日録●太田代志朗●2022年 |
2月26日(土) 晴れ。春の訪れ。 晴れて春のような一日。気分上々。 朝から執筆し、昼過ぎに家人を連れ公園ウォーキング。 「もう遠くへの旅行もできなくなって・・・」と歩行に自信なくした家人がいう。 帰宅して、石川県小松の菓子司松葉屋の栗むし羊羹。 「我が心は石にあらず」(「高橋和巳電子全集」第7巻:小学館)発信なる。 2月24日(木) ロシア、ウクライナに全面攻撃。 晴れ。北風が冷たいが、公園ウォーキング40分。 竹林の前の草むらに蕗の薹がいっぱい芽をだしている。 懸念していたM病院での家人の定期検診は何もなくひと安心。 冬陽さすゆったりした昼食後、TVに釘つけになる。 ワイドショーがロシアのウクライナ攻撃を刻々と伝えている。 茶の間に爆弾の火がとび、爆音が鳴るーーロシア軍、ウクライナで全面侵攻。 ミサイル攻撃、空軍基地の軍事設備も破壊したと。 2月23日(水) 天皇誕生日。 晴れて冬空が澄んでいるが、北風冷たくウォーキング30分。 雑木林が轟々としているが、天地運行なりと呵々。 昨日は練習場で3時間余の打ち放し500發、足腰がこころよく痛む。 炬燵の中に寝ころび、なぜか春日井建を読んでいる。 2月20日(日) 雨後晴れ。 朝からの小雨が昼前にやみ、時折り陽がさす。 小庭の侘介椿繚乱、生け花の紅白の梅が散りはじめている。 「石原慎太郎短編全集」(幻冬社)読む。 脳梗塞を患った晩年の作品ーー死、夢、海、ヨット、暴力的回想。 2月18日(金) 寒風つきウォーキング。 晴れ。真冬の寒さがこたえる。朝食に粥、鯵の開き、納豆、味噌汁。 昼前の寒風の吹きさらす公園ウォーキング60分。 コロナ自宅療養者、57万人超で過去最多ーーとまれマスク、手洗い、うがい、街にはでないこと。 坂下隆誠氏に依頼しておいた「京都文藝タイムス」連載エッセイの大部のコピーが届く。 大切な資料を消失し困っていたのだが、有難く速やかに善処してくれた。 同紙編集兼発行元であった坂下さんは京都から現在、町田の光明寺東京別院で、久しく会っていない。文藝タイムスは休刊中だが、森川達也氏(文芸評論家)らもかかわっており、いろいろ思いこもった文藝潮流が渦巻く。大変な分量で、われながらよう書いていたものだと感心する。 2月17日(木) 日本海側が雪。 昼前の公園をウォーキング50分。 負荷をかけた トレッキングシューズ で歩いている。 小さな雛人形をとりだして飾る。 「桃の節句」、「弥生の節句」ともいわれるひな祭り。 女の子の美しい成長と幸福を願う。近くの人形博物館では多彩な展覧会や催事が行われている。夜、冷える。ーー満月煌々。 2月15日(火) 北陸に春一番。西行忌。 晴れたり、曇ったり。 東京新聞のコラムに銀座の寿司処”きよ田”のことがあった。 うかうか入れぬ伝説の店であるが、2、3度入店しており、それで思い出したのは、そのカウンターで偶然に江藤淳氏(1932~1999)と一緒になったことがある。その前にも江藤氏は銀座通りを大きな買い物袋を下げて奥方と一緒に歩いており、通りすがりに会釈していたのであった。 あれだけの文壇きっての強面が、鎌倉の雨の夜、愛妻に先立たれ自裁した。 なぜ、満ち足りた晩年を送れなかったのか。人間の生き様なんて、まったくわからない。 書棚周りの整理で慣れない大工仕事をしていて切った指が痛い。 PCのキーボードが自由に打てないでいる。大江健三郎の初期小説を読む。 2月14日(月) 寒さ和らぎ。 関東は予報された大雪の恐れもなく、朝から晴れて寒さも和らぐ。 雛祭り前の人形のまちだが、どこにも華やかさがない。 郵便局~図書館に寄ってからウォーキング50分。 ロートル感深まり、あれこれ動作も緩慢になっている。 S院の整体マッサージでカツが入る。 