雨水


 

「あら。まだ咲いてるのに・・・・」
 妻の美智子の声がリビングルームのガラ越しに聞こえた。
 「また、いつものあなたの手入れ、ね」
 「そういうことだな」
 朝の食事が終わって、散歩から帰ると、ふと雲井敦夫は小庭に脚立を持ち出していた。小さな庭だが、枝折戸を造り、織部灯篭に蹲もあつらえ、丹精こめた木々や草花が四季をいろどった。その中でひときわ大きな木が侘介椿であった。それが年末から花を咲かせ、二月半ばになっても、まだ繚乱と咲き続けている。花は来年のために早く摘み取っておくにこしたことがない。安曇野の薔薇の花狂人は三日咲かせただけで摘み取ってしまうというではないか。
 それを、もう少し咲かせておいたほうがいい、というのが雲井家の妻の言い分だった。
 咲き続ける花が不憫だった。十五年ほどに、白の八重の山茶花が枯れて、急遽、植木屋に頼んで植え込んだものである。摘み取っていると、冷たい外気に指先がしだいに凍えてゆく。
 部屋に戻ると、雲居は熱い茶を飲んだ。
 新聞のトリノ五輪関連のニュースはいずれも入賞にならない日本勢の不調を伝えている。
 イタリアのトリノで開催されている冬季オリンピックは茶の間の話題でもちきりだった。冬季オリンピックとしては第20回の記念大会で、テーマはPassion lives here.(情熱はここに息づく)である。80カ国2500人の参加選手で、テレビのキャスターのインタビューや取材を受けて鳴り物入りで送られていた。だが、「転倒で涙」とか、「カーブをミスった」とか、「女子リレー、痛恨」とかが報じられている。だが、メダルの色や個数ばかり耳に入るけれど、選手たちは気負いなく笑い、楽しんでいるように感じられた。血の滲むよう練習を経て、自分の競技がすきでたまらないといっているようでもあった。たまにゴルフをするくらいで、別に雲居はスポーツに殊更に関心を持つ者でなかった。だが、勝っては喜んで泣き、負けては悔しがって泣く以前とちがい、今の若者たちは心底から「楽しんでいる」ようだった。
 その中で、ジャンピ・ラージヒルの日本の出場メンバーを紹介する新聞のコラムで、5大会連続五輪出場で世界にその名を知られた37歳の原田雅彦と、将来も見据えて抜擢された16歳の伊藤謙司郎のコラムに雲居はふと釘付けになった。大ベテランと新鋭のサバイバルレースは、予選の約1時間前の公式練習まで予断を許さないと記事は煽っている。
 スキーといっても、雲居は別段、関心のあるものではなかったが、その時、妙に気になってひきずられていった。
 原田雅彦、1968年生まれ。長野冬季オリンピックでは日本中の感動の渦をまきおこしてくれた。その技は感動のジャンプか、失敗のジャンプかというギャンブル性の要素を多分に秘めているといわれている。
 37歳。出身地:北海道上川待町。五輪実績:アルベールビル個人LH4位、リレハンメr団体銀、長野団体金、個人LH銅、個人NH五位、ソルトレーク団体5位。誕生年のヒット曲:星影のワルツ、恋の季節。映画:2001年宇宙の旅。ゲーム:人生ゲーム発売。主な出来事:小笠原諸島日本返還、3億円事件。大学初任給:2万9100円。流行語:ハレンチ、とめてくれるなおっかさん。
 なるほど、と雲居は思った。
 1968年といえば大学紛争が始まった年である。関西で就職の当てもなくぶらぶらしていた雲居が上京し、銀座に事務所がある広告代理店に勤めた年であった。給料は三万円、毎日忙しく、徹夜続きの日々があり、文字通りガムシャラに働いた。それに、社内では見識や理解のある上司や先輩に恵まれない雲居への風当りは強く、その点でも何かと苦労が多かった。辞職願を出そうと思ったことは数回ある。だが、若さと持ち前の磊落さで乗り切るしかなかった。
 関連会社のデザイン部にいた美智子と結婚したのは入社して翌年のことのことだった。新橋か有楽町駅から京浜東北線で一本ということもあり、南浦和駅から徒歩15分の安アパートに世帯を持った。周りにはのどかな田園風景が広がっていた。鰻の老舗があり、椿という表札のある家の垣根は椿だった。
 「明日は雨水。春ね」
 美智子が低い声で言った。
 雨水とは雲が雨に変わり、雪や水がとけて春の兆しがいちだんと感じられる日のことで、そういえばそぞろ寒さも遠のいているようだった。
 「そうだね。もう春さ」
 雲居は応えるのでもなく相槌を打った。
 「年々、時が早くたってゆくみたい。毎日があっという間にたってしまうわね」
 妻はいうのでもなく、夫から視線を外して声を低めて言った。
 「また、いつもの愚痴かい」
 「ごめんなさい」
 「いや」
 「母も何とか持ちこたえたようでひと安心だわ」
 「うん。ほんとに、よかったね」
 美智子の九十歳になる母は東京・梅里の家で兄と同居しているが、年末に体をこわして入院していた。それで、美智子はこのところ何かと家と東京の病院との間を行ったり来りしている。長男夫婦に待望の初孫ができたものの、ひとときとして休まるということがない。
 「雛祭りも、もうすぐですしね」
 「さあ、これから草木がいっせい芽を出すぞ」
 「ええ。春ね」
 と思わしげに美智子がゆっくした口調で言った。
 「――きょうは雨水なんだ」
 雲居は反芻した。そして、リビングから二階への階段を黙って上がっていった。
 トリノ五輪は後半に入ったがようだが、日本はメダルに手が届かず、苦戦を強いられているようだ。原田は体重問題でまさかの失格となったが、汚名返上の機会を与えられ、さて、どうなるのか。
 ――ガンバレ、日本。原田、やってくれ。そう、おれの三十七年のためにもな。
 
 春雨や暮れなんとしてけふも有  蕪村