| 日録●太田代志朗●2025年 | 
| 10月30日(木) 城址公園ウォーク。 晴れ。朝晩がずいぶん寒くなった。 城址公園ウォーク。1800歩。清澄な空気が頬をさした。 もうじき死ぬ老人たち、目は弱り、記憶力は衰えるが、”生きるための読書”。 その滋味あふれる津野海太郎の何冊かを一気に読む。ーー夜、半月煌々。 10月29日(水) 秋深まる。 晴れ。Mハートクリニックで点滴60分。 その帰り久伊豆神社に詣でる。杖行1300歩。 NHKーBSに映画『サンセット大通り』。 ーー秋の日の暮れが早く、見わたせば人のこころもおぼろにて・・・。 10月26日(日) 雨。 時雨に冷えこむ。 能「露」、武蔵野、里女、秋の夕、露の精、旅僧。 武蔵野や行けども秋のはてぞなきいかなる風の末に吹くらむーー新古今。 心鎮めモンブラン(太字)で、この「露」の一曲を清書、原稿用紙に4枚余1700字。 ・・・露の命のはかなきを、見はてぬ夢よりも、枯野に乱れて失せにけり。 10月25日(土) 時雨の寒い1日。 夕べはよく眠った。時雨に寒い1日。 どこへもでかけず家にいる。 小庭の甕の中のメダカに餌をやるが、一向にでてこない。 日赤病院の手術が決まり、ほっとしている。 希望なくこのままへたり込むのかと、2年にわたる苦しい日々だった。 余生を大事にしてゆきたいと切に思う。 ーーパソコンにAI纏め「高橋和巳研究に関する論文の要点」など散見。 10月24日(金) さいたま赤十字病院で。 時々晴れ、めっきり寒くなった。久方に朝の電車に乗る。 さいたま赤十字病院(整形外科)に9時前。 岡崎先生の診察を受け、これまでの脊柱官狭窄の症状を申し上げる。 親身に先生は聞いてくださり、年明け早々に手術が決まる。 有難くすべてお願いする。 ーー帰り大宮駅(エキナカ)ゐざさで柿の葉寿司。奥吉野の風味。 10月20日(月) 時雨。 時雨に静かな秋が深まる。 S歯科院でここ2、3日痛みだしていた左上の歯の治療。 炎症をおこしており治療40分、いづれ抜歯することになるといわれる。 『泉鏡花全集』(岩波書店)はわが書庫に並べられている。 鏡花ブームにあおられ全巻揃えたものの、まともにとりあえないままでいた。 頃日、あまたある鏡花論の中で、種村季弘著『水の迷宮』(図書刊行会)を一気に読んだ。 伝奇・迷宮・妖美・奇談ーー多様な角度からの鏡花が解かれている。 ルーブル美術館強盗事件、泥棒たちはトラックに取り付けられら梯子を使って侵入。 わずか10分たらずの作業、ナポレオンと皇后の宝石コレクションから9点が盗まれたという。 10月19日(日) 小雨。 小雨が降ったり止んだり。金木犀の甘酸っぱい香り。 家人のお茶稽古の名残月。丹波、備前の侘びが身に染む。 風炉名残に、その準備や家周りの整理・清掃。 ーーそして仄聞するに過ぐる10月10日の洛西太秦の牛祭(広隆寺)、牛に乗った魔多羅神がやってきた。 魔多羅神は祇園祭りの神であり、また談山能の翁の面でもあった。 10月16日(水) 時々小雨。 秋雨に冷え込む。 運動スクールで50分。ひと汗かくが、燃焼感がない。 転寝&乱読。そして、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ。 文芸編集者の小島千加子さんが逝去された(96歳)。 私事、小島さんから、「対話」掲載の小説を読んだので、何か書いたら送ってくるようにと手紙をいただいた。上京したばかりのひと昔前のことである。それで80枚のものを届けたが「急ぐことはない。ゆっくり書いてきなさい」ということだった。 「新潮」編集部の小島さんは三島由紀夫の遺作を自決当日受け取った方で、そのことで三島事件に巻き込まれていく。当方も執拗に食いさがる根性がなく、その後、行き交いがなくなっていた。合掌。 10月15日(火) 曇り。 秋冷の候。夕刻から雨になる。 リハビリ(全身もみほぐし)50分。 気圧が低く気が晴れず。転寝&乱読。 10月12日(日) 秋の3連休。 時々晴れ。22℃、長袖のシャツをきる。 二十四節気は「寒露」 (かんろ) 、野山に露が降りて紅葉が始まる。 書斎の天井の蛍光灯が暗くなり、ヤマダ電気でスリムパック20、34型を買ってくる。 小公園を杖行、1000歩足らず。