作品拾遺
太田代志朗



2022年:7月13日(水) 雨。昨日より大気不安定、厳重警戒。
日詠10首ー-小雨降る一日。

・たまかぎる武州古城下に風流れ公園ウォーク五十分
・あてもなく母のパラソルもとめゆく幼きわれの日昏れの坂よ
・その紅きくちびるもまたくろかみも夢にまぎれぬまたひそやかに
・デラシネのはかなき身にて紺碧の海が恋しきわが昼下がり
・一人また一人削除して空白の淋しくなりぬメールアドレス
・わが伊豆も雨の京都もはるかなれ波瀾の小説(ロマン)書けぬ老いぼれ
・さやかにも八十二歳この夏の蝉は啼かぬに今朝の白粥
・「老後」の生活設計などいささかにながらへたえりし武州の里に
・あの川のほとりで待ちぬいつまでもなにも語らず夕陽に祈り
・コロナ”第7波”のお盆ホームスティに静かなる日々

壮年かがやきてくろがねの朝に

暁闇を破り、蓮の花咲 きしか。
7月1日、ホームページ『花月流伝』を開設。

壮年かがやきてくろがねの朝にそよぐか山河はるけしものを

ホームページ花月流伝の夢いくひら「はんなり、いつもやさしゅう」たりと

西行の花のこと死なばもろとも歌はむとする夜の父上

往けば山河に飛べる蝶突然の落下きららかに鸚鵡取り持ち

近江の大伯母の晩年いつも若衆歌舞伎のアルバム閲覧

うたの何の欺きたるかわが夏よ似非連歌師に会いたくはない

おぼろなる「水色のワルツ」に踊るわが契りけり神崎の遊女

あはれ二十歳(はたち)仏師の道ならぬ恋知りわれ晩熟の柿食べし夜

櫻小紋の色も香も寝乱れて国破れ山河ありしといふか 

いまだ桜桃の消息なく睦言の薄訛りに憂しや吾妻路




きさらぎに昏れなんとして老いゆけばまことせつなくゆきふりつもる
なにごともなくすぎゆきて髭を剃る武州の寒風(かぜ)のわれの一日
たまかぎる八十三歳あけぼののかぎりにうたふ夢になせやと

雑詠
・夜はまだ深きぞと謡ふこころのはてに散り待てしばしわが花
・さればことさらの早春(はる)なれ西行忌など知らづとよ行け雪駄履き
・イージス艦はるかにのぞむ敷島の朝靄のその日もランニング
・齢(よはい)かさねつつさやかなれ男は「わかってたまるか」花のしぐれに
・払暁の小城下燃へぬいくつかの悪事を秘めて白粥すする
・ここ過ぎて春の夕べのかなしけり南無とよわれの『簗塵秘抄』
・風の行方に死ぬるともあかねさすゆめまぼろしのひと知るなゆめ

夕べ薄紅

風よ美しく病み果てかなしみの目つむりし一日を欺き

花も紅葉もなかりける国亡ぶことありぬ物語に泣くか

しかるべく花持ちまぎれ革命もつひに知らざるわれの芭蕉忌

イージス艦行方知れずも紅葉散り大和にありて哭かましものを

われ明かさぬ恋ありて住基カードに虚偽申請す秋の夜の月

けはやかに過ぐる壮年こころせよ六條院町にしぐれたばしる

憂国など露ほどもなくあかときに保守論壇のリーダー逝去

神無月あやふきひとり亡国の夕べ薄紅 愛を捨てたる

わが未明の涙渇きさやかにも老母(はは)の初恋知り打て鼓

詩歌(うた)ほろびゆく月光(つきかげ)に議論せし雑魚還るべき山河あらずや

歌人(うたびと)の群れになど関はり知らず鳥羽殿訪ふや忌明けの朝(あした)

近江の月 信濃の風に嘯きてそこもとあはれ黒き紅葉よ

老ひざらめかの歳月にさらばとよ義にゆらめきてわれはかくあり

 

