日録●太田代志朗●2025年 

5月29日(木) 認知機能検査。
晴れ。西から雨で梅雨入り前となる。
運転免許の返納を考えながら、諸事あり運転している。
その運転免許の臨時認知機能テスト(埼玉県公安委員会)を受ける。
出題のイラストはBパターンだったが、あれこれ混乱。
たが、「認知症のおそれがある基準には該当せず」で合格。ほっとする。

*この臨時検査は、2月6日岩槻駅前通りでの「1時停車違反罰」である。
*試験場の岩槻高齢者講習センターは家から車で10分ほどの近くで有難い。


5月28日(水) 侘介椿の剪定。
晴れ。眩しい青空、爽やかな風が流れる。
わが家の侘介椿は小庭に約20年、大木になり毎年、花繚乱。
その木の剪定にあれこれ約10日間、躍起になっていた。何とか木の高さも1尺ほとつめ、枝も大胆に伐りつめた。

ひと昔前、植木職人に頼んで、伐ってもらったことがある。
休憩時に出前の蕎麦をだすと、「あっしゃ京都で修行してきたんですが、ね」という。親父は日焼けした顔でやさしく笑った。その親父の作業では花芽を残し、樹形を整える間引き剪定ということだった。もともと庭の花や木は、家人が精魂かたむけやってきている。何とか老躯をムチうち発奮。わが家の侘介椿々がまた装い新たに育っていく。


5月26日(月) 晴れ。
運動スクール(振替日)で調整、体力アップ。
人つきあいや噂話も詮無く、ひとり緑陰に憩う。
時折の行人ありて、すべからざるや。


5月24日(土) 曇り。
早朝5時に起床。ヤマボウシが咲き始めた。
なぜかモーツァルトの「レクイエム」。
京都の小松辰男の天龍寺、中西省吾の静市寺の墓へ参らねばならぬ。

・落莫の身辺たれよ転寝よ五月ゆふぐれ雨降りはじむ
・真偽など当てにはならず幽玄の境に揺れて浮身かたりぬ
・悪業もわが身のゆめもいづくにて風に吹かれて埋める初夏


5月23日(金) 剪定、リハビリ、転寝。
朝からひんやりとして過ごしやすい。
朝食を終え、小庭の枝折戸をおおう青紅葉の剪定。
大きく育ったわが家の青紅葉、梯子にのぼるり恐々ながらの作業になった。
ひと汗かきシャワ―浴びて、予約のH整形のリハビリ(電気、牽引、マッサージ)
台所の換気扇交換見積(18.50007円)をとり、家人は雑貨を買いにでかける。
ーー大の里13連勝、綱取りへ、大相撲夏場所(東京・両国国技館)


5月22日(木) 晴れ。健康運動スクール。
早朝に目覚める。たっぷりの陽ざし。
定例の運動スクール(10:30~12:10)、身体がほぐれる気持ちよくなる。
気温27℃で、夏日が容赦なくやってきた(昨日は二十四節気「小満」(しょうまん)、 山の緑が深まり生命力が満ちていく季節であるが)。

川野里子著『葛原妙子論』(本阿弥書店)読む
興味深い歌人の歩み。歌の深みと自律ーーそのしなやかな文体。
・暴王ネロ柘榴を食ひて死にたりと異説のあらば美しきかな

頃日、長年愛用してきた「NIKON COOLPIX7100」のサポートが終わる。
それならと「COOLPIXP950」を買うべく算段中なり。最新「COOLPIX1010」(149.600円)があるが、当方は不器用にて写真はもう気軽なスナップでいい。


5月20日(火) 真夏日。
早朝5時に起床。目覚めよく呵々(時々、睡眠剤マイスリー4分の一を服用)
ゴミ出し、玄関周りの掃除、小庭の水撒き、ベランダに布団干し。
茶道教室にいく家人を見送り、PCを開き迷惑メールの削除など。
一挙に真夏日。急に暑くなり身体がついてゆけない。



5月19日(月) 曇り、底寒い。
曇りで底寒く、リハビリを終わって昼前の公園をぶらりとする。
風もなく樹々が鬱蒼とし、重たい気圧に閉ざされる。
ーー安穏な暮らし、老いの混濁、夢の崩れの脈音。
独りで碁をうち俳句をひねるといった市井のご隠居の音沙汰なく、さてと昔語りに先斗町の舞子を引かせ妾がいたりして岡崎真如堂前町。


