青き扇
――山中智恵子さんを悼む


●二〇〇六年三月九日逝去。

たまきはる訣れゆふべの春しぐれ鬼神(もの)しりびとの叫啼(さけ)びゆくかな

三輪山の月に語らむひたぶるに行きてかなしくきみはいひける

思ひゆゑ虚空日月さみなしにみずかありなむ春はゆくはも

魂匣(たまばこ)に問ひて放てば群鳥のいましし啼きて誰に告げなむ

訪ひがたき夜に急ぎぬ急ぐべしゆきあはざるを逐はれ翔るや

ゆきあひし夕べの陰に哭きぬれてさみしき巫女のいづこへたちぬ

●その連歌会(「駿河台世吉」)の座にご一緒させていただいたのは、
二〇〇四年五月三日、東京・山の上ホテル。

水扇投げて軋むやたましひの蒼き鞘にぞ夢の揺れたる

水甕に朝の光を詰めはこぶからくれなゐの古国を逐はれ

あかときの大和にありていやはての義に発ちゆかな怪士(あやかし)なれば

何しかも怒涛にゆらぐ日の昏れて遊びはてなむ悪行も尽き

なぜかまうかなしきまでにまぎれゆき狂ひて月にいだかれ睡る

いつの日か蛍をさがしゆくきみを殺め血しぶく夢のなかなる

●紫づくしのきもの姿の前に緊張した。
始めての出会いであり、私にとってはそれが最後のお姿だった。

紫の紋綸子地に咲き匂ふ花に笑みてし初夏(なつ)のおもかげ

神々の行き交ふ朝に三輪山の帰らやあはれ髪吹き流し

はつなつの光満ちたる座につきてうららほめらむ山中智恵子

乱声(らんじよう)の夕べにあればたまかぎるなれど歌へと君はいふはも

われいつか悪王子町に住みざれば悪のかぎりに転がす手鞠

伝承のあはひに咲(ゑま)ふ『斎宮志』、くちびるあかき倭(やまと)姫かな

●連歌会が終わって、夕食のテーブルにはフランス料理にワイン。
その時、書いていただいた色紙は、
「くれなゐの雨降るこゝろはる乃雨老いにけらしな老いさざらめやも」。


くれなゐの雨よいづくに降るらむかその書の墨の淡き流れに

老いざらめほゝゑみてゆく飛鳥路の雨降るこころ春の荒魂

母が夜に鼓かなしく打ちおりて涙を拭うわれと姉君

つひに詩歌(うた)くるめき絶へぬ日となりて出航せしやイージス艦は

青き扇水くぐりゆく夜さらば夢のかそけくわれらなだれむ

影姫よ風よ常世よ情(こころ)せよ隠さふべしや見放(みさけ)む山よ

盗賊も流星もいま叫びゐてせつなき深夜(よる)に祀り崩れむ

歌誌『月光』第5号(2006年7月15日発行)

▲INDEX▲