『短歌往来』200410月号


2012年1月・日録に

ーー注目の辻井喬論、黒古一夫著『辻井喬論 修羅を生きる』 (論創社)  
一族の血にゆらめきてたちつくす辻井喬の闇の断崖
漆黒の春に叛きて糺さざる負のコンツェルン父の肖像
修羅なれば妹ゆるせわが叙情と闘争はるか痛む瞼よ

ーー秀和総合病院にて内視鏡検査。
胃カメラをのみてその後の胃腺腫のいかにてあるや冬の落日
血圧・喘息のクスリ漬けなる身にてあれ夜明けの夢の霙に

ーー東京・丸ビル35F”いなば十四郎”のお席。
お招ばれの夕席(せき)にすげなく焼き蟹を食ひぬ眼下に夜景ひろがり
熱燗にあはれ寒中風雅にて愚老たのしびくらし申しぬ

ーー岡井隆著『わが告白』(新潮社)読む。
日常詠などうたひたくなし夕べ「おれはかくして現在(いま)のおれあり」
宮内庁和歌御用掛ひそやかに「出奔・破婚」とよ自筆年譜に
いまさらになにゆえか知らねどさはれ岡井隆のコンフェシオンは
愛恋の絶ちがたき白き乳房ゆえ逐電五年 夜の雪降る
過ぎゆきぬ武州小城下に数寄とあれわが夢幻庵の侘介椿


霜月の昏き夕べに(2004年11月)

●霜月、茫漠と過ぎゆく日々。
暁闇に目覚めてかなし霜月の風のたよりに夢を放たむ
老いざらめ花よしずかにほほゑみてわれを殺めて夕べありけり
争乱の国に殺されゆく若き者たちの唇(くち)炎へてさらばと 
こころざし秘めたるあはれ霜月のいまひとたびの蒼き太刀なる
紅葉の散りにし夕べ瞼閉じ彼奴(きやつ)のなれを見送っておる
透明な狂気とうあやふきわれにきらめく愛のしかと見つめられ

●糖尿病予備軍――食事節制、禁酒と。
空腹に苦しき午後を何をせむまぶたおもきをただ窓に寄り
一杯の飯を噛みつつ目をつむり「五キロ減量」とつぶやきておる
酒を断ち酔ひたることもなき夜の茫漠と過ぎ時雨降りける
クラッカーを食みつつさはれ血糖値いかにありける夜の風吹く
みづみづきしき男の果てに告げらるあかときやみを駆けてゆきつも
秋時雨不粋な男となりにけり酒呑まざるに七日となりぬ

●八月、タイに遊ぶ。
暁の寺なればわれ泪ぐむ太刀鞘鳴りてよぎる益荒男
花掲げ少女ほほゑむ夕べかなチャオプラヤーの川の流れに
王宮に祈る詩歌の亡びたれ雨に濡れたるエメラルド仏よ
サマセット・モームゐたればはなやぎの朝のグランドフロアに行きぬ
静かなる瞑想にとぞ紺青の王宮に舞う鳥の影かも
さらば夏 昏きゆふべに湯浴みせり王も王妃もしづかに狂ふ
手を出して物乞ふ女つきまとひ見れば眠れる背の小さき子
一片の埃にまみれ取り出せし版木にくゆる物語あり


