御風雅いかが候や


 紅灯のざわめきに、「春の夜や女見返る柳橋」(正岡子規)と詠まれた街の面影も淡く儚い宵。
 柳橋の小料理屋における菊宵一座は発句・脇句に思わぬ時間をかけ酒盃重ねる。即断即決、座はその場その場の応対であり、言い捨て、吐き捨て、出たとこ勝負のことばの応酬。なれど話題錯綜、その後の付合が遅々として進行せず。

  三下り梅雨の音する柳橋
   縮みの浴衣蛇の目傘ゆく

表六句の内は秩序あるリズムでと、これ以降は一期一会の座の雰囲気の純化ならざるメール交信と相成る。パソコン画面に錬りに錬った付句が跳躍し、バーチャルな座の連俳の精神が投影される。情報空間装置としてのモニターの中のリアルワールドは、まさに電子文藝の光栄と宿命を負って展開。
 この現実世界の虚構現象学の荒野で、「一座雅人」のシュミレーションが受容される。

 もしかしてもしたかしたらの昭和メモ
   行きて果つるも御心のまま

一巻の進行は折に停滞、重複。時に駄句・凡句もご愛嬌。緊急自在な起伏と転変の妙、さらりとした「軽み」、「雅」と「俗」のせめぎあい。芸境よろしからずも、すべて花散る宴であり、ここに一座文藝の流れの冴えがある。

  極彩のおとぎの国の儀仗兵
    吐息を濃くする王の牝馬は

 もともと社中の俳士はいずれも一騎当千にて環奈宗匠曰く、
「菊宵連句はさすがに短歌と散文の皆さま、ドラマチックな句が多い。蕪村の歌仙には多い傾向のよう。豊穣で枯れない、ちょっと毒ありもいい」と。
 おお、わが一座は芳しき美毒を以てこそ、“天涯の交わり”とせんや。

  旅人の急げ山寺露時雨    
      破れ笠にはよろず屋とあり

 かくて、その句々の色付けも常に無類の芳香を放ち、華麗なるサロンに蒼白の風韻が奏でられていった。苦楽相半ばの末の菊宵一座満尾は、奇しくも秋深まる芭蕉忌の翌日。――御風雅いかが候や。

連句誌『れぎおん』56号・2007年2月号

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