田中寛著『記憶』(私家版)の意味するもの


 この10月に中国湘南大学の学術交流で一週間の集中講義をして帰国の田中寛氏より私家版『記憶』贈られる。日本人の戦後問題を主題にした作品「八月のハルピン」「記憶」「恩讐の谷」「空しき憧憬」など、戦後文学の批判的継承を重ねる「第一創作集」はずっしりと重たい。

 「故高橋和巳に」と献辞されているところからも、氏の重層的なスタンスが伺える。戦争体験、戦場体験がないまま戦後ずっと置きざりにしてきたものを無視しては「このまま社会、世界と無縁に生きることに空虚さを感じる」葛藤と昏迷が迫る。

 田中寛氏は現在、大東文化大学文学部教授。タイ、中国、英国での滞在経験を持ち、専門は日本語学、比較言語文化論。本書からは「文学作品として昇華させたい意志」が痛切に伝わる。

 さらに中国湖南省での擬似的な戦争体験、戦争被害者と日本人の良識、学童疎開の体験、傷痍軍人と少年の心の交感を描く諸編は第二創作集として上梓予定という。戦後の空洞化した状況を解明する同氏の視線は無類の優しさと過剰さに満ちている。


【2006年10月25日】


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