夏の魔笛

ーー二〇〇六年夏、時下風塵早々。



月曜日、きょうも酷暑。

などて夕べの鱧しゃぶ味気なくて料亭時雨若女将失踪

さう、西陣より受信す「雷雨にて群盗襲撃、死者数名」

弾道ミサイル発射ノ報ニ憂悶シ一身徘徊ス墨堤ニ情婦(アマン)連レ
路地奥の暖簾掻き分け雨の夜に求む伯父貴好物の棒寿司
そのかみ蒼茫決起す憂国の士「振袖ちらと見初め」の置手紙

蝉時雨、過ぎゆく日暮れに。

亡国の童謡(うた)などうたひわれらなほ曼荼羅町の洋館(いえ)にて密議

ダリの絵に記憶喪失の荒野あり月光(つきかげ)あはく蛍を殺す
わが桜散らしの文様の羽裏 思ひ乱れし昨年(きぞ)のゆふべは
青山在住のセレブ寂(じやく)として今宵謡はむ「賀茂物狂(かもものぐるひ)
くれなゐうつせみかのこゝろまぼろし 血痕おぼろ扇投げ捨て
狂言師 幼きピエロと昏れおちてねむる愛(かな)しき五山送り火

モーツァルト祭終り京洛(みやこ)に還りきてひそかに吹きぬ夏の魔笛よ


また、DVD『カサブランカ』見る。

さらば愛してゐたるゆへ俯きていふな哀しき濃霧(きり)の空港

蜩の啼きぬ夕べをいづくにか「秘すれば花よ」と遊(すさ)び行きしや

嘲笑(わら)ってくれカサブランカに誓ひてよ明けゆく夜のさはれ好事心(ものずき)


バンコクより来信――一昨年夏、過ごした川辺のホテル。

静かなるときのながれぞ紺青の王宮に舞ふ鳥の影かも
暁の寺なればわれ泪ぐむ太刀鞘鳴りてよぎる益荒男
花掲げ少女ほほゑみ明るきをチャオプラヤーの川の流れに
王宮に祈る亡びのゆふぐれの雨に濡れたるエメラルド仏
ゆめうつつ風のそよぎにうたはざる一日が過ぎ頬髭を剃る

されば「愚老のたのしびくらし」とよ。

黒の絽の羽織脱ぎ捨て団扇投げ夏河越へて興じぬ一座
親交之社中に申す昨夜吉野より帰京かなしきかぎり
「愚老のたのしびくらし」など関はり知らずかくて蕪村を拒む
同志、江戸遊学から帰りて雨の夜に決起す最後の謀反

漆黒の馬を洗はばて払暁にははをあやめて大和に向ふ


一日、琵琶湖にてヨットクルージング。

帆にはらむ風よ光よみづうみの老いざらめやもわれの夏なる

「太陽がいっぱい」なりぬ湖(うみ)の夢 はばたくセールにほほゑみゐたる

半身透けデッキに寝転び波を切る短き夏の記憶をたどる

ナイスガイ佐々木艇長とる舵の青き水脈(みなお)に千鳥鳴くらむ

紺碧のヨットクルージングくるめきの琵琶湖の夏のしぶきに濡れぬ



(歌誌『月光』6号 2006年12月15日発行)


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