御代の春祝うこころにいかでかる夢のみゆきに遊び華やぐ
かくなれば詩歌亡びるたそがれにイージス艦はいずこなりしや
隠岐に降る雪にあざむきあはれとや夢にまみれてなりゆくらむか
鳥羽殿の炎へたる夜に雪降りて伝言
(つたへごと)ありかなしくなれば
謡ひつつ舞ふ夜の扇羞しかりわが声きけよさはれ景清(かげきよ)
正月七日義政忌あかねさす祖父遺せし志野のぐひのみ
路地の灯(ひ)うしろに風吹きゆくか刎頚の友乱れ酔ひしれ
水瓶座の彼奴
(きやつ)が掌(て)に持ち遠き湖(うみ)に何故ゆく曙椿
インターネットに自殺募集と雪降りぬ紺青の死のほほゑむ明日
長安の男児二十歳こころ朽ちぬ母のうつくしからざるゆえに
緋縅(ひをどし)の鎧に滲む血の凝りゆくおぼろ花の敦盛
据え膳食わぬ丈夫ありたそがれに仇(あだ)し情の時雨に濡るる
さらばとて誠意なきご仁 他郷の涙知ることなく降る氷雨
神輿入洛(じゅらく) つゆじもの静かなる花そよげども由なき謀叛
死生(ししやう)知らずの奴ばらころがれる枝垂れ桜のさやぐくれない
恋ならずさやめきつれぬ白椿香る夕べの黒き秘塚(ひめつか)
十五連移動書庫の書物処分 明日姉十三回忌終えて
抵抗勢力も協力勢力てう総理の嘯きのあはれむつきは
思う莫(な)かれ明月をよこがほに照りかげる老女われあやめたる
みずうみに一首放ち 詩歌くるめきのゆふべのはなむけにとよ


125歳まで生きむとふわが恩師まだ書きつくせぬものありと

「人類の哲学」に取り組む師78歳にて京に吹く花嵐

若王寺の”知的猛獣”吼へ続け雪染めゐたる永遠(とは)の炎(ほぶら)

春麗日詠
                                   ――2008
4

●4月5日(土) また春にめぐりあふーー

花しぐれゆるがるかなたすべもなきわがうつそみのいのちあらしめ
●4月10日(木) 花が散っている。

花春立つと思へば詩歌(うた)のいづくにかあかときやみのことば引き裂き
春が馬車に乗つてくる夕べほゝゑみて届けし決闘書 ドルヂェル伯に
●4月18日(金) 雨の一日、亡娘命日。
比良坂になびく黒髪ほゝゑみて告げむ朝(あした)の紅きくちびる
十六歳そのかなしみの頬染めて父にいふべきことありぬれば
わが明日香 春の雨降るゆふべにて一合二合の酒のかなしも
●4月19日(土) 夜来の雨上がるーー仮住まい1カ月半なり。
またけふも春の一日過ぎゆくを老いにけらしな夢にこととひ
何することもなく春の日のさはれ”家は漏らぬほど”と『南方録』
ながらへて武州の街の春雨に遊びの笛を吹きてゆくかも
●4月20日(日) 上野・聚楽第が閉店。
休日の一日上野で遊びけり幼き吾子の思ひ出深し
何を食べたのだつたか語りしか聚楽第の春の夕暮れ
●4月21日(月) 宴席ヤミ献金疑惑沸騰の新東京銀行に捜査のメスか。
”石原慎太郎銀行”に捜査の手、春の嵐に都知事辞任も
●4月23日(水) ”地球温暖化は二酸化炭素が主因”なるは欧米の世論操作と。
暁闇に目覚めておもふことありぬ老いておろかなわれならなくに
しきしまのやまとのくにの春の日にふとすれちがふ首斬人よ


●4月24日(木) 観世栄夫著述『華から幽へーー観世栄夫自伝』読む。
花いずこ舞ひゆくかなたなほうたへ春にさらばとかぎろふ扇
またけふもうらうら過ごしぬ夕暮れの街の小路の灯り恋しき
仮住まい一カ月半、あはあはと体力気力を削ぎて暮らしぬ
このままに遂げずまぎれてあかときの夢の流れにただよひゆくか
●4月29日(火) 岡部伊都子さんご逝去。ーー昭和の日。
古都ひとりゆきあひたればかなしみのゆふべしづかに春の雨降る
あへかにもひとり力のあるかぎり夜のとばりに愛(かな)しくうたふ
たちよそふ思ひ暮れぬることなりて世にぞ語らむ風よ伝へよ
岡部伊都子さんは『おむすびの味』の一書でデビュー。
おむすびの味を探りてこととひぬ女ひとりの旅にてあるか
京・円山公園内茶亭で話す夭(わか)き日の風光る午後
みほとけにゑみて祈りてほのかなるまぶた羞しきあはれきみはも


