ギュタヴ・モロオの反世界




●モロオにおける時代的位置
 十九世紀芸術が、ギュスタヴ・モロロ(一八二六〜一八九八)を見殺しにしてきたことを幸わせにしなければならない。十八世紀のサドに始まった芸術の自己否定の哲学は、その<美>という猛毒の馥郁たる花々をちりばめながらロマン派にうけつがれた後、オスカー・ワイルドとアルフレッド・ジャリが二十世紀芸術への拍車をかけた。芸術不在の極点、美学の体系の崩壊する無限の未来の任意の一点では、「美は痙攣的なものになるか、存在しなくなるだろう」といったブルトンの発言は恐怖的なひびきをもって迫る。

 芸術家にとっては、作品こそが唯一のアリバイであり、時代そのものが不在証明でしかない。モロオは、それら時代思潮の漂流から閉ざされた孤独の闇で輝きを放っていた。
 
 ダヴィッドによって始られた古典主義と、華麗なロマン派の夢の扉をたたいたジェリコー等二つの正統派の時代は、かくして、モロオを異端の夢魔的な幻想画家として黙殺した。やがて、バルビゾン派を経て、写実主義に突入してからその蓋を空しく閉じるまで、冷酷な十九世紀は、この反時代の画家には脇目も振らなかったのである。
 
 モロオ芸術の真価を真正面に問い、その王位請求を叫んだのは何を隠そう、二十世紀のシュールレアリストの詩人や画家たちであった。

●その暗い実存性
 モロオの絵の前に立って感じるのは、芸術家の暗い宿命とその悲劇である。
 
 と同時に、それは人間存在の恐るべき内部の闇の叫びである。神話的人物に託して描かれた固有の悲残と死のエロティシズムの世界は、まぎれもない実存の息切れするような呻吟のなのである。その孤独の夢魔の匂い。淫蕩と美のたおやかな激痛。愛への絶望的情熱・・・・。これらのモチィーフには、破滅的な予感がおののく。
 
 そして、おののきながらモロオのこれらの主題と密接な関係をもった詩人にはステファヌ・マラルメをはじめ、「サランボー」のフロベール、「古吟詩集」のヴィニー、「悪の華」のボードレール、「古代詩集」のルコント・リールがいたことを忘れてはならない。
 
 ああ、夕べとなれば冷然たる泉のなかに、
 乱れ散るわが夢のはだか身を知る恐れ

 とうたうマラルメの「エロディアド」を観念的故郷としたモロオは、そして、旧約聖書やギリシャ神話のもとづく人物群の彷徨する部屋で、ひたすら神秘な絵筆を動かしていったのだった。「夢幻ににた部屋、まことに精神的な部屋、そこによどむ空気は、ほのかに薔薇色と青色との染めなされている」(ボードレール)のだ。
 
 また、「ギュスタブ・モロオ氏は、ユニークな、途方もない画家である」といみじくもユイスマンは言っている。「これは花のパリで、現代生活の物音ひとつ忍び入ることのない独房の中で、閉じ込められている神話である。彼は恍惚の中に沈潜して、今はない古い時代の妖精的な幻影、血まみれの大詰めが輝きわたるのを見ている」。

●「サロメ」の妖しい光芒
 無感動な無慈悲な彫像、無垢で危険な偶像には、エロティシズムと人間存在の恐怖の位相が透けて見えなければならない。
 
 エロティシズムにおけるあの有名な三つの形態を定義したジョルジュ・バタイユは「エロティシズムについては、それが死においてまで生の称賛であるということができる」といった。しかし、「サロメ」という血の凝(こご)りの前には、すべての論議が不毛性を帯びている。なぜなら、「サロメ」はそれらのエロティシズムにおける生命の豊饒と死の幻視のあらゆる側面を懐胎しながら、同時にその何ものをも捨象し、そのすべてを乗り越えてしまっているということなのだから。ユイスマンの小説「さかしま」の唯美主義者デ・ゼッサントは、ある日、モロオの描いたサロメに、陰鬱な熱い視線をおののかせる。

「ここではサロメは、正真正銘の女である。火のように激しい残酷な女の気質に、彼女は、そのまましたがっている。そして、いっそうの洗練と野蛮、いっそうの呪わしき繊細さとをもって生きている。涜聖の臥床に芽生え、不純の室(むろ)の育った、偉大な媾合のまどわしによって、彼女は眠れる男の官能をいっそうはげしく燃え立たせ、男の意思をいっそう確実に魅惑し馴致するのである」。

