書 簡


■私信は当事者以外には秘すべきで、衆目にさらすものでない。しかし、「作家の言動は広く語り継がれなければならぬ」との思い熱く、ここにあえてその書簡を公開する。
■その後の高橋文学のありようを見るにつけ、また曲解された伝説が定着しつつあるなか、運命的な全共闘運動への加担が心情倫理からの政治介入にあったたにしろ、清新な文学創造の多様な深層は一つ一つ開示されなければなるまい。
■北川荘平著「長篇小説の鬼 小説・高橋和巳」(文春文庫)で7通の書簡が引用されている。その他、高橋和巳書簡については1部、県立神奈川近代文学館に寄贈されたとも仄聞しているが、私の関知するところでない。
■封書は「昭和43年7月」の筑摩書房・原稿用紙(200字詰)、また市販のコクヨ400字詰原稿用紙である。
■なお、[昭和43年7月書簡]は一部判読不可能箇所あり、「・・・・」としておく。
   
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11964年(昭和39)7月[吹田市垂水一八一五より(ハガキ)]


今月、二十三日、日曜日、VIKINGの例会が行われます。雑誌はまだ来てませんが、そういう連絡がありました。
もし、出席を御希望なら、前日二十二日まで小生宅まで電話してみてください。大阪381・8328です。
太田代志朗様          
              高橋和巳


19648


21964年(昭和39)8月[吹田市垂水一八一三より(封書)]


拝復
「散華」TVドラマ化の御批評有難う。
演出者と二三度電話で脚本の不備を補う話をかわした程度で、あとは白紙委任に近かったので小生自身ひやひやしながら観ましたが、、予期以上によく出来ていたと思います。原作にない女性を登場させることも、いわばやむをえないドラマ化の要請であり、私は寧ろ感心しました。
實は放送時間、二部の授業があったんですが、学生諸君と喫茶店を占領してみました。大半は原作を読んでおらず、安保世代の人物の側からドラマの進行を見ていた様です。御指摘の通俗化の面もありながらも、若い世代のドラマ参加にはある役割は果した様です。尤もあれが女性である必要は本当はないし、女としては堂々とたることを言いすぎてる位ですが、ま、やむを得ないのではないかと思います。
NHKの方、小生の脚本自体が後になってしまってその後連絡だしていますが、機会をみて、君の詩劇の感想をきき、且つ、君を加えて話す機会を作ろうと思います。ただ、七月いっぱいは絶望的に時間がつまってますので、暫く待っていて下さい。
序説第二号のすみやかな刊行を期待します。それから、やはり、ともかく何処かへ就職しなさい。
それから、多忙とはいえ、一日中、書いて書いている訳ではなく、夕刻から二三時間は、ビールを飲んでぼやっとしている時間もあります故、暇の時に一度遊びに来て下さい。
太田代志朗様                       高橋和巳                          

         1965年7


31971年(昭和411月[鎌倉市二階堂七四八より(ハガキ)]


先日、橘君より「対話」第二号発行についての会合通知頂きました。
行くよう予定を組んでいましたところ、痔疾が悪化し、また手術せねばならなくなり、駄目になりました。今年の正月は散々です。
橘君はじめ皆さんに、遥か鎌倉より残念無念を叫んでいる旨、お伝え下さい。
二三週間養生をすればよくなると思います。その頃、一度遊びにいらして下さい。不一
太田代志朗様                      高橋和巳


19661


41972年(昭和475月[鎌倉市二階堂七四八より(ハガキ)]


返信おくれてすみません。
南北社から、君に原稿依頼した旨、連絡がありました。よかったですね。
「対話」所載の「反復」にむろん手を加えて出されるといいと思います。ここしばらく全力を尽くして改訂してお出しなさい。機会を与えられた時が大切ですから、頑張って下さい。
太田代志朗様                      高橋和巳   


19675


51973年(昭和487月[鎌倉市二階堂七四八(封書)]


一字だけですが訂正箇所がありますので、宜しく。近く東京へは行きますが持ってゆこうと思いつつ、ふと忘れる可能性があるので郵送します。
一度、遊びに来て下さい。友達をひっぱって来てもかまいません。・・行きましょう。
太田君                            高橋

 1973年(昭和43)7月


61973年(昭和4811[京都市左京区吉田本町 京大文学部気付(封書)]


拝復
新潮社より依頼あったこと、大変嬉ばしいことと存じます。同人誌「対話」は一面、新人を世に送り出すためにもありますから、遠慮せずにいい作品、自信のある作品が出来れば新潮に持込むのがいいと思います。小生があづかっている君のスックラップも、別便にて送り返します。
これだと思うものがあれば、原稿に清書しなおして出してもいいでしょう。もっとも、君の年代では次から次へと作品が書けるでしょうし、書けねばいけないので、旧作よりは新作がいいと思います。また、新潮は原稿を出しても相当な注文がつくと思いますが、機会はやはり無為に見送ってはいけません。
それから、新潮に投ずる作品は、正攻法の作品、つまり今度の「このひとときは風にみち」のような作品がよいと考えます。いや、新潮に限らず、方法的実験もいろいろ試みたいでしょうが、まず、デッサンの確かさが解るものであるのが、新人の場合はいいということは、世間智として知っているといいでしょう。
では、また。十月三十日
太田代志朗君                      高橋和巳

1973年(昭和43年)10


71975年(昭和501月[鎌倉市二階堂七四八(封書)]


太田代志朗君
いろいろお手配ありがとうございました。マスコミ黒書、大いに利用させて戴いてます。
さらに甘えてすみませんが、テレビ局の、会社の体制というか、局がどうわかれ、部がどうなっていて、どの部に何人ぐらいの部員がいて、どういう仕事をしているか、また常務重役にはどういう担当があるかといった会社便覧のようなものは手に入りませんでしょうか。簡単なものでいいんです。もし、手に入りましたら、お送りいただけませんでしょうか。関連会社にどういうものがあるか、とかですね。簡単なものでも分かれば、あとは他の会社のことから類推はつくんですが・・・・。
それから編集後記は橘君のところに送っておきます。
どうも、勝手な用件だけで、失礼            高橋和巳

 1975年(昭和45)1月


81975年(昭和502月鎌倉市二階同七四八(ハガキ)


大変役に立つ資料を送っていただいて有難うございます。いま一日に二三枚づつながら資料を生かしつつ原稿を書いております。体のほうは、あまり思わしくありません。長期戦でゆっくり養生するつもりです。社長さんには宣しくお伝えください。また冬樹社の高橋さんには、たずね来て下さるぶんには、別段いつでもかまわないと、会われる機会があったら伝えておいて下さい。二月三日 敬具


1975年(昭和452

 

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