阿弥が私に乗り移った」とする博大な梅原日本学の洞察は深く、「私は観阿弥、世阿弥によってつくられた能の誕生をニーチェの悲劇の誕生に比していますが、日本の悲劇は作者自身が悲劇の対象になったという点でギリシャ悲劇とは違います」という。

すなわち、従来の能の研究は観阿弥、世阿弥と政治との関係が追求不十分で、そこからは観阿弥、世阿弥の悲劇性がまったく理解されていない。世阿弥の作品の中に色濃く流れる「反逆の血」こそ、とりもなおさず観世猿楽をおおう動かし難い死の恐怖を意味しているものであろう。「父が殺され、息子元雅も殺されている。しかし、元雅が殺された事実がないとあの悲惨な嘆きは理解できない。今の能楽研究者は人間の哀しみに鈍感です」と、論鋒は峻烈を極める。

確かに、世阿弥は、いまだ必ずしも全体像がつまびらかではない。

南北朝合一の明徳三年(一三九二)から応仁元年(一四六七)の七十五年間、いってみればそれが「猿楽の能」が生み出された期間だった。観阿弥一座が将軍文化圏の花の座に組み込まれ、一世を風靡するのもつかの間、パトロンである義満の死後、猿楽のスターの座は目まぐるしく変転し、世阿弥の運命は刻々と衰滅に向う。

亡魂が徘徊し、悪鬼たちが跳梁跋扈していた。破れ衣をまとい風塵の辻でたむろする漂泊の賤民的雑芸集団がその内面の危機とともに火炎さかまく乱世への回路として謀るには、とりもなおさず、神話・宗教・物語・説話・軍記・和歌・寺社縁起・伝承をはじめとした隣接芸能を暗愁にみちた共同幻想の規範に煮詰めてゆくことだった。それはまた猿楽芸能民に課された多彩な文化装置たる能の位相を、地獄巡りの炎熱に身を焼き焦がしながらも相対的に高めることにほかならない。だが、原初の内部世界は復活祭祀の予祝性に、鬱積した激情とともに余儀なく解体される。

南朝・後南朝の皇胤、またその関連者はことごとく断絶せよ。それが足利幕府の歴代の至上命令だった。ゆえに、南朝スパイ説のもとに父観阿弥、息子元雅は有無をいわせず殺害される。また、晩年の世阿弥も栄光の座から追放され、佐渡流罪となるのである。それは戦後発見されて以来、今日にいたってもなお真偽説に揺れ動く、世阿弥の祖父家である上島家の古文書「観世福田系図」が証明していることだが、この背景なくして、世阿弥以前、世阿弥、世阿弥以後の鎮魂と救済なき悲劇の実相は何一つとして浮き彫りにされない。つまり、苛烈な歴史を縦糸に、観世一族の系譜・出自を横糸に、いまこそ周到綿密な研究が行われなければならない、ということなのだろう。

こうした中で、華やかな曲でない異形の哀しみにみちた能『鵺』を絶賛し、ここには世阿弥の暗い運命が暗示されていると指摘。

「『鵺』は花もなく幽玄でもありませんがものすごい劇です」という梅原猛は、新作能『河勝』の大阪城薪能公演を目前にひかえ、壮大な世阿弥三部作も着々とはかどる。

この怨霊鎮魂の呪師を前にして、暗黒の中世精神史を考察する松岡心平は、万感のおもいで研鑽積んだ能舞台の美しい夢さながら、血の翳りにうごめく中世のありかを説き、研ぎ澄む目でこととい、端然とうなずく。だが、長年、実践的な能のプログラムに携ってきたこの人にして、「歴史的な実証主義を中心とする能の学界では、私も異端でしょう」と、実証主義を打ち破らないかぎり世阿弥の魂や闇に迫れないとしていることも興味深い。

本書は、これまでになく序破急の変化に富み、放胆自在に駆け巡る。対論のノリ具合は時に一変したりするも、能の様相を一閃の光芒のうちに鮮やかに照らし出す。天才、観阿弥・世阿弥、なかんずく観世元雅の実存哲学的不安や金春禅竹の凄絶な修験の世界についてなど、熱狂と陶酔の夢幻の舞台の篝火が痛切に燃え上がる。

われわれはこの予兆にみちた対論を、近代が忘れた豊饒な中世の地熱の放射として、襟をただして聞くべきだろう。序の舞のシテの動きとともに中世の闇が鋭く切り裂かれ、新たな能の深層が解明される。

世阿弥の漆黒のエロスは、ここにはじめて鮮烈に弾けようとしている。

『図書新聞』(2008年8月16日号)

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