演劇という甘美な猛毒の世界

  
■模索と冒険のもとに
公演記録、および雑誌「現代劇場」にあるように、私は戯曲「小喝食」「孤独がぼくたちの瞼をとじる」「失楽園」を書き、「小喝食」「孤独がぼくたちの瞼をとじる」の2作を、幸いにも小松辰男が劇団現代劇場で公演にはかってくれた。

茫々30余年前のことである。
京都における小劇団の活動だったが、当時、周辺の先鋭な連中は創作劇をはじめとしたさまざまな演劇活動と取り組んでいた。
60年安保闘争後の停滞した文化状況の中で、若い知の模索と冒険が縦横に展開されていた、といわねばならない。

■解体と闇の波瀾に
ブント崩壊後の激烈な戦線、その葛藤と沈黙。
いっぽう、恋と革命に挫折した情緒的一派がいるタコ壷のような古都で、その政治的季節が終わり、文学・演劇・美術などに情熱をそそぐ芸術派に突きつけられたものは、
「はたして、おれたちは何をやってきたのか」
「敗北したのか。挫折したのか」
「いや。そうじゃない。何より、己れ自身を実存的に取り戻す方策を!」
ということだったか。

もちろん、あの安保闘争は”虚無の祝祭”だった。
だが、その”虚無”以上に、自分自身が虚ろな荒野を徘徊していた。
お互いの足場がぐらぐら揺れていた。
 
やがて、大きな地殻変動が起こっていった。
風が立ち、匂い、通り抜けてゆく。
前衛、アングラ、ゲリラが、あらゆる権威主義を一つ一つ破壊してゆこうとしていた。
己れの存在自体を、一度、とことんを解体しておかなければならない。
無限の闇と波瀾の予兆に身をのけぞらせていた。
 
■絶望と美的ニヒリスト
そして、もっぱら、実存主義やら、不条理やらの命題に陥っていた。
シジフォスの挽歌と不在の愛の確かめるすべもない混沌の闇。
政治的工作がからまる周辺で、”美的ニヒリスト”と揶揄されながらも、それが結局、栄光と悲惨の門出だったか。
 
「お前の実存やら、絶望やらは甘ったるい。絶望のポーズを捨てよ」
と恩師に言われた。
 
絶望のポーズを捨てよ。
この言葉は、たちまち学園や、仲間のたむろする地下珈琲店で合言葉になった。
己れの青春や存在が、そんな安っぽい戦中派の価値観で論じられてはたまったものではない。
いや、もっと絶望せよ、とも思っていた。
不毛と空白の論理に苛立っていた。
 
■幽玄、余情妖艶へ
そうした中で、能の世界に強く魅かれていた。
実存主義は、結局、何も解決してくれなかった。
 
世阿弥の一つの所作、一片の風儀、一節の詞章に美の深層があった。
漂泊芸能者としての漆黒の歴史の裂け目から繰り出される<幽玄>こそ、そのまぎれもない戦略的条件一つであった。
動乱の世を生き抜く暗い負の存在者の叫びであった。

幽玄の花は、時代の覇者の栄光に取り寄り添うように匂い立っていく。
花の幻は、ひっそりと、しかし、血をにじませながら咲かねばならぬ。
中世の古修羅の世界は、悲惨な宿命を負った人間の罪業と回向そのものであることを知るがいい。

そして、藤原定家の「余情妖艶」を追い、『梁塵秘抄』や『閑吟集』にうかれ、中世連歌師の百韻を紐解き、連句、狂歌、川柳をと、その遊行の水脈に魅かれていったのだ。

■甘美な猛毒の味
ーー若くして芝居の甘美な猛毒の味を覚え、その後も結構、小屋回りにうつつをぬかした。
歌舞伎座や三宅坂の国立劇場には、友人がいた関係もあり、毎月のように通った。
後ろの幹事室で観劇することが多い。
歌舞伎、新派、声明、雅楽、日本舞踊と何でもござれだった。
5年、10年、歌舞伎の大半は、この国立劇場で見ることができた。
 
京都の”舞の会”は、ことに楽しみな会であった。
芸者衆や舞妓も大挙、来場。
その日のロビーは、”はんなり”した京言葉や、甘い脂粉に満たされる。
井上八千代の芸に見惚れた。
 
また、武原はんの「雪」にも感動した。
ここまで、熱い情念を削ぎ、削り、落とし、かたちにしていくことの舞踊。

三島由紀夫を高校時代から熱読しており、三島ファンであった私は、三輪明宏の「黒蜥蜴」を観劇。舞台終了にその三島由紀夫は真っ白なスーツ真紅のバラを胸に挿して登場したのには感激した。
また、新宿・蠍座で堂本正樹の「三原色」公演のとき、その芝居に関係していた友人のはからいで、早目の座席に座っていたら、三島由紀夫が大きなアタッシュケースを片手に入ってきた。
その高笑い、そのトーンの高い話声を真近に聞いた。
一瞬、目があい、そして、すっと外れたのだった。
 
■邦楽のゆるやかなテンポに
今も、気まぐれに歌舞伎や能を中心に、あれこれ出かけている。
日常の原稿書きのときなどは、小唄、清元、常磐津をなぜか流している。
なぜなのか、自分でもさっぱり分からない。
幼い頃、伯父が観世流シテ方の重鎮だったし、母も地唄舞を少しやっていた。
邦楽のゆるやかなテンポと音合いが、実に快い。

■新作能に取り組む
2003年暮れ、新作能に取り組み『自天王』
(修羅能)を書き出し、翌春脱稿。
後南朝最期の奥吉野における皇子の悲劇をテーマにした修羅能ーー「季刊月光」2号掲載。
自天王については、谷崎j潤一郎著『吉野葛』などで1部取り上げられている。
第2作に『実朝』。
 
*日本舞踊台本「花の雪」「佐保川」(未定稿)あり。
*戯曲「定家繚乱」(仮題) は藤原定家関連の資料に当たり、ノートを終え、執筆にとりかかったものの放置して数10年が空しく経つ。
【2005年01月10日記】


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