こうして老体はへたばってゆくのだろう。 亀山郁夫著『ショスタ-コーヴィッチーー引き裂かれた栄光』(岩波書店)読む。 イスラエルとイスラム組織ハマスの停戦発効。パレスチナ難民たちがガザ北部へ帰還。 10月10日(金) 晴天。 晴れ、秋の空が澄む。 温浴&サウナでほっこり。そしてリハビリ50分(全身もみほぐし)。 らくらくスマホの1部使い方が分からず、ドコモショップで40分。 老いてなおぶつくさ呻き、また日が暮れる。 10月9日(木) 台風22号は伊豆諸島を通過。 当地は時々薄日がさし、定例の運動スクールで90分。 脚が痛いが何とかトレーナーに従って、こなしていく。 桐野夏生『バラカ』を一気に読む。狂気が炸裂するディストピア小説。 また、中村哲郎著『歌舞伎の近代』再読するが、その最終章の梅原猛のスーパー劇、”ロマンの病”がおりなす超近代歌舞伎の誕生。あの見せられた台本の台詞など、一つ一つが軽く浮いて読めなかったのだけれど。 10月7日(火) 曇後晴れ。 金木犀の香り、午後から晴れる。 気が乗らず、香を炊き、端座黙然。 昨日は中秋の名月も知らず、早く床につき眠ってしまった。 ーー自民新総裁、裏金保守フェイクのあわいに自壊していくのだろう。 10月4日(土) 曇り、雨。 朝からどんより曇り、小雨。うかない土曜日。 秋桜や竜胆が終わり、木犀がまもなく香ってくるだろう。 「歌人・濱梨花枝の企画展・講演会」(10月11日~12月7日、さいたま文学館)。 飛高敬さんの講演会には参席したく、さて杖行してでも。 10月3日(金) 曇り。 七十二候は「水始涸」( みず はじめて かるる)。 田んぼの水を抜いて稲刈りの準備をする時期。 新米が店頭に並び初め、わが家でも早速”あきたこまち”。 家人の茶稽古で「夢幻庵」にお客さま。その準備で家周りの清掃、お茶菓子のかいつけ。 ーー曇り日でしんみり入り込んでしまうような一日。 然り、「書くためのモチベーションは、書くことによって維持される」。 10月2日(木) 晴れ。 晴れて澄みわたり、過ごしやすい日々となった。 運動スクールで90分。いつもの楽しいプログラム。 終わって気持ちよい疲れを覚える。 ーー日の暮れが早く、夜、窓に半月、煌々。 「図書新聞」が来年3月で終刊、77年の歴史の幕を閉じる。 当初、井出彰さんのすすめで「短歌時評」を引き受けた。担当は藤沢周さんだった。 硬派の人文・思想書の書評紙の編集経営に苦闘する井出さんは、次々に新たな本をおくりつけ浅学の執筆をうながした。その井出さんが亡くなり淋しくなったが、ひきつづき「世阿弥」や「魔多羅神」など衝かれるようして書き上げた。 10月1日(水) 神無月。 いよいよ10月スタートになった。 早朝に起床。辺りが小雨にけむっている。 小公園の脇の小径の白い彼岸花を1輪摘んでくる。 ーーどんどん時が過ぎる。今年も残り3カ月。 相変わらず十分なウォーキングはできず、足をかばう間欠性跛行なり。 よって、今月末予約のさいたま日本赤十字病院(整形外科)の診断を待つことにして、週1の運動スクール、M院のリハビリもみほぐし、また適宜温泉温浴&サウナなど体調管理につとめている。 老境なれど心穏やかならず、夢巻の書をひろげる。 長編小説は打ち投げそのままになっている。短歌全作品を纏めるべく準備をすすめているが、さてさて武州隠棲の地に身をぐらつかせる。 そして、見やすい画面、シニア層にも安心だということで、このほどスマホを「らくらくフォンFー53E」に切り変えた。この5年余、Galaky(ギャラクシー)は使いきれず、どうもしっくりこなかった。 仕事はすべてパソコン( NEC LAVIE Direct DT)であり、わが情報空間はこれで十分であるのだが、新たなスマホに向かっている。 | 
| 日録サイト:2002年7月~2025年10月 WEBサイト「花月流伝」は2002年7月より開信。 掌篇、短歌、高橋和巳研究、書評、エッセイ、著書目録など随時編纂・発信。 しかるに、指定のウェブページやデータが「Not Found」となっている。 鋭意検討中だが、その大半はもう手に負えないのが現状だ。 とまれ、ネットワーク時代をたおやかに思索、迷走し、 「文学終焉」の荒野に、ロマンと鎮魂の文法体系を構築する。 ▲TOP▲ |