 2004年11月:短歌

●霜月、茫漠と過ぎゆく日々。
暁闇に目覚めてかなし霜月の風のたよりに夢を放たむ
老いざらめ花よしずかにほほゑみてわれを殺めて夕べありけり
争乱の国に殺されゆく若き者たちの唇(くち)炎へてさらばと 
こころざし秘めたるあはれ霜月のいまひとたびの蒼き太刀なる
紅葉の散りにし夕べ瞼閉じ彼奴(きやつ)のなれを見送っておる
透明な狂気とうあやふきわれにきらめく愛のしかと見つめられ

●糖尿病予備軍――食事節制、禁酒と。
空腹に苦しき午後を何をせむまぶたおもきをただ窓に寄り
一杯の飯を噛みつつ目をつむり「五キロ減量」とつぶやきておる
酒を断ち酔ひたることもなき夜の茫漠と過ぎ時雨降りける
クラッカーを食みつつさはれ血糖値いかにありける夜の風吹く
みづみづきしき男の果てに告げらるあかときやみを駆けてゆきつも
秋時雨不粋な男となりにけり酒呑まざるに七日となりぬ

●八月、タイに遊ぶ。
暁の寺なればわれ泪ぐむ太刀鞘鳴りてよぎる益荒男
花掲げ少女ほほゑむ夕べかなチャオプラヤーの川の流れに
王宮に祈る詩歌の亡びたれ雨に濡れたるエメラルド仏よ
サマセット・モームゐたればはなやぎの朝のグランドフロアに行きぬ
静かなる瞑想にとぞ紺青の王宮に舞う鳥の影かも
さらば夏 昏きゆふべに湯浴みせり王も王妃もしづかに狂ふ
手を出して物乞ふ女つきまとひ見れば眠れる背の小さき子
一片の埃にまみれ取り出せし版木にくゆる物語あり

*行けば花のしおり。
・おぼつかな一日なにをしていたや早春(はる)の馬車くる夕べとなりぬ
・ひとひとりまぼろしの坂転がりぬ転がりゆきて西行桜
・どないしてはるかわからへんのですか? 春暮れゆきぬコート・ダジュール

*眠りのあとにこととひ。
・またねむり夢の夢なるまぼろしのかぎりにうたふはるかにあれば
・老いて夜の花そよぎたりすべもなきリベラル論壇のさらば仇敵
・わが齢(よはい)に歌はざるか かくあらば春の椿説弓張月よ
・人形の町に揺れいる雪洞のかなしくあらば瞼をとじる

*いや、雪のかなたに・・・・。
・”心や花にゆかざらむ”などぷふいと「山家集」投げ棄て行くや
・苦しかった咳も治まりイオン空気清浄器なるもの終日ONに
・さみなしの夜の睡眠導入マイスリー錠 何ぞふぶきの夢路をたどる
・老残の身に寄る春にさらばとよ酔ひてうたひぬ今宵かぎりを
・父は雪にまみれまたはたさざるや同士などとっくに裏切りたるを

2011年春3月


2004年2月21日
メールに京都の安森敏隆(歌人・同志社女子大教授)から「悼スバル」の一首。
●代志朗のスバルスバルと叫ぶ声「愛犬スバル」のこゑともきこゆ。
安森、酒を一緒に飲んでくれ。

2004年6月19日(土) 「アン嬢と代志朗を見るに・・・・」。  
晴。爽やかな夏の朝、
畏友安森敏隆のメールにこれまでのコンピューターが壊れ新たにDELLを求めて設計中と。
一首あり「アン嬢と代志朗を見るにはるばるとDELLコンピューターの届きし朝を」。
歌人にして同志社女子大教授の君は7月7日・14日にNHK教育テレビ「介護福祉ネットワーク」(夜8時)に出演予定。



