太田代志朗●日録●2020年 

3月27日(金) 5輪延期。東京ロックダウン直前。
城址公園の桜花が散り始めている。
時々晴れ、花の下をゆっくり歩いてくる。

新型コロナ感染者世界で40万人、死者2万人。
感染爆発の重大局面で、東京も異例の外出自粛要請。
人々は外出を控え、静かな日々がつづいている。

小庭に枯れた夏椿の代わりにと、オオデマリを植える。
家の玄関前が風で流されてきた花ビラでいっぱいになっている。


3月25日(水) 晴れ。城址公園の桜花繚乱。
ことしも桜花が咲き、爛漫の春となった。
朝の城址公園をぶらぶらしてくる。
季節がめぐり、時代がめぐり、花が痛切に咲いている。

三島由紀夫が市ヶ谷の陸上自衛隊駐屯地で割腹した日の朝、「新潮」編集部の小島千加子さんは、三島諦邸を訪ね「豊饒の海」の最後の原稿を受け取る。指定の時間に10分遅れ、三島がでかけたあとになった。
小島さんは、名うての編集者で三島由紀夫、壇一雄、森茉莉担当。
思えば、その小島千加子さんに「原稿を書きなさい」と、手紙をいただき激励された。
矢来町の新潮社を訪ね、やっとのことで書いた100枚の小説を持っていくと、「慌てることないのよ。しっかりね」といわれた。
ーー頃日、手紙を書き、破り捨て、また書いたが、ださないままになっている。


3月22日(日) 「三島由紀夫VS東大全共闘ーー50年目の真実」
いったい、彼等はなにゆえ三島をまねいたのだったか。
1969年5月13日、東大駒場キャンパス、午後2時5分。
その「近代ゴリラ」を壇上にした伝説のドキュメントが始まる。
TBS保管の動画フイルムをデジタル補正、関係者の証言を交えた言語・空間・思想の対決。

「諸君は闘い、僕だって闘っているんだ」
三島の一途で誠実な対応にも敬服させられる。
「諸君の熱情は信じる。しかし共闘は拒絶する」
そして颯爽と退場する言行一致の潔さに感動。泪がでてくる。

ーーかつてTV局でその動画フィルム編纂に1部かかわったとう友人と映画館を出る。
春の夕暮れ、パスタに赤ワインで乾杯。つきぬ思想と行動論に、さらにまた1杯。
思えば1969年5月、”褐色と憤怒”の時代”だった。
当方は高橋和巳と京都で憂愁なる時代をすごしていた、のよ。


3月21日(土) 晴れ。桜花の下で。
朝の気持ちよい目覚め。
小家の前から城址公園に続く桜並木の花が咲きだしている。
気がつけば、武州古城下に流れつき40年。
幼い子供たちと遊び、母を案内し、仕事で遅くなった深夜も彷徨った。

そして、いつも犬と一緒に花吹雪にまみれた。
手入れのない幹は年々荒々しく、徒長枝が尖り、剥き出しになっている。
太い老木が今にも倒れそうだが、今年も花が咲き誇ってくれている。


3月19日(木) 野田パブリック・けやきコースで。
晴れ。不要不急の外出自粛中だが、ゴルフ場に向かった。
7時40分、INスタート。1番ティショットも快調に発進。
フラットな林間コースに花が揺れている。
老いた自分の体質、スイングを知り、ゆったりすすむ。

18H、P71で、5.852Yと距離はないが、大きな池や樹木。
メンテナンスも行きとどき、ひたむきにボールを追う。
バックナインになり、5番(185Y、P3)を痛恨の7打。
だが、7番(435Y、P5)はぶれないショットで攻めパーとした。
スコアは91(44・47)、幸運が訪れたのもメンバーに恵まれたからだろう。

上って風呂を浴び、午後の明るい陽射しの2階サロンで歓談。
立命東武ライン校友会の河本、外岡、吉原、上林山、前田、太田。


3月17日(火) 晴、春寒。彼岸入り。
花が咲き始め、春が一日一日忍びよってきている。
どこか肌寒くセーター1枚、余計に着る。

そのコンテンツメディア、解題の原稿に何とか全体のメドがほぼつく。
参考に「富士正晴全集」(岩波書店)の山田稔・杉本秀太郎解題のスタイル。
「絶やすな、昭和文学の火をーーD+D Books」(小学館)


3月14日(土) 冷たい雨が雪になる。東京で桜が開花、観測史上最速。
夕べはよく眠り、気持ちよく目覚める。
雪の小庭にトサミズキ。小甕に目を覚ましたメダカが泳ぎはじめる。
元気になった家人の点前で光悦写しの”不二山”で一服。
その白楽のほかに、赤楽の”雪峯”、黒楽の”雨雲”があることなど。
ーー 奈良のお水取り(東大寺・修二会)が終わった。


