胎動する関西能楽界のゆくへ

普遍的な演劇空間に回生する京阪神の能楽


権藤芳一著
『平成関西能楽情報』
和泉書院


 
 

現在、全国的規模で能楽人口は増えているといわれる。手軽な能の見どころなどの観能の手引きやガイドブックも数多く出ている。昨年は世阿弥生誕六百五十年、観阿弥生誕六百八十年ということで、各地において多様な催事が行われ話題をよんだ。現在、能楽協会会員千五百名、「興行としての能」は花ざかりである。

こうした中で、本書は京阪神の平成七年から同二十四年までの能楽界の動向が隈なく報告されている。豊かな見聞にもとづく時代が投げてよこす問題に対処する心意気も鮮やかに、確かな関西能楽界の原資料となっている。そこには冴えた笛のリズムが流れ、太鼓の囃子につられ、豪華な能装束に袖をひるがえすシテが、すでに艶やかに舞っているような思いにふと駆られる。

これまでの能評は、どうしても能や囃子を習っていないと書けない技術評が中心であった。だが、「作品論、演出論を核とした能評もあっていいのではないか」と、著者は能楽を演劇の一分野としてとらえる。すなわち、普遍的な演劇空間に固有の能のありようを回生させる。能楽師との交流を深め、当日の舞台や観客の反応をつぶさに触れる。加えて能楽界には「問題が山積」しているのに、それについて発言する場はなかったと述べる。能のプロデュースもする筆者の気魄である。滋味に富み熱気をはらむ。

確かに能は室内芸能になってほぼ百年たったのだが、いまや伝統芸能といえないくらい変貌をとげている。各地、団体、有志など伝統芸能の見直しにより文化向上、観光事業などの目的での開催が希望される。しかし、顧みるに能楽堂の建設ブーム(平成元年)にみられるように、文化グレードの高さを示す建物あっても、ソフト面、自主制作の催のないことについて、著者はかねてより警鐘を鳴らしていた。「地方の劇場・ホールには演劇の専門家が一人もいないという場合が多い」からである。ここには芸術監督の存在の意義が大きく問われている。

それにこれまでの能楽師には理解されなかったが、「能にも演出がいる」ことが強く指摘されている。技術的な演技や囃子、地謡において、「舞台全般、一曲まるごとの責任」を持った工夫がいるのでないか。つまり申し合わせではなく、これからの能は地謡や三役も集まり、シテの演出意図を明確にすべきだというのである。古格を守りつつも当世を加味した創意がもとられるといえよう。

また「文化を盛り上げるにはそれをプロデュースできる人材が欠かせない。クリエーターやアーティストが、社会に関わっていく接点を見つける役割を担う」とプロデューサー、クリエーターの重要性を再三にわたり説く。

あわせて、今後の能の継承者の養成が大きな課題となっていることがよくわかる。そこでは「ぬるま湯にどっぷりつかっているなかで、危機感を感じ、懸命になっている能楽師がでてきた」現状への期待もうかがわせ、その担い手である観客とともに考える。「観客の養成」、いい役者がいい見物を育て、いい見物がいい役者を育てきたのであり、一過性の観客がはたしていい役者を育てているか。そのどちらにもかかわるのが「評論家」であるというのである。

幽暗の篝火に観る人の心をうつ薪能の各所における動向もつぶさに、大阪能楽鑑賞会(昭和三十五〜平成6年)、大槻能楽堂五百回の自主演能(平成二十三年)についても熱意がこもる。金剛流の宗家継承および金剛能楽堂の新築・再築のいきさつも注目された。最近の京都の素謡の復活にも興味がわく。ローソク能も好評で、京の町屋の座敷能も定着した。それに京都の「市民狂言会」も好評。茂山千五郎家の企画事業についても明かされ、狂言の新しいファンをつくっていることがよくわかる。

さるにつけても、近代の関西能楽史にはまだ不明な点や謎が残されているようで、「関西の場合、遠慮がって、誰もが知っていながら語られないこと」もあり、本書はそうしたことにも慧眼をもって鮮やかに踏み込んでいる。なかんずく「関西では武智鉄二、北岸祐吉、沼艸雨のあと能評家はいない」現実に、東京からも能楽評論誌が消えていることを著者は深く憂慮する。

若く京都観世会館や金剛能楽堂でたまさかの定期能や秋季学生能に夢中になり、その後は新作能『自天王』『実朝』『銀河鉄道』をなしたにすぎぬ浅学の身ながら、能楽ジャーナリズムの栄耀をねがってやまない。

実際に関西のリアルな能めぐりの現場感も何もないことの不明を恥じねばならぬ評者であるが、能に登場する神、鬼、動物、醜女、老人による身体の記号化が能舞台の深層の回路をうながす。そもそも能を伝えた河原者とは、そのルーツに大和政権に最後まで抵抗し差別された縄文遺民として、痛切の一座興隆をはかってきたのでなかったか。

本書の根源的な問いかけとともに、一読巻置くをあたわず、昂奮おさまらず喜びを重ねることになった。


『図書新聞』2014年2月8日号


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