著書紹介

清かなる夜叉

発行:月光の会
発売」弥生書房
1990年11月発行
定価3800円(本体3689円)

第一歌集 「清かなる夜叉」(1998年3月)~「朱雀門」(1990年3月)までの4188首。
●帯文:塚本邦雄
世に述志の歌寥々たる今日、太田代志朗の、ほとばしる清水、
咲き散る火花さながらの心情吐露は、襟を正させるばかりである。
巻中の「わが名月記」など、まさに白眉、[世上乱逆追討耳に満つ 
詩歌あざむくためなる朝焼け」にも、
この乱世を生きねばならぬ「ますらを」の爽やかにいたましい悲願がこめられているのだ。

●解説:福島泰樹

●栞
梅原 猛「新たなる人生の出発」
小松左京「壮大なるロマンを」
奈良本辰也「あの憂鬱な影」
井波律子「京都、そして対話のころ」
永田和宏「静かなる熱血漢」
小石原昭「黙示の人」
中西省吾「復た還らず」
持田鋼一郎「太田代志朗の面」
依田啓一「われらが十代の青春」ほか

装丁:間村俊一


「清かなる夜叉」について

このひとときは風にみち

発行: 白地社
1996年1月発行
定価2000円(本体1942円)

■挫折から甦生の日々にくぐもる一途な真実を求めて
60年世代の青春群像を鮮やかに書き上げる長編傑作。

■風が立ち、淡く過ぎ去っていく日々。
わたしたちは不在の愛を確かめあっていた。
さようなら、わたしたちはいつも流離っていたーー。

■晩秋の高原のホテルに、ひとりの女がうなだれている。
その女の回想のページが、そっと開かれるーー。

■1960年、京都。安保闘争に激しく揺れる学園で、
4人の若者がそれぞれの青春を送っていた。
それから、7年。挫折と悲哀の中で彼等は逡巡しながらも、
自己を厳しく確かめあう。
空白の60年世代の鎮魂曲だった。

■物語は模索と彷徨をゆるやかに繰り返し、漆黒の闇のように混沌たるうねりをもって展開する。
遥かに困難な現代の啓示としての痛切なロマンを内包しながら、愛と苦悩にみちた歳月。
そのひたむきな生の遍歴。京都からパリへ、そして、東京、軽井沢への回想の25年。
 
装丁:中島かほる

高橋和巳序説
ーーわが遥かなる日々の宴

発行:林道舎
1998年4月発行
定価4000円(税別)


●第1章
高橋和巳序説
孤高の修羅
●第2章
憂愁の宴
微笑みやめよ
日記抄
●第3章
【対談・梅原猛】
高橋和巳の文学とその世界


■「高橋和巳序説」200枚の書き下ろしに、
これまで各誌に発表された文章で纏められている。

■高橋和巳のすべてを再読し、
実際に鎌倉、京都、大阪(西成)を踏査していく中で、
またゆえしれぬ滂沱の涙を流していた。
  
■あの60~70年代を駆け抜けた極限と褐色の文学を、いま一度、確認しておかなければならなかった。
絶望、破滅、堕落、暗黒という下降意識に添った無骨な日本ラディカリズムともいうべき情念の噴出する小説世界の構造にも迫りたかった。

■終世、やみがたい憂憤に駆られていた高橋和巳の鮮烈な夢とは何だったのだろう。
私にとって、<高橋和巳>とは、とりもなおさず永遠の謎であり、永遠の序説である。


●解説
高橋和巳短編集

発行:阿部出版
1990年発行
定価:1800円

【目次】
片隅から
月光
淋しい男
退屈に就いて
老牛
藪医者
古風
飛翔

【序文】梅原   猛ーー高橋和巳の小説
【解説】太田代志朗ーー孤高の修羅


●共著
【没後20周年記念】
高橋和巳の文学とその世界

発行:阿部出版
1991年6月発行
定価:2200円

梅原 猛 高橋和巳の人間
小松左京 笑う高橋ともう一人の高橋
三浦 浩 高橋のこと
石倉 明 高橋和巳と三上和夫
辻 邦生 高橋和巳のために
福島泰樹 黒時雨の歌
高城修三 我これ如何せん
井波律子 美文の精神
太田代志朗 微笑みやめよ