安森敏隆氏(歌人・「ポナム」代表)の「歌人・白川静」(【「ポトナム」HP・⑧評論デビュー】)。
碩学の新たな歌人としての側面を論じて注目されている。

その中で紹介する一群に光栄かつ恐縮。
安森よ、京の盃を上げて怒涛狂乱、茫々の歳月がたつ。

「一九六〇年に入学した私の身近な仲間だけとっても、「哲学科」の太田代志朗がいた。
高橋和巳、梅原猛について、今は作家になっている。
「地理学科」に北尾勲がいた。吉野の歌人・前登志夫について歌人になった。
「中国文学科」には清水凱夫がいた。白川静についてき第一の弟子になり、立命館大学の教授になり中国文学に残った。
「日本文学科」には、上田博、國末泰平がいた。国際啄木学会の会長になり、芥川龍之介の研究者になった。
皆、白川静先生に習った仲間である。
鉄筆で一字一字綿密に書かれた先生のつくられた教科書を持ち、勉強したものである。」

いや、愚生は酒ばかり飲み京の大路小路をただうろうろしていただけなんだよね。



・はるかなる京の日暮れにわが青春(はる)をこととひしかば安森敏隆
・おれはかく愚劣な男となりにけりついに上洛せしこともなく
・かの疾風怒涛の京洛(まち)をましぐらに貴様は何を見たるといふか
・いやおれはなだれゆきしを花吹雪 夢うつくしくさらばといひき
・安森よあとしばしなるくれなゐの酒もて京の春の盃


(2004年6月)



2008年11月24日
安森敏隆・上田博編『ポトナムの歌人』
(晃洋書房)をお贈りいただく。
安森敏隆著「歌人・白川静の誕生」は白川先生のお傍に仕へた者ならではの筆の冴へが熱く迫る。

「古稀を過ぎて漸く勤め辞したれば自由の身なりこれからの世ぞ」
(白川静「桂東雑記」)と、
73歳で立命館大学を辞し自由の身になつた一首が印象的。

「鉄筆で一字一字綿密に書かれた先生のつくられた教科書を持」つた学統に継ながる「地理学科」の北尾勲
(歌人)、「中国文学科」の清水凱夫(立命館大教授)、「日本文学科」の安森敏隆(同志社女子大教授)、上田博(甲南大大学院講師)、国末泰平(同志社女子大教授)、そして光栄にも「哲学科」の太田代志朗も紹介されている。恐縮のいたり。

われらがプレイバック1960年代。
学舎(まなびや)に春の雪降れ愛(かな)しきを安森敏隆ほほゑみておる
紺青の夢にまぎれて謡ひけりわれの反きの京の霜月



●2010年
02月01日(月) 午後の雨が霙になり、夜にいたり雪となる。
きさらぎの雪降るらむか一介の風顛
(ふうてん)なればまた酒を飲む
老いてこの余生楽しくいきなむにしおれし花を両手にかかへ
しんしんと更け行くときのながれにて瞑りいつしか夜の雪降る
02月02日(火) 朝の雪の城址公園。
愛(かな)しみの朝のひかりにほほえみて老いゆかんかな雪の城址に
雪よわが歌の行方のあわれなる証かすことなき一日が暮れ

07月5日
なにゆえにふさ子を愛し老いらくの赤茄子腐れてうたびとなりぬ
千住の町をさまようふ夏に


●安森敏隆よりの「悼スバル」のメ-ルに、また泣く。(2004年3月)

はるかなる京の日暮れにわが青春
(はる)をこととひしかば安森敏隆

おれはかく愚劣な男となりにけりついに上洛せしこともなく

かの疾風怒涛の京洛(まち)をましぐらに貴様は何を見たるといふか

いやおれはなだれゆきしを雪吹雪 夢うつくしくさらばといひき

安森よあとしばしなるくれなゐの酒もて京の春の盃



千山の風雨かすかに、静かに暮れゆくか。
遊びをせんと、恋をせんとや、定めなくなく流れ果て

つひに出埃及記読まざる蒼き髯剃りて発つ朝の仇衣(あだぎぬ)

