奥吉野、夢覚めぬゆめ


  その年のひと夏を奥吉野で過ごした。
 宿の前には吉野川が流れていた。さりげない食卓の茶粥をはじめ、鮎や天魚の塩焼きは格別だった。蝉時雨に村の古老の話を伺い、山中に散在する史跡を隈なく訪ね歩いた。明るい夏の陽射しに荒々しい崖つづきの小道を辿った。木々の緑に渓谷の瀬音が静寂を破った。秘道を縫って大峰修験道があり、いくつかの由緒ある寺院に参詣した。山間の陵墓に行くと、省みられることのない小さな墓石に思わず目を伏せた。

風雲急を告げていた。大覚寺統は、京都御所から神璽を奪回して吉野南山に籠る。動乱の日々にあって、北朝幕府に対する軍事クーデターを果敢に興すが、あえない失敗をかさねる。だが、なおも山深い奥地にあって、深い志に燃え、きたるべき時機をねらう。

思えば、吉野こそ魑魅魍魎、アウトローの跋扈する異界の地。それがゆえに南朝方のアジールであり、天を望んで消えてゆくべき定めにあった。かくて、無残な敗者の歴史は正史にとどめられることなく永遠に封印された。謎に包まれた後南朝である。

その資料を手広く蒐めた谷崎潤一郎をして、「南朝、――花の吉野、――山奥の神秘境、――十八歳になり給ふうら若き自天王、――楠二郎正秀、――岩窟の奥に隠されたる神璽、――雪中より血を噴き上げる王の御首、ーーと、かう並べてみただけでも、これほど絶好題材はない」(『吉野葛』)と言わしめ、蒼茫の物語は中断された。

 一日の探訪を終わって、夕暮れの村をぶらぶらしていると、しだいに慄然となっていった。ダム建設によりいずれ水没するだろう村の哀史が、風の悲鳴のように聞こえた。蜩に、その無明の歴史に生きた人々の心情と境遇が泪をそそった。

ほどなく、小説ともノンフィクションとも判然としないまま、“花のなごり”を追って書き急いだ。暗闇桜が散っていた。花は身もだえし、息を呑むほど妖しく艶やかだった。傍らにはダンボール箱二個分の資料があった。怒号と叫喚、陰謀と叛乱の山河が慟哭し、気がつくと三00枚余りの原稿になっていた。だが、いっこうに筋道が立たず、混沌とするばかりだった。夢なる夏はいつ終わるのか、呟き、苦しく酒をあおった。

吉野狂いを投げ擲とう、とふと思う。気まぐれに北陸の旅に出た。海風に当っていると、肩から力が抜けていった。

時経て、熱い思いが再びたぎった。なぜか、ふしぎに落ち着いていた。私はそのテーマを新作能にすべくとりかかった。遊子風韻、風狂を映し、狂気を抱え、しかも飄々たらんか。荘厳の紅旗がはためき、軍馬が駆け、白刃がきらめいた。

なぜ、悲憤と哀しみの歴史の闇が修羅能というスタイルに纏め上げられるのか、自分でもよくわからなかった。ただ、その幻の舞台が奥吉野の深夜の豪雪にまみれ、とめどなく噴き上げる鮮血を浴びて身震いしていた。鎮魂のドラマだった。

 修羅能『自天王』は、昨年六月に発表された(文藝季刊誌『月光』二号)。ワキは血塗られた悲劇を問い詰める那智の山伏、後ジテが修羅の巷に浮き沈む悲運の夭き皇子。――奥吉野、夢醒めぬゆめ。愁いに沈む中将の面が、今、乱拍子とともに、漆黒の闇の中に静かに舞っている。


『文藝家協会ニュース/NO647』2005年7月号

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