三島由紀夫没後35周年と憂国忌

 本年は三島由紀夫没後35周年ということで、神奈川県立文学館における三島由紀夫展、映画『春の雪』のロードショー、そして11月25日は憂国忌が九段会館ホールで予定されている。
 
 三島由紀夫が生きていれば80歳の霜月。憂国忌のプログラムは鎮魂祭:乃木神社宮司、神官による。祭主(小田村四郎)。「薔薇刑」スライド上映と解説(細江英公)。追討挨拶:松本徹ほか。記念シンポジウム:パネリスト/井尻千男、入江隆則、サイデンスティッカー、西尾幹二、村松英子。

 1970年11月25日。
 三島由紀夫、自衛隊市ヶ谷駐屯地・東部方面総監室に益田兼利総監を訪ねる。
 決起を促す演説をするため隊員を集めることを要求。
 正午過ぎ、バルコニーに隊員、報道陣など約1000人が集まった。約7分の演説はヤジでかき消される。
 総監室に戻った直後の0時12分頃、三島自決。

 三島由紀夫は自決直前、こう洩らしていた。
 「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このままいったら『日本』はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。 日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国が極東の一角に残るであろう」。 

 騒乱の1日だった。
 三島自決のコメントをとるべく、K通信の文芸記者は鎌倉の高橋和巳邸に駆けつける。
 「三島さんのことなので、自宅に来てくれるなら話す」ということだったからだ。
 記者は出てきたたか子さんの頬が真っ赤な日の丸のような紅に染まっていることに一瞬ぎょっとし、医者の往診中で15分外で待ってから、家に上がる。
 高橋和巳は布団に横になり、天井を見つめながらポツリという。
 「『豊饒の海』を書き終わった三島さんはもう書くものなくなるのでないか。作家として三島さんどうなるのか、心配だった・・・・」

 余命6カ月、高橋和巳は最期まで礼を尽くした。
 高橋和巳にとって三島由紀夫は常に眼前に大きくあった。
 涙を飲んで、三島由紀夫を偲んだのだった。

【11月15日】


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