今江秀史著
京都発・庭の歴史
発行:世界思想社

書評
庭の文化を実感豊かにひきつぐ
調査と実務の成果が問う日本の美と心

太田代志朗

 
 
 日本庭園には池泉庭園、枯山水庭園、茶庭があり、その密度の濃い世界が深い感動をあたえる。われわれの石や草花に対する心の通いかたには独特の細やかなものがあり、庭園の素晴らしい造形力にひきこまれる。 

 本書はこれまでの庭園史体系や凡百の名園ガイドを向こうに、様式、デザイン、作庭家論中心でなく、何よりそこから脱構築された「庭の使われ方」について詳述している。

 第一章では「使わなければ庭でないーー平安時代」。第二章「見映え重視のはじまりーー平安後期~安土・桃山時代」。第三章「百「庭」繚乱――江戸時代」。第四章「庭づくりのデモクラシーーー近代」とその歴史を解き、つづく第五章「伝統継承の最前線に立つ人々――現代」で、同じ課題を前にした過去と現代の職人は似たような考え方へと導かれ、庭仕事という統一と連動して小集団が形成されることを明かしている。終章は「庭の歴史と現象学」になっている。

 著者は京都市文化財保護課の専門技師。史跡及び名勝の発掘現場に立ち合い調査。日常の仕事は「指定された文化財の修理と維持管理をするための助成金の交付や、それらの現状を変える場合の書類手続き」である。こうした庭の管理にともなう指針をつくり、おおむねに一年に一件のペースで文化財指定をしてきたという。

 若く庭師のアルバイトをし、京町家の庭の手入れにいった。渾身のフットワークで日がな史跡名勝をまわった。嵐山や醍醐寺三宝院、龍安寺方丈など担当。滴翠園の修理で、十年近く西本願寺に通いつめた。石組みや建物など庭を構成する要素の意図を知ると、興味はつきることがない。

 また醍醐寺三宝院の藤戸石は権力の象徴としての歴史を秘め、その護岸の仕組みの調査や修理方法の検討が行われている。そこに工人たちの手が入り、庭が保存、再生されていることがよくわかる。多くの庭の所有者、庭師の協力があってのことなのだろう。

 かような伝統的な庭仕事の世界であるが、「近代的なパラダイム」から大きく変化していると著者はいう。たとえば、荒れた築山の表面を文化財修理で修復する際、流出した土を拾い集めて再利用できる。しかし、地質学の専門家によれば、「何千年から何万年もかけた堆積した土でできた岩盤と人の手によって打設したり配合したりする土の層は、顕微鏡レベルでみると、断面の構造がまったくちがう」。したがって、これまでつちかわれてきた伝統的な実務的庭づくりと、「実験や調査のレベル」では、それぞれの食い違いや葛藤があるにしても、「日常生活の声に耳を傾ける学問の手法を検討することができた」という。  

 管見によれば、四季折々の美しい自然が日本の庭園の発展に大きな力を持っていた。陽の光が木々の緑を通じてまばらに池の面に落ち、自然ないし神秘との出会いに、われわれはいつも心が静かに洗われる。しかし、だからといって、自然をそのまま庭に写したものではない。庭は自然の景観をもとに、ある幻想にもとづく空間を前に、石や樹木を素材にして巧みにつくりだされていく。

 幾多の戦乱火災を経て、古都の風塵に鎮魂慰霊の灯りがともる。都大路をぬけて野の道をたどると、涌き流れる水の風情が身をつつむ。庭にたたずんでいると、閑寂に、豪放に、また切なくも夢をくぐり、幻のかぎりをふぶいてくる。 

 石や草や木にも仏性あり、菩薩がほほえむ。落下流水に行き暮れるも、聖と俗、無と有。穢土から浄土への光の曼荼羅がひろがる。日々の慈しみに、われわれの心を優しくいたわる庭だが、そこから一歩すすむと何ものも仮借ない厳しさに変わる。まさに作庭の妙か。地下の夢想国師がささやく。遠州がせまってくる。

 本書は、宗教と文化の専門新聞の掲載、また大阪大学人間科学研究科に提出の博士論文のエッセンスを加えて書きおろしたものであり、「千二百年以上もの長きにわたって続いてきた庭の文化を円滑かつ確実に引き継いでいくための試み」であると著者は謙虚にいう。

 京都好きも京都嫌いにも、まことにスリリングな京都発の庭物語。真摯直截な文章で、しなやかな気韻にみちる。実感豊かなメッセージであり、土まみれの逞しい筋力と深い調査研究が冴えている。
 

『図書新聞』(2020年10月23日号)


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