三千の遊女羞(やさ)しく水籠る大和し思ふわが神無月

憂国、など露ほどもなくあかときに保守論壇のリーダー逝去

暁闇に夢二つ三つ切り裂かれ国亡ぶ日にうたう童歌

飛騨の姥女童(めわらは)つれて舞ひゐたるそのあかときの赤き簪

若水男年男太郎冠者 美しい女には毒 がある

数寄のたてたる濃茶さはやかに春宵一刻値千金

月光り太守ヘロデに申したく血のしたたりに憂れし優曇華(うどんげ)

イエスに謎の若き日そよぎありてわが寒宵(さむよひ)の夢許せたり

吐血したる父最期の晩餐に蛇の腸(はたわた)などと笑止千万


春麗日詠
                                   ――2008
4

●4月5日(土) また春にめぐりあふーー

花しぐれゆるがるかなたすべもなきわがうつそみのいのちあらしめ
●4月10日(木) 花が散っている。

花春立つと思へば詩歌(うた)のいづくにかあかときやみのことば引き裂き
春が馬車に乗つてくる夕べほゝゑみて届けし決闘書 ドルヂェル伯に
●4月18日(金) 雨の一日、亡娘命日。
比良坂になびく黒髪ほゝゑみて告げむ朝(あした)の紅きくちびる
十六歳そのかなしみの頬染めて父にいふべきことありぬれば
わが明日香 春の雨降るゆふべにて一合二合の酒のかなしも
●4月19日(土) 夜来の雨上がるーー仮住まい1カ月半なり。
またけふも春の一日過ぎゆくを老いにけらしな夢にこととひ
何することもなく春の日のさはれ”家は漏らぬほど”と『南方録』
ながらへて武州の街の春雨に遊びの笛を吹きてゆくかも
●4月20日(日) 上野・聚楽第が閉店。
休日の一日上野で遊びけり幼き吾子の思ひ出深し
何を食べたのだつたか語りしか聚楽第の春の夕暮れ
●4月21日(月) 宴席ヤミ献金疑惑沸騰の新東京銀行に捜査のメスか。
”石原慎太郎銀行”に捜査の手、春の嵐に都知事辞任も
●4月23日(水) ”地球温暖化は二酸化炭素が主因”なるは欧米の世論操作と。
暁闇に目覚めておもふことありぬ老いておろかなわれならなくに
しきしまのやまとのくにの春の日にふとすれちがふ首斬人よ


●4月24日(木) 観世栄夫著述『華から幽へーー観世栄夫自伝』読む。
花いずこ舞ひゆくかなたなほうたへ春にさらばとかぎろふ扇
またけふもうらうら過ごしぬ夕暮れの街の小路の灯り恋しき
仮住まい一カ月半、あはあはと体力気力を削ぎて暮らしぬ
このままに遂げずまぎれてあかときの夢の流れにただよひゆくか
●4月29日(火) 岡部伊都子さんご逝去。ーー昭和の日。
古都ひとりゆきあひたればかなしみのゆふべしづかに春の雨降る
あへかにもひとり力のあるかぎり夜のとばりに愛(かな)しくうたふ
たちよそふ思ひ暮れぬることなりて世にぞ語らむ風よ伝へよ

岡部伊都子さんは『おむすびの味』の一書でデビュー。

おむすびの味を探りてこととひぬ女ひとりの旅にてあるか
京・円山公園内茶亭で話す夭(わか)き日の風光る午後
みほとけにゑみて祈りてほのかなるまぶた羞しきあはれきみはも


