斎藤慎爾著

逸脱する批評
寺山修司、埴谷雄高、中井英夫、吉本隆明の傍らで
(コールサック社)



熱い情念にじむ創造的なクリティーク
昭和・平成の文学動向を肉眼と実感であざやかに解明


  本書の冒頭には、まず寺山修司がとりあげられている。

 ここには在らしめる土俗の叫びに、妖しくゆらめく凶兆の幻野が無惨に切り裂かれている。望郷の念おさえがたくも、母への愛憎と父性の欠落に呻吟する永遠のアドレッセンスは、また同時に著者自身に内在する血縁、風土、伝統、故郷の謂でもあるのだろう。

 それこそ、申し分のない麒麟騎手への憎愛の結晶であり、言葉のつながりの関係性からいっても、明らかに血のしたたる源郷の離脱と回帰の反歌であるといっていい。なぜか愁い沈んで背すじを伸ばすことのない素性に、辺境の地吹雪が舞いあがる。染めあげる時代の情動を羞しくひきよせるのでもなく、錯綜する夢と狂気が切なかった。

 本書の第一章はその寺山修司はじめ、埴谷雄高、中井英夫。第二章に吉本隆明、大岡昇平、谷川雁、金田一京助、手塚治。第三章に山本周五郎、五木寛之、横尾忠則、渡辺京二、宮城谷昌光、第四章に瀬戸内寂聴、菅原千恵子、北村薫、加納朋子、皆川博子など。第五章の「殺人事件シリーズ」編も、読み巧者ならでは精緻克明な筆さばきであますところがない。

 埴谷雄高は「一種の畏敬の表情で語りつたえられた伝説的存在」であったという。その未完の『死霊』における宇宙の無限の夢の形式をはじめ、永久革命者の悲哀の相貌を目のあたりにすることができる。

 中井英夫については、その衒学的な反推理小説『虚無への供物』の衝撃的な出会いを通じ、幻想文学における流䙁の天使の深淵にわけいっている。尊厳と汚辱の幻想空間が、壮大にして密をきわめ、微妙な断絶の時代に賑わいみせていったのである。

 徹底的な生活者の自立の相のもとにおける吉本隆明には、公私にわたる関係性から学びえた戦後リベラルの欺瞞や、思想のありようが明かされる。一貫性をつらぬく「知の巨人」への言及が豊かにくりひろげられている。

 影の越境の詩人、谷川雁の項にはっと息をのむ。途方もない「拒絶とメタファーの工作者」として、そこに「哀しい断弦の響き」を指摘する。眠りなき幻視のはて、忘却の闇の香りに鈴蘭の花が咲き誇っている。

 また若く挫折し、進退きわまっていたときに、「山本周五郎を読むことで私は救われた」のだった。

 五木寛之との交流も深く、故郷を相対化して荒野をめざす共感が冴えわたっている。瀬戸内寂聴、皆川博子のオマージュも、深い生の哀感とともに美と邪悪のフィジカルな美にみちる。いづれにしても、それらの力量や作品のよしあしが解説され、ひいては読む者に美的至福をもたらせるのも肯なるかなとおもわれる。

 かようにその肉眼と実感により、読むほどに気づかされるやみがたい作家や表現者の真実をつたえている。これもひとえに、着眼の自在制もさることながら、いささかの晦渋とともに、著者が昭和・平成の文学動向の核心をつくゲッセマネの饗宴に常に連なっていたからだろう。そこには一身あびる探求者たちの箴言、警句、断章、アフォリズムが縦横無尽に発せられていたのだった。

 かえりみると一九六〇年安保闘争、二十歳、それが美しいなんて誰にもいわせない。うつそみの評者の同世代感にひきよせ鬱勃としていえば、漆黒の彼方からまぎれもない絶望と叛逆のイリュミナシオンが髣髴としてくる。

 燦然たる世界の不信の方法化こそ、まぎれもない文学のテロリズムであった時代。東北の寒村から出撃する「憂鬱な後退青年」の発信には、痛切な文学へのおもいがこめられていた。まといつく断念と絢爛に身をかがみ、ふりかえれば、その凛々たる言擧げに喝采した日々がよみがえる。

 私性の混沌に深められる表現者の宿業が、敗亡の美学をうちたてる。いや、ありていにいえば、それが原点の存在であったかどうかいざ知らず、さらなる情念の凶々しい血の翳りに、また無粋にうちふるえていたということだったか。

 何もニヒリストの柄でもなく、情況の根拠にこころそそぎ、いやはての怒涛に身がゆらぐ。すべなく暮れゆけば、無上にやるせない。それでも時代の風潮にかかわり、しかればと、独り勝手につんのめる生き様にほほえんでいる。さらりと、脱文脈的にかかわってゆくことが何よりなのだろう。

 当代えりすぐりの文章に宿業のマグマを垣間見せ、人の好みはさまざまであるが、本書は手軽にどこから読んでもいい。それらの行間からは、自ずと著者の立ち位置や息づかいが鮮烈につたわってくる。断ちてゆらめくあえかな含羞の表情をたたえながら。

 デジタルグローバル化による活字離れの現実に、小手先の耳ざわりな文芸論などさりながら、ここには激動の昭和・平成の文学が、情理をつくして解明されている。多様な作家の往還をして、稀にみる同時代の情念をにじませ、読書の迷宮をいろどるべき血涙録ともいえる様相を呈している。

 まことにかりそめならぬおもいこそすれ、死よりも苦悩を、虚無よりも地獄を選ぶ身の潔さに甘んじよう。今どきの拒絶された思想に別に殉じることもあるまいが、そっとつぶやく気骨ある風姿が瑞々しい。クオリアの逸楽と憂愁の水脈をかきわけ、一歩もひかぬ断乎たる著者の流儀であり、まぎれもない正面戦であるゆえだろう。

 いわずとしれた俳人、評論家、作家にして深夜叢書社代表であり、その著者を敬愛する詩人、出版人の鈴木比佐雄が満を持して精選構成。ここに根源的な作家たちとの言葉の関係に徹し、自由に逸脱した「稀有な批評の地平を創りあげている」という。

 細緻にして抑制をきかせ、本書におけるそのほとばしる言葉と表現は、とりもなおさず甘美に解体するエロスの光芒をはなっている。切れ味よい考証叙述にあわせ、酷愛の文学の興趣そのものを、何とも味わい深くうかがいしることができる。新たな時代にむかう熱気が伝わってくる。


『図書新聞』2019年4月27日号所載

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