対談/高橋和巳の文学とその世界
梅原猛・太田代志朗 

*
■すでに高橋和巳は時代の遠くにあった。
孤独な薄明のリングでしか、もはや論じられ、語られないようだった。
企画編集に当たるも情況は厳しく、また、「対話」第1次同人も非協力的であった。

■1日、小松左京さんと帝国ホテルのラウンジで懇談。
ホテルの1階ロビーには満開の桜花がまぶしく、高橋和巳没後25周年ということで理解していただいた。
意を感じた小松さんは、『対話』追討号以来の高橋和巳に関する原稿を寄せた。
編は梅原猛先生、小松左京氏としたが、企画編集に当初から私は全面的にかかわった。
没後25周年ということで、それなりの話題にはなった。
 
■埴谷雄高氏を吉祥寺のお宅に訪ね、深夜までワインのご馳走になった。
礼を以て迎えていただいた。高橋門下の縁だからだろう、ありがたいことだった。
ボッシュの複製の大きな絵の飾られた応接間、ここでどれだけの作家、編集者たちとの討議・酒宴が華やかに行われたことだろう。
かつて、若き無名時代の高橋和巳、小松左京、近藤龍茂の三羽烏が訪ねた応接間だった。
隣の部屋のベッドの傍らには書きかけのメモやらが置かれてあった。
私は「埴谷雄高」といいう巨人の生活環境の現場をしかと見たのだった。

■辻邦生さんにも温かい励ましをいただいた。
辻さんには、お手紙を頂戴したりして、『西行列伝』のあとは藤原定家にもぜひ取り組みたいということだった。
山ノ上ホテルでお会いした時、事故で腰を痛められ、歩くのも苦しいようだった。
「太田代志朗さん、決して弱気になってはいけません。どうぞ、いい仕事をつづけるように・・・・」
辻さんの手紙は、今も胸を熱くする。

■梅原先生との対談は祇園つるいで行われた。
先生は静かに対談をすすめてくださった。
茫々の歳月を呼び寄せ、まだ知らぬ高橋像が浮かびあがっていった。

■見舞いに訪れた病院では、高橋さんが手術した腹部の傷跡を見せながら、
「梅原さん、これで業は終わったんですよ」
と言ったという。
聞いて、戦慄をおぼえた。凄いことだと思った。
胸を揺さぶられた。
阿修羅は、静かに見果てざる世界に分け入っていたのだろう。
*
■1991年9月6日。
高橋和巳を偲ぶ会にちなみ、この本の出版を祝う会を京大楽友会館で開いた。
私は高橋さんの写真を額に入れて持参、祭壇にお花とお酒を供えた。

■梅原猛先生、岡部伊都子さんにもお出でいただいた。
井波律子さんも金沢から駆けつけてくれた。
小松さんは旅行とかで欠席だった。
私は小松さんら第1次同人の委細について、はすべて石倉明さんにお任せした。

■本書は「梅原猛・小松左京 編」なのだが、実質的な編集は私と版元でおこなった。
礼をつくした進め方だと自負していた。

■ところが宴がすすみ、執筆の原稿枚数がどうのこうのと年甲斐もないことをいう者がいた。
太田代志朗の書いたものに比べ、他の割り当ての原稿数枚数が少ないのはなぜか。
その言葉に棘があった。
どうやら、その本意は出版企画自体への批判と不満をこめたものであるようだった。

■いっておくが、それならお前さんたちがつくればいい。
どうぞ、おつくりなさればいい。
心こめた没後25周年の企画たが、まったく思わぬことだった。
また、本書の執筆陣に洩れた者の繰言など、聞きたくもなかった。

■矢面に立たされ、私はまったく閉口した。
梅原先生の手前もあって、まったく立つ瀬もなかった。
ーーとやかくいわれる筋合いはないぜ、私は唇を噛んだ。
嫌な雰囲気になった。

■すると業を煮やした高城修三が立ち上がり、
「黙れ。何を言っとるのか・・・・」
とビール瓶を勢いよくテーブルに叩きつけた。
けたたましい音に破片が飛び散った。
高城修三の心意気に、私のうちにはいいしれぬ熱いものが走った・・・・。



●共著

高橋和巳の文学と思想

発行:コールサック社
2018年11月発行
定価:2200円

田中寛とは高橋和巳について、かねていろいろ話しあってきていた。
コールサック社の鈴木比佐雄がその進行や資金のことで協力してくれた。


●監修 解題 
高橋和巳電子全集

11巻 小学館
2021年8月~2023年7月配信