3月12日(木) 新型コロナはパンデミック。感染は世界120カ国。
全世界で感染者数約12万人、死者約4.380人。
NY株急落、世界的危機で打つ手欠き、次々と深刻な実態経済の状況。
クル-ズ船の大失態や一斉休校の失敗も向こうに緊急事態法案。
中止か、延期か。アメリカTV用コンテンツの東京5輪の行方が気になる。

晴れて暖かく、M接骨院で右肘痛の治療。きょうは頸部も超電波をあててもらう。
その後、AQUA(現在、走行距離 145.00Km)走らせ人気のない公園に回る。
R16は車の往来があるが、武州古城化の町も外出自粛で沈んでいる。

田中寛氏のメールに「翻訳の魯迅。増田渉、竹内好などの訳とどう比較 鑑賞されるのか、解説も楽しみですね」と。
因みに中国文学者増田渉氏次男の増田況君は高校時代の友人なり。
今はたまさかのメールのやりとりしかしていないのだが、ね。


3月11日(水) コロナ感染拡大。
晴れ。早咲きの桜が満開で、公園ウォーキング5.000歩。
東日本大震災,、福島原発事故かから9年。
避難している人は約4万8000人、震災の影響がまだ続いている。

別役実氏(82歳)が亡くなられた。合掌。
「マッチ売りの少女」や「象」など、その不条理劇が身を斬り刻むようにせまった。
百鬼夜行の60年代京都で不条理、実存、ベケットなど小松辰男らとよく議論した。


3月9日(月日) 晴れ。 遊行期(ゆぎょうき)の日々。
早春の風、散歩の小道、ユキヤナギ、ハナモクレン。
ちょっと慌ただしく取り組み、ここのところあれこれやってきた。
さて、長丁場の編纂・執筆ーー最期の歓喜、暗黒、無明、救済、舞踏。
亡娘明日香の会(4月11日)は延期とする。会場キャンセル、お友達への通知了。

*ホームページビルダーは現在フレームページは不使用という。
修復正常発信を願い、新たな全体構成・デザイン再考せねばならぬ。
*過日のジャストシステム社サポートで、Webサイトの変更、Webページが削除されたか?


3月6日(金)
 緊急事態宣言で外出自粛。
晴れ、冷たい朝風が吹き荒れる。校友会の4月花見中止。
昨日春日部税務署にて家人任せの確定申告を終える。
京都の高城修三氏に手紙。原稿すすまず、御3時に文明堂のカステラ。
FもKもホ-ムページビルダーは止め、ツイッターとやらで書きこんでいるんだ、な。

*ホームページビルダーの削除されたデータ1部をWEBに戻す。
*さて、ここからの再興・修復は可能なるやーー現状は何も改善されぬ。


3月4日(水) 朝から小雨。
朝の目覚め、少し疲れている。昨日の万歩計11.000歩。よう歩いている。
小庭の濡れた蹲に梅の落花が乱れ、キブシの花が咲いている。
「今後1~2週間」、感染ピーク、一斉休校や医療、検査、保険、マスク不足の混乱つづく。
あのプロンプターの文字を読み上げる空疎な大言壮語、危機感なき対策。
*ホームページ大量データ削除の修復再生の手立て未だなく絶々望々。

3月3日(火) 日本近代文学館で。
晴天。コロナ不安の中、大宮(JR湘南新宿ライン)~渋谷~東大駒場駅前(井之頭線)
車中は席もあき、昼間の駅はいづれもガランとししている。
日本近代文学館で小学館デジタル出版部の方と高橋和巳写真をピックアップ50点。
ちなみに同館の高橋和巳・たか子基金は1億円、健全運営されている。
終わって軽い夕食の席で打ち合わせ事項詰め、時節柄早々に帰路につく。


3月1日(日) 弥生、晴れ。
早朝からのひと仕事終え、昼前の公園をウォーキング&素振り。
家族連れや少年たちがサッカーボールをやったりで賑わっている。

新型コロナ騒動でイベント中止や休校。町はマスクはトイレットペーパなど売り切れ混乱。
3月危機で「経済活動がマヒ状態、株価も暴落が止まらず、2008年のリーマン・ショックや11年の東日本大震災クラス級の惨状になってきた」という。

京都・南座 スーパー歌舞伎II(セカンド)『新版 オグリ』公演中止。
ここのところの編纂に疲れ、立石伯さんへメール。
「いったい、こうして日々、何をやってんだと、時代が移り、人が逝き、綿々蕭然たるものですがそれでもやってゆかねばならぬのでせう。」

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