2月11日(金) 雪のあと、建国記念の日。 昨日は雪になったがさほど積もることもなかった。 今朝は晴れた青空で、地面凍結の注意がうながされている。 起きがけに家の前の雪をはきとっておく。 公園に行くと2、3cm積もった雪が溶けだし、泥濘になっている。 寒さがゆるみ、雑木林が何か春の息吹にみちている。 ・雪ふらば狂はゞくるひゆめみてよさなりみぎはの花につげむや ・かくなりて闇のワルツに舞ひおればまたかなしくも風たちゆかな ・きさらぎよ雪の夕暮れなにしかもされば武州に老いざらめやも 2月8日(火) 晴れ、寒風。 心配していた家人のピロリ菌の検査と除菌はT内科院ので診たてで良好。 また今年も面倒な確定申告は、一切合切お任せになっている。 「日本の悪霊」(「高橋和巳電子全集」小学館・第9回配信)解題の校正がでる。 ちなみに同巻付録には映画の台本、写真なども満載。 夕食に湯豆腐、熱燗でほろ酔い。 札幌や北国は大雪。週末は関東も雪になるようだ。 2月7日(月) 全国感染者10万人を上回る。 関東は朝からスッキリとした晴天で、空気が冷たい。 朝一番(9:00)にM耳鼻科院、喘息で苦しんだ鼻詰まりもよくなる。 公園ウォーキング60分。家に帰り、乾燥した小庭の花や緑に水をいっぱいやる。 村田喜代子の『蕨野行』の迫力と気韻ある文体に息をのむ。 落魄の山野における飢えと死、嫁と姥の確執ーー棄老伝説は今昔物語集、大和物語にもあり、土俗と伝説の死にゆく者の蹌踉たる祷り。 夜のBSフジプライムニュースは「石原慎太郎がのこしたもの」。 2時間たっぷりの石原節が編集され、”自主”国家と日本人の有り様。 懐かしく西部遭、堺屋太一氏も登場。タカ派論客であれ何であれ、皆んな元気だった。 2月5日(土) 人形のまちに雛の幟。 空気が乾燥し、人形のまちに雛の幟がはためく。 北京五輪にまったく関心なく、ショパンのピアノ協奏曲。 第2楽章は甘く華麗にして春の夜の夢のよう 家に籠り、炬燵に足をつっこみ半分うつらうつら。 柳美里『永住する死と生』、関川夏央『人間晩年図巻』など一気に読む。 ファイザーワクチン接種をうけた左腕の痛みも和らぐ。 2月3日(木) 節分。3回目ワクチン接種。 晴れ。豆をまき、鬼を追いはらって春を迎える。 こいつぁ春から縁起がいいわえーー厄払いの声。 ワクチン接種は1回目=2021年6月2日、2回目=2021年6月30日。 その3回目をさいたま市コロナワクチンコールセンター指定でを受けてくる。 会場は岩槻駅前のワッツ東館2階・特設会場で、これまでの病院と違いいささか緊張していた。 思ったより人混みもなく、待合の椅子席もがらんとしている。 若いスタッフがたくさんで細々と応対してくださる。 感染者は10万人に迫り恐々の日々。さて、接種後の副反応など何もなく誠に有難い。 2月1日(火) 石原慎太郎氏(89歳)逝去。 如月、一点梅花の候ーーTVをつけて、石原慎太郎氏の死去を知った。 89歳、文壇の寵児で「行動する肉体派作家」にして、さもありなんのかと思う。 同時代の芸術家や思想家にあって厄介な政治を持ち込みながら、常に男の沽券を保ち颯爽としていた。ちなみにその石原氏が高橋和巳の訃報を知るのは相模原ゴルフクラブで文壇ゴルフの最中だった。 書庫には『孤独なる戴冠』、『わが人生の時の人』あり。 曽野綾子氏との対談『死という最後の未来』(幻冬社)を読んだのはつい最近で、その死生観を語り印象深かった。あの脳梗塞後の不自由なお体で毎日2Kmのウォーキング&スクワット励行、そして最後の執筆に向かわれていた。心からご冥福をお祈りします。 晴れているが厳しい寒さがつづく。 家から城址~スポーツ公園をウォーキング90分。 |
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