『ARUKU』『現代文学』『捨子物語』『文藝』
私の手元の資料による若干の解説とそのよすが





『ARUKU』7号 1953年6月発行
同誌は佐々木一郎、宮川裕行らが中心に政治標榜を全面に押し出す傾向を嫌って純文学的な運動をめざした。
ガリ版印刷本文71ぺージの小冊子である。

高橋和巳は『藪医者』を発表。






『現代文学』創刊号 1957年10月発行
編集委員=高橋和巳、小松実、近藤龍茂、宮川裕行
発行者=高橋和巳・京都し中京区仲町竹屋町上ル
活版195ページ

高橋和巳は『捨子物語』を発表。
表題脇には「幼而無親日孤、老而無子日独ーー孟子」とあり。






『捨子物語』は足立書房より1958年6月発行
題字:小川環樹 装丁:近藤勝彦
「対話叢書1」として上梓された、高橋和巳の渾身こめた待望の一書。
原稿は出来上がったものの、足立書房発刊に至るまで紆余曲折があった。

「自分の事ばかりを言って来たけれども、真先に書かねばならぬことは、有形無形の援助をおしまなかった数多くの人々への感謝である。鉛筆書きの、誤字も少なくない原稿を浄書してくれた妻、また発端の僅かを読んでから長い間忍耐強く励ましてくれた友を持ち得たことが、この物語にとってどんなにか幸福であったことだろう」(「あとがき」)。





『文藝』(河出書房新社)第4巻・第6号(1965年6月発行))
表紙は高橋和巳の写真(撮影=細江英公)、長編小説『堕落』280枚を大きくうたう。

『堕落』は『悲の器』以来の本格的な長編として、満を持して発表された。

「かつて満州国を夢み、今は社会事業にうちこむ男の突然の転落は何ゆえか?」
そのコピーも「新鋭の意欲作」として華やかだった。

たまたま乗った大坂の地下鉄の社内吊にも、このポスターが大きく掲げられていた。
それを高橋さんに伝えると
「え? ほんまかいな」
と満更でもなさそうに大きく笑った。




『憂鬱なる党派』は1970年11月30日、河出書房新社の”書き下ろし長編小説叢書1”として初版発行された。

1400枚。
同人雑誌「VIKINNG」で連載され、杉本秀太郎などには、
「文体が固くてなっとらん」など酷評されたものだった。

「戦後の若者たちが闘いとった栄光とは何か。政治と社会の現実に破れゆく青年の群像」は、世に大きな衝撃を与えた。
時に、「朝日ジャーナル」に『邪宗門』を連載中だった。

高橋さんから謹呈された署名入りの1冊は大切に保管。
もう1冊を買い、仲間たちと読書会を持ち、各ページはメモで真っ黒になった。




▲INDEX▲