山本ひろ子著『魔多羅神』(春秋社)

中世の闇を切り裂く異神の深層
――新たな日本的精神性のイニシエーション

太田代志朗


悶えひしめく闇に光が炸裂した。

歳月にとぎすまされ、じろりと身じろぎした。淫らな笑い、うごめく有情非情のわが血、わが肉よ。よろめきひそみ神寿ぎ、寿ぎ回し、歓呼せよ。弦月に深紅の蓮が散りこぼれ、呪詛の泪に蝕まれ、あざとくきしむ生から死へ、死から再生へと現前する未知の光景を内側にひらく。崇り荒ぶる波濤に崩れ、∧私∨は変容し、痙攣する。畏怖と歓びの太古の昔から神や精霊の息吹に発光する物語がゆるやかに開示される。酷烈の異神の空間コスモロジーは、新たな繚乱の位相をもって中世の闇を切り裂くのだ。

本書は薄暗い堂内奥に祀られた魔多羅神について論究している。第一章「摩多羅神と夢の女人」、第二章「毛越寺の二十日祭」、第三章「毛越寺の摩多羅神と芸能」、第四章「摩多羅神紀行――服部幸雄『宿神論』の向こうへ」、第五章「出雲の摩多羅神紀行――遥かなる中世へ」(前編)、第六章「出雲の魔多羅神紀行――黒いスサノオ」(後編)、第七章「我いかなる縁ありてこの神に仕ふらんーー常行堂と結社の神」、「第八章「大いなる部屋――修生会から三河大神楽へ」、このうち書下ろしは「出雲の摩多羅神」および「三河大神楽」で、宗教現象の光と闇、夢にして現実の交錯と混沌を明らかにする。口絵には安来・清水寺、京都・真如堂、比叡山・西塔常行堂に祀られた魔多羅像が紹介されている。

その名の響きも風変りな摩多羅神は出自も来歴も謎にみち、杳としてはっきりしない。多くは烏帽子・狩衣姿の翁で、二童子を従え太鼓を打つ。「主に天台系寺院の常行堂の背面に秘密裡に祀られる道場神、念仏修行の守護神」であり、また「秘事相承の本尊として、今にもわれわれの前にその存在をつきつける」と著者はいう。

天と地が荒れ、厳しい冷気に眼光鋭く睨む魔多羅神は夜叉神、忿怒神の属性を持ち、ダキニ天と合体した恐るべき障礙神(ルビ=しょうげしん)であるとも解釈される。何をかいわん、その隠されることで増幅され、神秘で強大なパワーを発揮する謎の霊異につつまれた神こそ、聖の化身である。阿弥陀如来の顕現であり、「ふるまいの本尊であり、煩悩即菩提・生死即涅槃をテーゼとした本覚思想を体現する」という。

そして、極みなる歓喜を謡い、比叡山常行三味堂の修二会は一種のカーニバルで、常住不滅の妙体は妖しい燐光を放って魔多羅神を囃した。「異神という外被をまとい、張の向こうにたたずむ神は、私たちの想像力と探求心を試すかのように翻弄し続ける」。念仏の守護神として常行堂の修法・延年とともに叡山から日光や毛越寺に伝わり、さらに出雲など有力寺院の常行堂の東北隅に秘神として奉安されてきた。それは「偶然とは思えない数々の符号と連関」、「遠い神話の国から、地鳴りのように響く中世の声」であり、「それぞれの独自性を持ちながらも秘法相伝、結社の神として見えざる繃帯でつながっている」と著者はいう。

また、服部幸雄著『後戸の神――藝能神信仰に関する一考察』は伝説的な論考で、修正会・修二会にはその寺院の後戸が仏法守護神を祀る場所として大きな役割を示した。そこでは遊行、非人らとともに猿楽が演じられ、猿楽能起源説に秦河勝・宿神・翁があり、「外道、、笛・鼓を聞きて後戸に集り、是を見て静まりぬ」(世阿弥)で、「さあ、踊れ、踊れ」と神秘の摩多羅神は歌舞芸能神でもあったとして広汎な議論を起こした。さはさりながら、著者はその「摩多羅神は後戸の護法神」という通念に大きくゆらぎ、やがては芸能の神=摩多羅神から覚醒していく。「魔多羅神をめぐる考察の基軸は、常行堂としての儀礼にこそ据えるべきなのだ」と、本来の「修生会に踏み込」む。魔多羅神の儀礼の考察が博捜を極める。そうした実地踏査に、「フィールドワーク」というような面張った無粋な用語がないのも好感がもて、風塵舞う霊の発動を懼れる乱声に、パトスの乱反射をもってさらなる深化がはかられている。