5月17日(土) 雨の1日。
冷たく雨煙る。九州南部の梅雨入り。
京都では葵祭りが終わり、夏越の祓、水無月(和菓子)
そして、いよよ”衣笠アート・ヴィレッジ・フェスティバル”が開幕。
原章二『加藤一雄の墓ーーアナクロニスムのポストモダン(筑摩書房 1987年刊)読む。『芦刈』『無名の南画家』のの名著、綺麗で翳のある文章。伝説の京の美学者のいけず、傲慢、洒落、韜晦。


5月16日(金) 晴れ時々曇り。
小庭を彩るユキノシタ、シラン、テイカカズラ、エビネ。
日中は26℃の夏日だが、時々雲りで気がしずむ。
定例の運動教室は家人ともども1時間半、健康維持・増進でスローに楽しく。
また昨日のS総合病院(呼吸器内科&循環器内科)診察は予約時間通りでスムーズにすすむ。お陰さまで体調よく、喘息の大量の薬が半分になるなど3カ月分。
ーーあれこれたのしび暮らし、よぎり、流れていく。


5月14日(水) 野田パブリック:ひばりコースで。
晴れ時々曇り。6.140Y、P72,河川敷のノースロー。
8:45 INスタート。専らカートに乗り、脚をかばってのショット。
打ち急ぎ、ひとり苦笑し、前半は何とかスコア50。
それがバックナインになり、コンがつきてしまう。
脚が動かない。クラブが重い。気が乱れる。
打ったボールに行方がかすむ。スコア55。

5月の青く映えるフェアウェイ、風と陽光。
若い頃の気合や昂奮はともかく、ゴルフの妙技・奥義など何も分からず駆け抜けた。そして今、ここに静かに18ホール制覇。「まあ、こんなものさ」と、相変わらずの憎まれ口たたき、河本、前田、太田の3サム。
ーー楽しくいい一日。


5月13日(火) 晴天、薫風。
早朝に樹々の風に気持ちよくウォーキング3.000歩。
リハビリ、家人とスーパーへの買い物、小庭の水やり。
そして少しPCをうち資料を整理し転寝。埼玉の日没 18:39。


5月11日(日) 晴天。
明るい5月の陽光、小庭にユキノシタが咲きみだれている。
昼前の公園にいくと子どもたちがサッカーに興じている。
竹林がサワサワ揺れ、風が匂うように流れていく。
ウォーキング30分、右腰・脚をいたわり茫々。
大相撲五月場所はじまる。


5月10日(土) 京都・衣笠アートヴィレッジ。
立命館大は衣笠キャンパスに「デザイン・アート学部/デザイン・アート学研究科」を誕生。衣笠をアートとデジタル、伝統と革新が交差し、新たな表現が生まれる拠点として話題を呼ぶ。
50年を閲し、立命大にアートが開化誕生したのである。

思えば60年代、立命大・広小路キャンパスは安保紛争で狂奔し、さもしい民主平和のマルクス教条主義に犯され、自由な芸術・アートの色彩豊かな饗宴もかぎられていた。むろん美術部、演劇部、能楽部、囲碁将棋部、茶道部などあった。
そうしたなかで学内雑誌「広小路文学」を浅学は主宰編集、応募する学園新聞社主催の「末川賞」(選者・梅原猛、高橋和巳)も受賞にいたらなかった。「広小路文学」の予算審議で学芸本部にいくと「実践論を読んでいるか」といわれ興覚めした。
「広小路文学」のボックスには日本文学科の安森敏隆もたびたびやってきた。だが、彼は破滅的愉楽の文学論に辟易し、藤茂吉研究に専念し、「幻想派」の短歌結社を起こし、塚本邦雄の膝下で鮮烈に活動をはじめる。

後年、その安森敏隆は同志社女子大学教授となり、NHK介護短歌はじめ、「歌人・白川静」を論じ、短歌結社「ポトナム」の主宰になる。その「ポトナム」で立命大の1960年代の文学構造の経脈をまとめてくれている。

