能における新たな文学性・思想性

文献学的研究の解放から「能を知る楽しみ」へ

監修:梅原猛 観世清和
編集委員:天野文雄 土屋恵一郎 中沢新一 松岡心平


@『翁と観阿弥ーー能の誕生
A『世阿弥
ーー神と修羅と恋

発行:角川学芸出版



 能楽は日本独自の舞台芸術であり、世界無形遺産に指定されている。能楽堂は数年先まで予約でうずまり、月並能や薪能などファンが押し寄せ、今や流派を超え空前の隆盛を呈しているようだ。研究、評論、対談など適宜行われ、能楽研究や芸能史研究も近年著しく深められている。だが、一部に注釈誇りの衒学がはびこり、一部「慎重な検討」が必要であるようにもいわれている。

こうした中で本書「能をしるたのしみ」シリーズは、日本芸能思想史の未だ解明されぬ根源の闇にせまる。中世を彩る宗教思想史や文学性に何より力点を置いている。そのために本書は能の「文献学的研究」からの解放であるという。哲学者、観世宗家、能楽研究者、能楽評論家、人類学者など当代切っての識者が監修・編集委員となって鮮やかな論陣を張る。収録された論考は単なる通史的叙述に終わるのでなく、アナロジーとしての中世室町の漂泊と遊芸の回路を開く。語り口は躍動感にみち、むんと匂う猿楽芸の同時代感の光芒をいやがうえにも色濃く放つ。

第一巻「翁と観阿弥――能の誕生」では、「翁」の舞いが猿楽の根本であり、「翁」は神事である。すなわち「翁」は年頭の天下泰平、国土安穏を祈念する法会であった。だが、なおも翁の発生は謎につつまれている。

翁の成立に関しては修正会や修二会に出仕する法呪師(僧の所役)や呪師(猿楽の一種とされる芸能者)との関係が深く、仏教建築の本堂後方の空間である「後戸」において祭祀的芸能たる猿楽が演じられたという。

芸能史学会において後戸研究はすでに深められてきていることだが、その後戸というのは猿楽の詰所であり、一種カーニバル空間であったのだろう。猿楽から能への自立した演劇的融解のしつらいであったといえる。さらに後戸の神は渡来の魔多羅神であり、この魔多羅神はディオニュソスである。

神がかりで呪術的な奈良豆比古神社の翁舞のことも注目される。そして、秦河勝信仰とともに翁=魔多羅神=宿神の構図を描く辺境の芸能民の深層のアイデンティティについてなど教えられること、考えさせられることがあった。 

混沌たる座の流動の中で、大和に一座を構えた観世座観阿弥が曲舞を取り入れ、観衆好みの台本により魅力的な舞台をつくる。劇能が主だった観阿弥の畢生の名曲「自然居士」は、ディアレクティークな問答により「深い思想性」が含まれているという。

荒ぶる神を鎮め、そこに仕え演じる卑賤の猿楽集団の実態がまざまざと浮かんでくる。「能を伝えた河原者は、弥生人である大和政権に最後まで抵抗し、それゆえ差別された縄文の遺民でないかと考えている。その縄文の遺民が、中国や朝鮮から移入された雅楽の影響をうけながら、このすばらしい能を作った」とする梅原日本学は古代から中世に視点をうつし、猿楽芸能民の根源を明かして慄然とせまる。

鎮魂と祈祷の祭式は新たな芸能へと変換される。世阿弥の登場により能楽が成立する。第二巻「世阿弥――神と修羅と恋」では、世阿弥のパトスが炸裂する。「世阿弥の亡霊・幽霊・怨霊の追究にはものすごく強いものがある。これが世阿弥の能を解く鍵である」と。

かくて内なるデモンとともに、世阿弥の本領である「敦盛」「井筒」「西行桜」「恋の重荷」「鵺」などの名曲が、「鬼」「狂い」「恋」のテーマのもとに、その世界の新たな息吹を引きだしている。

また修羅能は冥界からの叫び、王権から追放されたスケープゴートたちの亡霊が闇夜に火炎を放って凄まじく襲いかかる。シテは霊力によって舞台に現出し、月明かりや海の波間のゆらぎに回向され、成仏してゆく。「清経」「頼政」「敦盛「忠盛」「八島」など、修羅の亡霊のあえぎが痛切に心を衝いてくる。

それにしても世阿弥にとって、鬼は格闘の対象であり、邪魔者であり排除しなければならないものだった。自立する芸能のありようとして、それは大きな課題であったといえる。よって夢幻能の創造のために鬼を排除し、最終的に「班女」や「花筐」などの物狂態にいたる。いってみれば幽玄なる夢幻能こそ世阿弥の美意識であり、戦略的な文化装置であった。「深い闇の中で輝く芸術とした世阿弥」の位相が狂熱おびて明らかにされるのである。ならば、幽玄の極致として女物狂いの世阿弥の舞台を改めて見たい、と本書をめくりながらしきりに思った。漆黒の闇夜に鬱金の狂女扇が切なく舞った。

多様な情報環境から編まれる耳ざわりなコンテンツ任せの伝統文化モードを向こうに、本書は何より現代能楽へスリリングに案内してくれる。基本資料として能楽の新たな地平を切り拓いている。曲の解説やその現代語訳を始め、舞台一筋に芸(シテ方、狂言、笛、鼓、太鼓など)に道を究めた芸談も味わい深く興趣をそそる。加えて広範な論考を圧巻六百頁前後に収め、造本・デザインも粋に仕上げる編集ポリシーもラディカルでしなやかにしてひときわ冴える。つづく第三巻「元雅と禅竹――夢と死とエロス」、第四巻「信光と世阿弥以後――異類とスペクタル」も期待したい。

折しも観阿弥生誕六百八十年、世阿弥生誕六百五十年。
スーパー能「世阿弥」が東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で上演された。
現代語のせりふを能の節に乗せ、聞くだけで情景が目に浮かぶ新作能であった。
残花舞い散る満都の喝采をあびた。


『図書新聞』(2013年6月22日号)


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