 この不滅の、淫蕩の象徴的な女神、不朽のヒステリックな女、神呪われた美の仮神ーーサロメは宿命の王ヘロデのの前に君臨し薫香の邪悪な匂いは極東の異教の神秘を纏う。碧玉や紅縞や瑪瑙の嵌めたバジリカ会堂風の宮殿。凄惨な血と死のしたたりにおったその餐宴。真珠を縫いつけ、金銀の薄片で飾った豪奢なまばゆい衣装にサロメの乳房は波うち、絢爛の首飾りと擦れあったその乳首が勃起する。そして、太守ヘロデの眠れる官能は目覚めて、瞬時の命令を下す。その愉楽の構図に、私はいつも茫然としていたものだった。
 
●わが内部のエロティシズム
 たまたま、その受苦の量感に喘いだ十八歳の少年が、ジョイスの「若き肖像」よりも、「ドリアン・グレイの肖像」に自己の不安と恍惚の恐怖的志向を熱くおぼえたばかりに、<血>の淫蕩的イメージをその後も末長く肌身にこびりつかせていなければならなかった。そこには文学的ペンダントリ−としてさらにつけ加えるならば「マルテの手記」、「イリュミナシオン」の詩人も同時に棲息させながら。

 サロメの幻影こそ、鬱金色の薄暗い宮殿の、白熱の、久遠の妖しい相貌で、当時の朝の海のような謹直な私の内部のエロティシズムを静かに波立たせ、呼び覚ましたすべてだった。これこそ、苦行的な酷使の青春にあっては弑逆的わななきの証の一つでなくていったい何であっただろう。そう、エロティシズムこそ美と存在の不滅の哲学であった。

●その固有の神話の世界
 実際のモロオは宮展(サロン)の常連あり、しばしば特賞を受け、国家から勲章を賜り、芸術アカデミー会員にも選ばれている。激動の時代の要請とともにアンデパンダ展が次々に開かれ、画家たちが在野的に活動していた中で、古典的モティーフに徹したモロオの行動には興味深いものがる。だが、彼の伝記については芸術的な活動以外に私生活にわたる事実がほとんど皆無である以上、芸術家はその作品によって存在するすべきだとするモロオの主義信条は、ますますの重量性と真実味をもってわれわれに迫ってくる。

 その暗い夢幻的な「ナルシス」の絵に見るのは、モロオ自身の潔癖な面影なのであろう。彼は酒飲みで駄々っ子だったユトリロのように、終生の独身者であり、母親を唯一の女として溺愛した。(その後の調査では愛している女性の存在が確認された。)

 モロオが白昼の日常の次元からその古代神話の人間たちとのアンティミテ(水入らず)の関係にはいるためには、コルク張りの部屋に固執したプルーストのように、厳然たる自己啓示をみずからに課したにちがいない。彼はそのアンティミテにおいて、はじめて彼自身の中に浮かび上がる「暗い宿命の悲劇」に立ち向かうことができたのだろう。御用画家でありながら、その独絶の闇の神話の風景に語り続けていった。
 
●神話的女性の画家として
 ギュスタヴ・モロオは限定すれば、神話的女性の画家であった。

 「サロメ」を始め、「ガラテア」「ダリア」「妖精とダリュ」「クレオパトラ」「レダ」「シュラミと女雅歌」「ヘシオドスとミューズ」等には、いづれも人間の愛の根源の罪と悪の祈りであり、夢魔的存在としての女に対するモロオの怒りと悲しみである。しかし、ごく初期の「ピエタ」「十字架とマグダレーナ」に見るキリスト教的な古典的題材には、求心的な静かなたゆたいがある。この主題は、「聖チュチリア」や「オルフィス」に高められ、芸術至上主義の方向に向かうわけだが、ここにはいづれも女性に対する時代の超越した男性の夢想の酷烈さが滲み出ている。

 ギュスタヴ・モロオは遺言状に、五十年間におよぶ彼の全作品をラ・ロシュフーコー通十四番地の自分の居宅と共に、すべてを国家に寄贈した。この遺言は守られ、彼が七十二歳で死んだあとで、その家はギュスタヴ・モロオ美術館として八百点の油絵,三百五十点の水彩、七千点のデッサン類が収められ、公開されている。

『立命館学園新聞』1963年1月21日号掲載)

▲INDEX▲