死者たちが紡ぐ夢と記憶の再生

福島泰樹歌集
下谷風煙録

晧星社




 本歌集には二〇一六年冬から二〇一七年夏までの三百十余首がおさめられている。

東京下谷「御内府」生まれの著者ならではの真情が髣髴とする。若い母の死の悲しみを通底奏音にしながら、省線電車、御徒町、ガード、上野駅、浅草六区、瓢箪池、煙突、電線、鉄路、被服廠跡、墨東、大川、本所、ポンポン蒸気、不忍池などが終生の地の表徴としてうたわれている。

すなわち「明治四十三年生まれの父、大正六年生まれの母も皆、下谷で死んでいった。この間、日清戦争、大逆事件、関東大震災、東京大空襲と時代の風は吹き荒れ、戦後七十二年の夏が過ぎていった」という。戦争とテクノロジーの世紀にして、首都東京はその波瀾にまみれた。

三月の桜 四月の水仙と歌いしからに母帰り来ず

この俺の在所を問わば御徒町のガードに点る赤い灯である

第一歌集『バリケード・一九六六年』でデヴューして以来、その後の時代状況に向かう心情と陰翳がやるせない。ここには福島泰樹の挑発としての短歌が、生まれ育った「東京下谷」を中心に蕩けるよう階音で吟まれている。年齢を重ねて、老いを生きる日々の感動がうたわれ、その肉声が聞こえる。圧巻の第三十歌集の内的実像が彩りゆたかに表出されている。

たしかに、東京という都市の魅力は光と闇が交錯する祝祭性にある。東京をめざし故郷を離反してきた彼等は近代の憂悶をかかえながら、その中心と周縁において彷徨と思索をつづけた。それは石川啄木、若山牧水、中原中也、大杉栄らであり、下谷における著者の個人史の出会いに中井英夫、吉村昭、磯田光一、小沢昭一、永六輔への思いが駈けめぐる。

歳月の彼方にいまも燃えている曼珠沙華よりあかく切なく
ゆくだろう孰(ルビ=いず)れ野末の はた陋巷に野垂れ死ぬとも

土埃の風が吹き荒れ、空は色をおび、地が臭い、人影もまばらな家郷の暮らしの切実さは、とりもなおさず、逃れられぬ郷愁と悲哀であり、それが同時に近現代の文学の負うべき宿業であったともいえる。生の原質としての土俗や辺境の位相を薄明りの中で培養し、かつ相対化する福島泰樹の東京エレジーも、また、咽び泣くような痛撃の美と思想のダイナミズムとして体現されている。

「死者は死んでいない。死者たちが紡いできた記憶と夢の再生! 歌がそれを可能にするのだ」と著者はいう。生来の男気もさわやかに、加えて身近な寺山修司、小笠原賢二、石和鷹、立松和平、清水昶、春日井健はじめクロニクル編集者、スナック店主、ボクサー、評論家、作家、詩人、画家などかけがえのない酒友への熱い思いが裏打ちされている。

父の享年超えて三年五ケ月の 冥府で会わばどの面さらす

ジムの鏡に映るこの俺老いらくの 殴ってやろう死ぬのはまだか

従来の思考回路をリセットし、デジタルネイティブによるスマホやツィートや電子書籍が日常表現のツールとなっている。メディアは巧妙に疾走し、世はお手盛り文化をホログラム映像のように他愛なく増殖させる。言霊は失われ、言葉が軽くおとしめられている。しかるに、とりもなおさず、ねんねこころりおころりよ、ねんねしないと墓たてるーー孤独とむきあう無情の韻律の調べが地を這うように悲しみをそそる。

平成の時代もあと一年余、五輪開催都市として急ピッチにすすむ東京の再開発だが、「下谷は江戸・東京下町の地区名、『風煙』とは自身の亡骸を焼く謂である」という。

反語的、韜晦的な生のいとなみを常に掌のうちの優しさでつつみこんできた福島泰樹は、必ずしも私性を語り、生活実感を語ることをいさぎよしとなかった。だが、家族や出自の関係性を温かく抱合し、ここには日々の深さ、豊かさ、美しさがたゆたう。死者は死んでいないーーたまゆらの死者たちとの交流が、夢と記憶のオマージュとして甘美な旋律を奏でる。

アララギの短歌伝統の水脈に毀誉褒貶を顧みぬ鮮烈な抒情こそ、いってみれば個性のかがやきであった。暮らしの色合いとともに、長い歳月のなかで作品の世界が広がる。言葉はロゴスであり、その熟成のきいた三十一音が、しなやかに艶なるものとして本歌集には開示されている。

豊穣な詩魂が透き通る。福島泰樹は聖なる詞華の絢爛と哀愁をにじませながら、風煙のはての永遠のエチカをうたいつづけている。


『図書新聞』2018年3月3日号掲載


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