ヴェネツィアの夢

 熱があり、まだ風邪が抜けなかった。

 お決まりのフィレンツェ、ミラノで過ごし、冬のヴェネツィアを訪ねていた。夢うつつの中で、私はその迷宮の街を日がな彷徨ったのだった。

 過ぎ去った記憶の彼方から、時折りよみがえる光と影のたゆたい。官能の名残のプリズム。その退廃と没落の都の囁き。それら濃霧と霧氷におおわれた冬のヴェネツィアが、いつも私を変幻する冥想の世界にいざなう。

 奇異なる美しさのただよう不思議なひととき。逸楽と憂愁の思いが涌きおこる時間の流れ。甘やかな幻覚の揺れる街角で、人は誰でも官能と死のイメージに襲われて慄然となるのだ。

 アドリア海の浅瀬(ラグーナ)の上につくられた百十八の小さな島、百五十の運河、四百以上の橋からなりたっているこの水上都市は、水の浸食によってゆるやかに沈みつつある。
 
 かつて地中海を支配した欧州最強の共和国、キリスト教文明と東方ビザンティン文明のはざま、聖マルコと獅子の挿話、東方交易によってひらかれた十八世紀文化、仮面劇、祝祭ーー。

 泊まった宿がたまたまダニエリだった。快適な日々だった。ダニエリはサン・マルコ広場のドージェ宮殿から二軒おいて東側の大運河沿いにあった。十四世紀に当時の太守ダンドロが建てさせたという豪華なビザンティン風の宮殿である。海の明るい光に満たされて、ホテル・ダニエルでの私の夢の数日が過ぎていったのだった。
 
 海にきらめくサン・ジョルジョ・マジョーレ教会を、対岸に見ながらの朝食も格別だった。いつもテーブルの近くの席で、恰幅のいいジェントルマンが、色白で眉毛の濃い神父と声高に話合っていた。

 そして、私はホテルを出ると、攣られるようにしてひっそりと息づく路地裏をぶらぶらするのだった。運河にかかったさまざまな橋を渡った。宮殿や商館の前で佇んでいるかと思えば、また歩をすすめてゆくと、思いがけない広場に出たりした。一日中、当てもなく歩いた。時間と空間が幻妙に織り混ざったひとときだった。光の根源に取り縋ろうとするかのように、私は、私の内なる薄明の水の都を流離っていたのだろう。

 ーー小庭の侘介椿にかかる夜来の淡雪が眩しい一日。久方にゆったりした気分でヨシフ・ブロッキーの書いた『ヴェネツィア』(岩波書店)を見ていると、その比類ない美しさで描かれる水と光のモチーフは、すべて透明な冬の旋律につらぬかれ、限りない夢の源泉を切々とよびおこしてくれる。


  (制作中)

『文』1999年01月号

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