遊行と遊行と鎮魂の京都発見

梅原猛著
『京都発見九ーー比叡山と本願寺』

(新潮社)




 京都には多くの霊が住みついている。その地に住みついた地霊の言葉を聞かなくてはならぬ、と著者はいう。かくて、冷気に包まれた歴史の光芒と非運のドラマが、暗い波間にただよう後ジテの語りのように現出し、そこからひっそりと息づく京都の深層がしだいに明らかにされてゆく。いってみれば、それこそ内奥の闇に秘められた根源的風景であり、遊行と鎮魂の旅の始まりであった。

 本書は、まず天台法華の教えのほかに密教、禅(止観)、念仏も行われ、仏教の総合大学の様相を呈している比叡山をとりあげる。

 延暦寺は、最澄が京の都の東北である鬼門を護り法灯を掲げて以来、融通念仏の良忍、浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、日蓮宗の日蓮など日本仏教史上著名な僧の多くを輩出。三塔(東塔・西塔・横川)十六谷の三千の堂舎にこもって血のにじむ修行を重ねてきた。

 著者は幽邃の地を訪ね、気の神秘に触れ、厳しい峰行をおもい、その学問に触れ、内心の叫びに目を瞑る。

「本願寺」編では、各地に残る親鸞や連如の跡を探り、古い時代の浄土宗の信仰の形を伝える仏光寺や興正寺、本部の錦織寺など隈なく当り、西本願寺の白書院、黒書院、対面所、飛雲閣など絢爛たる障壁画に彩られた建物に「宗教と文化の統一の象徴」を見出している。また、東本願寺は宗祖親鸞の御真影を安置した御影堂と阿弥陀堂は火災後再建され世界最大の木造建築となっているが、その東と西の対立興亡を踏まえ、打ち続く戦乱を生き抜いてきた本願寺教団の闇と光を背景に、「私はやはりもう一度、親鸞研究は『教行信証』の原点に帰らなければならない」という著者の願いの声も熱く透き通る。いずれにしても、この二大寺院の激動の歴史こそが京都千年の辿ってきた波瀾の道であった。

 空前の京都観光ブームとともにセレブ向けお手軽なカルチャーセンターや饒舌な学問ごっこによる京都学講座の盛況はともあれ、思索する同時代の危機感とともに、本書には京都精神史というべき位相が、漆黒の闇を突き破って鮮烈に浮かびあがっている。

 全巻が清爽の気に満ちたこの『京都発見』シリーズは、京都新聞日曜版に連載されたものを新たに纏められた。思えば、爛熟する日本の美の伝統の相克に踏み入り、著者独自のフィールドワークによる第一巻は「地霊鎮魂」に始まる。風塵の舞う洛中洛外を隈なく探索し、平家や藤原一族関連などの社寺、路地奥の灯明の揺らぎや地獄図絵に思わず息を詰め、「丹後の鬼・カモの神」では丹後伝説や賀茂社の由来、「ものがたりの面影」の巻では伊勢物語、土佐日記、蜻蛉日記、源氏物語などを探り、禅と室町文化を明らかにし、法然の浄土教や空海の真言密教の息吹に触れて深い思索をめぐらせる。現地を訪れる日が一日、文献講読に最低二日、執筆に一日と週四日を要して中断を加え六年二カ月、聖なる衝動につきうごかされた巡礼であった。

 齢熟してますます気骨稜々、梅原日本学におけるこの「京都発見」は、暗黒の対話を通した京都図絵として研ぎ澄み、あやにせつなくも絢爛とひるがえっている。時代の鼓動を鋭敏に聞き分ける著者の修羅と祈りの調べなのであろう。

『週刊読書人』2007年6月29日号

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