当初、著者にとって叡山は「ソフィアの山」であり、「渓嵐拾葉集」という中世叡山のテクストで摩多羅神にあう。だが、正体がわからない。「強烈な存在を誇示」しながら近づいたかと思えば遠いていった。「舞い遊ぶ姿にふさわしく、あちらへ、またこちらへ」、謎の障礙の異貌を隠して待ち構え、眩惑しつづける。「我らいかなる縁ありて、今この神に仕事ふらん」という反語的フーガの調べは、まさに“認識の旅人”たる著者の壮絶な眷恋なのだろう。

著者の前著『異神――中世日本の秘教的世界』のうちの「摩多羅神の姿態変換――修行・芸能・秘儀」一九九八)で、すでにこの謎の神は究明されている。加えて『変性譜――中世神仏習合の世界』、『大荒神頌』、『中世の神話』、巻置くあたわず「神楽の中世」、「異類と双身――中世王権をめぐる性のメタファ」など、山川草木震動して虚空に光が満ちていった。中世は本地垂迹説を旗印にする神仏習合の時代で、それぞれの神々や仏・菩薩が統合された。転生と覚りが明かされ、われわれは衝撃的に蒙を開かれていった。新たな日本的精神性の永劫の光とともに、摩多羅神を通じた中世史、中世文学、宗教思想史、民俗学の地平が彩り深くひろげられたのである。

私事にわたって恐縮だが、幼く百万遍念仏を聞かされ、神楽には剣舞や鬼の舞があった。比叡の風雪が肌に滲み、熊野・大峰・吉野・葛城の山路をよくたどった。寒夜のお水取りでは二月堂の走りの行法や達陀の妙法に目をみはった。そしてセピア色の霞んだ記憶には母に連れられていった太秦広隆寺の牛祭の主役は、何でも摩多羅神であるという奇祭であった。能楽師くずれの叔父の素謡を聞き、謡・仕舞コースを学ぶ。長ずるに世阿弥研究の周辺で壮大な知の饗宴の梅原猛・新日本学による能芸論を断続的に批判継承、「小褐色」の面によせた不条理劇はじめ新作能「自天王」「実朝」を書き上げ、掌編「夜叉丸残篇」は“外道の音声は仏よ”と中世争乱の時空を纏めた。六道の巷を詠じる流転の凡夫にして、もとより浮世一宵の文芸・能楽をたしなむ老学非才は己が招いた迷路をいまださまよっている。その民俗、宗教学の基本的な知識を欠いたヘタレの吟風弄月に、なぜかおぼろな結縁で摩多羅神がたちはだかった。罪業のほどもあさましく内奥の重さにゆさぶられ、極限的な絢爛の幻野に無明の灯りが揺れる。

本書は恩寵にきざしたかのように赫耀たる物語世界の来現をはかる。異彩を放つ研究調査を専門にした“思索の旅”はゆたかな文学的感性を彷彿とさせ、山風の声吹き立てていく道の音は嵐の花の雪であったか。巡礼の夢幻の彼方に魂の救済と飛翔をもとめるが、神は隠れ、逃げ、姿を消し、また立ち現われる。救いの迷路をくぐり、逃れては融合し、幾重にも重層する。一大三千大千界、霊仏霊社残りなく拝みめぐるも、宿怨の存在と非在、悲しみの記憶と忘却が浮き彫りになる。

脱構造的な列島祝祭の「受難と苦行の旅、幻想の旅」を課した著者には、常に渇いた鼓の音が慈しみの伎楽のように冴えわたる。その反日常的な逸脱、挑発的なおののきに、漂流するテクストが鮮やかに照りかえされ、閉ざされた人々の意識をゆるやかに開放していく。物狂おしく醒めた情念の回路にその実像はうかがいしれずも、「遠い神話の国から地鳴のように響く中世の声」は、ひとえに著者の歓喜微笑の核心になっているのである。

ここに信仰・文化のコードを読み解く冷静な熱狂の文脈により、眠らざる日本霊性の生成変化の深層が明かされる。日本の神にあらずと、廃仏の難にもあった謎の魔多羅神を慕い見据えて三十年余、「みずからの思想はみずからの手で」(「極私的な追想――あとがき」)と、不断の原典購読と議論に沸く著者の痛切ないいぶりには、霞も雲も明けゆく真如の粛状たる風が吹き流れている。


『図書新聞』2022年12月17日号 

 
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