日録●太田代志朗●2025年 

10月9日(木) 台風22号は伊豆諸島を通過。
当地は時々薄日がさし、定例の運動スクールで90分。
脚が痛いが何とかトレーナーに従って、こなしていく。
桐野夏生『バラカ』を一気に読む。狂気が炸裂するディストピア小説。
また、中村哲郎著『歌舞伎の近代』再読するが、その最終章の梅原猛のスーパー劇、”ロマンの病”がおりなす超近代歌舞伎の誕生。あの見せられた台本の台詞など、一つ一つが軽く浮いて読めなかったのだけれど。
津野海太郎氏の「語るーー人生の贈りもの(朝日新聞)が始まっている。


10月7日(火) 曇後晴れ。
金木犀の香り、午後から晴れる。
気が乗らず、香を炊き、端座黙然。
昨日は中秋の名月も知らず、早く床につき眠ってしまった。
ーー自民新総裁、裏金保守フェイクのあわいに自壊していくのだろう。


10月4日(土) 曇り、雨。
朝からどんより曇り、小雨。うかない土曜日。
秋桜や竜胆が終わり、木犀がまもなく香ってくるだろう。
「歌人・濱梨花枝の企画展・講演会」(10月11日~12月7日、さいたま文学館)。
飛高敬さんの講演会には参席したく、さて杖行してでも。


10月3日(金) 曇り。
七十二候は「水始涸」( みず はじめて かるる)
田んぼの水を抜いて稲刈りの準備をする時期。
新米が店頭に並び初め、わが家でも早速”あきたこまち”。
家人の茶稽古で「夢幻庵」にお客さま。その準備で家周りの清掃お茶菓子のかいつけ。
ーー曇り日でしんみり入り込んでしまうような一日。
然り、「書くためのモチベーションは、書くことによって維持される」。


10月2日(木) 晴れ。
晴れて澄みわたり、過ごしやすい日々となった。
運動スクールで90分。いつもの楽しいプログラム。
終わって気持ちよい疲れを覚える。
ーー日の暮れが早く、夜、窓に半月、煌々。

「図書新聞」が来年3月で終刊、77年の歴史の幕を閉じる。
当初、井出彰さんのすすめで「短歌時評」を引き受けた。担当は藤沢周さんだった。
硬派の人文・思想書の書評紙の編集経営に苦闘する井出さんは、次々に新たな本をおくりつけ浅学の執筆をうながした。その井出さんが亡くなり淋しくなったが、ひきつづき「世阿弥」や「魔多羅神」など衝かれるようして書き上げた。


10月1日(水) 神無月。
いよいよ10月スタートになった。
早朝に起床。辺りが小雨にけむっている。
小公園の脇の小径の白い彼岸花を1輪摘んでくる。
ーーどんどん時が過ぎる。今年も残り3カ月。

相変わらず十分なウォーキングはできず、足をかばう間欠性跛行なり。
よって、今月末予約のさいたま日本赤十字病院(整形外科)の診断を待つことにして、週1の運動スクール、M院のリハビリもみほぐし、また適宜温泉温浴&サウナなど体調管理につとめている。

老境なれど心穏やかならず、夢巻の書をひろげる。
長編小説は打ち投げそのままになっている。短歌全作品を纏めるべく準備をすすめているが、さてさて武州隠棲の地に身をぐらつかせる。

そして、見やすい画面、シニア層にも安心だということで、このほどスマホを「らくらくフォンFー53E」に切り変えた。この5年余、Galaky(ギャラクシー)は使いきれず、どうもしっくりこなかった。
仕事はすべてパソコン(  NEC LAVIE Direct DT)であり、わが情報空間はこれで十分であるのだが、新たなスマホに向かっている。

 
 日録サイト:2002年7月~2025年10月

WEBサイト「花月流伝」は2002年7月より開信。
掌篇、短歌、高橋和巳研究、書評、エッセイ、著書目録など随時編纂・発信。
しかるに、指定のウェブページやデータが
「Not Found」となっている。
鋭意検討中だが、その大半はもう手に負えないのが現状だ。


とまれ、ネットワーク時代をたおやかに思索、迷走し、
「文学終焉」の荒野に、ロマンと鎮魂の文法体系を構築する




▲TOP▲