【2004年8月】

●霜月、茫漠と過ぎゆく日々。
暁闇に目覚めてかなし霜月の風のたよりに夢を放たむ

老いざらめ花よしずかにほほゑみてわれを殺めて夕べありけり

争乱の国に殺されゆく若き者たちの唇(くち)炎へてさらばと 

こころざし秘めたるあはれ霜月のいまひとたびの蒼き太刀なる

紅葉の散りにし夕べ瞼閉じ彼奴(きやつ)のなれを見送っておる

透明な狂気とうあやふきわれにきらめく愛のしかと見つめられ

●糖尿病予備軍――食事節制、禁酒と。
空腹に苦しき午後を何をせむまぶたおもきをただ窓に寄り

一杯の飯を噛みつつ目をつむり「五キロ減量」とつぶやきておる

酒を断ち酔ひたることもなき夜の茫漠と過ぎ時雨降りける

クラッカーを食みつつさはれ血糖値いかにありける夜の風吹く

みづみづきしき男の果てに告げらるあかときやみを駆けてゆきつも

秋時雨不粋な男となりにけり酒呑まざるに七日となりぬ

●八月、タイに遊ぶ。
暁の寺なればわれ泪ぐむ太刀鞘鳴りてよぎる益荒男

花掲げ少女ほほゑむ夕べかなチャオプラヤーの川の流れに

王宮に祈る詩歌の亡びたれ雨に濡れたるエメラルド仏よ

サマセット・モームゐたればはなやぎの朝のグランドフロアに行きぬ

静かなる瞑想にとぞ紺青の王宮に舞う鳥の影かも

さらば夏 昏きゆふべに湯浴みせり王も王妃もしづかに狂ふ

手を出して物乞ふ女つきまとひ見れば眠れる背の小さき子

一片の埃にまみれ取り出せし版木にくゆる物語あり



王は夢殿に倒れ夕映にかなしく泣きぬれぬ無血を祷り

月光(つきかげ)に美(は)しき群盗よ病みつつも奪へ愛なる聖母像

詩歌亡ぶ夜半にピアノ鳴りわたる大和の夢の血の酢に滲む


●芦野温泉は那須の治癒の湯治場としてしられる。
 この持病、疾患にきくという奇跡の温泉を信じて私は一心に湯治に励んだ。
 捻挫、膝・腰痛、それに自律神経がやられている日々だった。

「心許(こころもと)なき日かず重なる」奥のほそみちなればあはれ芦野湯
ちりぬるをわかよたれそとくちずさむ汗したたらす夜の熱き湯
あかときの湯の香りわれ生(あ)れし日の紺の空かがやくかなしみに耐へ
持病疾患治りたれ初霜のかりそめの薬湯(ゆ)にほほゑみてゐる
薬湯にひたり傷みし足膝よ芦野の月にうそぶきたるか
夜の湯に揺れる肉叢(ししむら)淡くしてふと見上げれば月いでしかも
芦野の香ひるや寂しき霜月にわれしたためき何遂げざらむ 
紅葉の舞う山の湯にひそやかにあれば捨ておく黒き巷よ
かくてわれ老いざらめやも断念の歳月(とき)過ぎゆきてせつなきものを
あかときの湯のたちのぼりながらひて膝疼(や)みゐれば浴びぬ静かに

●奥州街道・芦野宿。東山道を西行は往来し、義経がひそかに下った。
 時経て、奥の細道に向かふ芭蕉が曽良を連れ遊行柳の陰に立ち寄り、旅を急ぐ。

 
一日、芦野の里を散策。城跡に立ち、遊行柳を見る。初冬の夕風に芭蕉の句碑。
芦野の里はしぐれおり旅人の西行、宗因、芭蕉、蕪村よ
田一枚植えて立ち去るひと誰やこととひゆけばしぐれふりける
元禄二年四月立ち寄りはべり柳の陰の旅の二人よ
ふと佇てば秋の柳のかなしくば西行芭蕉の歌碑に風吹く     
よしなきに遊行柳にゆく秋のひそかにうたふまこと愛しよ
夢のごと燃へたる道のかすかなれ祭りのあとの芦野の里は

●創業300年、老舗”丁字屋”でうな重
昼下がり蔵座敷にてうな重に舌鼓うつ江戸の味かな
紅葉の城址に佇てばかすかなる馬蹄のひびき流れゆくかも
夕ぐれの里にみちくる風の香にわがやみがたき命を鎮め
(たま)さかるさびしさゆえにたどりきて旅のゆくへに泣きぬれておる

 
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