花と狂乱

ーー謡曲『櫻川』




 <恋の物狂>とちがって、子を求める<母の物狂>は、混沌たる歴史の闇からの痛切な叫びである。 
狂女物は『隅田川』『自然居士』『三井寺』『百万』など、大半が人買説話をもとにしているが、それは中世という闇の一面を象徴することだった。
山椒太夫のもとに売られた厨子王と安寿姫の伝説を待つまでもなく、人さらいによる親子の別離は中世社会における普遍的な悲劇である。ちなみに、「山椒太夫」とは「散所太夫」とも書き、遊芸売笑の賎業についている。
 

能『櫻川』は母子別離のかなしみを基調にして、咲き乱れる花に狂乱する女の詩情が彷彿とする一曲である。作者は世阿弥元清。
引用の詞華は古今集をはじめとした多くの歌集に拠っている。
季は春、筑紫・日向の国(第一場)に東国のある商人が滞在している。商人とは、子供の売買をこととするなりわいの男であった。当時、こうした商人は全国にいたといわれる。男は昨日の暮れ、首尾よく幼い者を買い取ることができて上機嫌だった。その少年、櫻子は人買いの男に懇願する。

「お願いです。どうぞ、この文(ふみ)と身の代(しろ)を櫻の馬場の西にいる母に届けてください」
少年は泣き崩れながら言う。
家の貧困を見かねて、みずから人買いの男に身を売り、国を去って行こうとしていたのである。少年の可憐さが何ともいとわしい。
「相分かった」
人買いの男は引き受ける。
 
かくして、男はシテ(母)のもとへ櫻子の文と金を届けに行く。
シテは深井の面、鬘、鬘帯、唐織着流し。母は食うや食わずの生活状態で、夫とは死別してひとり暮らしであった。
何ですって、櫻子が身売りしたのですって・・・・。
文を読みながら、思わず母は声を詰める。
そして、血を吐くように泣き叫ぶ。
 
   さてもさても、
   この年月の御有様、
   見るもあまりの悲しさに、
   人商人(ひとあきんど)に身を売りて、
   東の方へ下り候。
   のうのうその子は売るまじき子にて候ものを。
   や、あら悲しや。

ああ、何ということか。
愛しい子、身を売って、いったいどこへ行ってしまったのだ。かくなれば、この茅屋で名残惜しくひとり明かし暮らすことが、どうしてできようか。母はわが子の行方を訪ねんと、跡をたどって家を出る。それは「泣く泣く迷ひ出でてことであり、家を出るとい<出離>は苦界を出て離れ、仏道修業の道に入ることを意味していた。
  
それから、三年がたった。
爛漫の春。筑波山の麓、櫻川は花の名所であった(第二場)。
花は、今を盛りに馥郁と咲き乱れている。
常陸の国磯部寺の僧(ツレ)の一行が、里人に呼ばれて、急ぎ櫻川にやってきた。
辺りは櫻狩りの人々で賑わっている。
「お上人さま、お待ち申しておりました」
僧を迎えた里人の一人が恭しく言う。
 
   ここに面白き事の候、
   女物狂(おんなものくるい)の候が、
   美しき網を持ちて、
   櫻川に流るる花をすくひ候が、
   けしからず、面白う狂ひ候
人々は櫻川に流れる花をすくう狂女を眺め、騒ぎ立てている。
櫻子の母が花を求めて狂乱しているのである。
 
母は思い乱れるままに筑紫を出て、海山を越え、遥かな旅路の果てに、この櫻川に辿り着いた。別れた子の名前が櫻子なれば、形見といい、折柄といい、櫻川は何かの縁(えにし)あるところだろう、と。
 
能の舞台では、ここは破の中段、後ジテ(母)は一声の囃子で登場。
水衣に掬い網を持ち、カケリを舞う。何とも息つくような花やかな狂乱である。
花が吹雪となって散り舞っている。
散りはてた花が雪のように積もってゆく。
思い深き花の雪、それこそ散るは涙の川だった。
  
僧の、
「何とてかやうに狂乱とはなりたるぞ」
という問いに、
「ただ一人ある忘れ形見の緑子(みどりこ)に生きて離れて候ほどに思ひが乱れて候」
と女は応答える。
そう、故郷の神は木華開耶姫(このはなさくやひめ)で、その御神体は櫻木。訪ねる子も櫻子。この川も櫻川なのだ。
狂気の女を群集が取り巻いていた。
折しも山嵐(やまおろし)があって、櫻川に花が乱舞する。
それはふくよかに匂いたつ紅の花びらが日を追って透けるように薄らいでゆく絢爛の風景であった。