『一九六〇年に入学した私の身近な仲間だけとっても、「哲学科」の太田代志朗がいた。高橋和巳、梅原猛について、今は作家になっている。
「地理学科」に北尾勲がいた。吉野の歌人・前登志夫について歌人になった。
「中国文学科」には清水凱夫がいた。白川静ついてき第一の弟子になり、立命館大学の教授になり中国文学に残った。「日本文学科」には、上田博、國末泰平がいた。国際啄木学会の会長になり、芥川龍之介の研究者になった。皆、白川静先生に習った仲間である。鉄筆で一字一字綿密に書かれた先生のつくられた教科書を持ち、勉強したものである』(2004年6月『ポトナム』HP評論デビュー)


5月8日(木) 晴れ。
健康運動スクールで体操、筋力アップトレーニング1時間半。
足腰を動かし何とかやんわり発進、少し気分も晴れる。
歌誌「曠野」5月号は主宰の飛高敬「命ありて」十首。体調崩され年末入院。「復活のわが身」、「息吸って吐くは命の根源」、「あたらしき命いただき」と新たな渾身の境位をひらく。飛高さん、どうぞお元気で。

「甘ったれた小説を書くな。絶望のポーズを捨てよ」
と60年代学園新聞で一喝された。だが、恩師梅原猛は「太田代志朗は世にもむごい体験をした。三島由紀夫の言語文体は認めぬが、その太田代志朗の絢爛の修辞はここでは生かされている」と歌集『清かなる夜叉』をみとめてくださった。
むろん、ここには福島泰樹、持田鋼一郎、間村俊一の援けがあり、何より塚本邦雄は「新古今につらなるわが同士」と閲されたのだった。


5月6日(火) 立夏。
雨の一日、ひんやりとして肌寒い。
万巻の書が長い歳月のうちに整理され、生涯の伴侶たる残った1冊とは何か。
その一冊も何もなくも桃源にゆらめく。ーーさみだれや仏の花を捨てにでる(蕪村)


5月5日(月) こどもの日。
端午の節句ーー五月人形, こいのぼり、武者のぼり。
昼前の公園ウォーキング。竹林の脇の小径からぶらぶら40分。
大型連休をふるさとや行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュ。


5月4日(日) みどりの日。
夕べはよく眠り、早朝起床。
ことしも小庵枝折戸をおおう青紅葉が映える。
風の流れにさわさわと葉擦れの音を立てる。

昼前に公園ウォーク30分。
左腰にまた痛みがはしり、ベンチでぼんやり。
五体がくずれてゆくようで、雉も鳴かずば撃たれまいか。
ーー5月、武州小庵にて生命燃焼の余燼なりや。


5月3日(土) 快晴。
晴れ、薫風に青葉若葉がひるがえる。
小庭に咲くテイカカヅラ、シラン、エビネ。
富士霊園へも行かず、端座黙然。
ことしの大宮薪能は「鉄輪」「清経」、薪の炎のゆらぎ。


5月2日(金) 雨。
肌寒い一日。雨が午後から激しく降る。
M病院泌尿器科で診察、シドロシンOD錠63日分。
五月雨ーーさみだれ。さみだれに濡れ、さみだれに散りゆくか。


5月1日(木) 皐月。夏切茶。
目に青葉、山ほととぎすの好季節になった。
初夏の陽気に風も爽やか、時が穏やかに流れる。
夏もちかずく八十八夜、新茶の季節のはじまりである。

”要支援”の世話にもなっていないが、遠出することもなくなった。
美術館や博物館、観劇やコンサート、映画館にも行かない。
お連れに誘てもろてあちゃこちゃいったのも懐かしい。
また断捨離を考えねばならぬが、書庫周辺は混濁したままになっている。
混濁したまま消えゆくや。家の近くの公園をウォーキング30分。 


日録サイト:2002年7月~2025年5月

WEBサイト「花月流伝」は2002年7月より開信。
掌篇、短歌、高橋和巳研究、書評、エッセイ、著書目録など
しかるにその大半がアップデート(更新)できず、鋭意検討中。

ネットワーク時代に迷走し、
それでも「純文学終焉」の荒野に、ロマンの夢の文法体系を構築する



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