 ワキ「げに下げ見れば山嵐の、
     木木の梢に吹き落ちて、
   シテ「花の水嵩は白妙の、
   ワキ「波かと見れば上より散る。
   シテ「櫻か、
   ワキ「雪か、
   シテ「波か、
   ワキ「花かと、
   シテ「浮き立つ雲の、
   ワキ「川風に、
   地(次第)散れば波も櫻川、散れば波も櫻川、流るる花をすくはん。

ああ、櫻子よ。
おまえはどこにいるのだ。
花も、櫻も、雪も、波もすべてをすくい持っても、所詮は木木のまこと。
櫻子よ。
おまえはどこにいるというのだ。
ーーと、何と幸運なことだったか。はたして、花見客にまぎれた幾人課の稚児の中に、探し求めるわが子、櫻子がいるではないか。

 シテ「櫻子と、櫻子と、
      聞けば夢かと見も分かずいづれわが子ならん。
  
三年の歳月がたって、もとの姿は変わっていたが、さすが見馴れた面立てだった。
まぎれもなく別れた愛しいわが子。
まさに「鶯の顔ばせの、こは子なりけり、鶯のあふ時も鳴く音こそ嬉しき、涙なりけれ」の母子再会である。
 
かくて、悲劇的な狂乱にハッピーエンドの幕が下ろされ、われわれは日常的秩序のうちに静かに回帰していく。
『櫻川』の典拠する古今集の中にある紀貫之の歌というのは、「常よりも春べになれば櫻川波の花こそ間なく寄すらめ」とあるが、ここにうたわれている花の風雅こそ、『櫻川』の曲のしらべの本領であることはいうまでもない。
 
まさに、花の狂乱である。
陰惨な人買いの中世の悲劇を縦糸にした櫻づくしの狂乱の舞いなのである。
女は子を探し求めて狂い、流れる花を追っていく。
追うものが、はたして<花>であるのか。
だが、その<花>というものがいったい何であるのか。
女にとって、だが、そんなことはどうでもいい。
 
つややかな花の精というものは、いつも狂気をはらんでいるものなのだ。いってみれば、この日向の女は一所常住を厭(いと)う流浪の民として、東国をめざして旅立ってきたのである。櫻川に辿りついたときは、まさかの花の美の祭遊に歓喜する遊行女婦(うかれめ)として、その歴史の暗闇の一点から立ち現れる。絶望の重さゆえ、狂乱の態で重圧された日常から解き放された姿は、無類に美しく自由にかがやいている。
 
神にささげる自由奔放な大衆芸能は、もとはといえば情念の祭りそのものとして、戦闘的に踊り狂うことによって存在するものだった。その遊興の詩心こそ大衆の原点であり、美の原理であった。ゆえにこそ、作者世阿弥は、その狂乱を花の散る風情のあわれに求め、<幽玄>という花の美学を確立させるために、挑発的に猿楽のもつすべての猥雑物を排斥し、その純化につとめていく。
ここに、「衆人愛敬」をもって一座建立のよすがとする世阿弥芸術の深い苦悩と葛藤があったのだといえる。
川に流れる落花を掬うための小道具である掬網は、この曲のためにこそ用意されたものであったといえよう。
全曲を通じて櫻の花が配されている。

 シテ「あたら櫻の、
   地  あたら櫻の、
      とがは散る恨みなる。
      花も欝し風もつらし、
      散ればぞ誘ふ、
   シテ「誘へば散る花かづら。
   地  かけてのみ詠(なが)めしは、
   シテ「なほ青柳の糸櫻。
   地  霞の間には、
   シテ「樺櫻、
   地  雲と見しは、
   シテ「三吉野の、
   地  三吉野の、三吉野の、川淀瀧つ波の、
      花をばすくはば若し、くず国栖魚やかからまし。

『隅田川』では「面白う狂ふて見せよ。狂ふて見せずば、この舟に乗せまじいぞとよ」とけしかける科白があるが、『櫻川』ではすでに狂った女が川のほとりでうつろなままに花を掬っている。
猿楽狂言の<をかし>の狂奔なエネルギーを能の幽玄の世界に収斂していく中で、世阿弥は「物ぐるひ、此の道の第一のおもしろづくの芸能なり」という。
  
    思ひ故の物狂をば、
   いかにも物思ふ気色を本意に当てヽ、
   狂ふ所を花に当てヽ、
   心を入れて狂へば、  
   無上の上手と知るべし。
             
(『風姿花伝』)

物狂の一道に熟達すれば、すべての風体に通じるというのであろう。
だが、この曲は『高野物狂』、『蘆刈』という本格的な物狂いとちがう。
子を思う女の花やかな狂乱が何ともいえず哀切がある。私の好きな一曲である。


「文」2000年4月号掲載)


 

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