幻想論序説

安森敏隆第一歌集『沈黙の塩』
(現代短歌社:第一歌集文庫)解説



 

 あらかじめいっておくならば、無傷の幻想などありえるはずがない。
 文学による自由、言葉による自由が究めて困難であった時代。日々の実存的な痛みとともに、われわれの内なる現実はとめどなく亀裂していった。これこそ幻想としての文学、詩歌に殉じることの宿業であったのだろう。

歌集『沈黙の塩』は一九七九年五月に発行された。すでに、「戦争前夜」二十首(角川賞候補作品、一九六三年)をもって歌壇に登場していた意味は大きい。憧れと断念、瞑想と情熱、不安と浄福ーー地の塩は沈黙してしまったのか。深いいのちのかがやきに、光は深い信頼にみちているのでなかったのか。悲哀と贖罪に身を削ぐ自己救済などありえない不条理に、希望の灯火がゆらぎつづけていた。

   最後の夜野獣ひそませちちとはは「さればこの床、柩となるか」

もつれとぶ蝶ら戦野に追ひ行きしちち潜ませて生まれし子あり

いきものの胎動ひめて妻のゐる夕べの凪のみなもとどころ 

鋭敏に研ぎ澄まされた感性が秘められた領域をうがつ。この絶唱には存在論的な恐れそのものが、永久の定型詩の無類の韻の調べとなっている。不在の「ちち」を不可視の戦場に問い、密会は「野獣」のように燃えても、「床」は「柩」と同義として嘉すべき一夜が別離の儀式になる。そして身籠った「はは」は運命にながらえ、やがて迎えた「妻」は新たな「いきもの」をはぐくみ、「子」にたいする「父」たる家族の行方が切実にうたわれている。錯綜する時代の闇をかきわけ、出自にまつわる連関性が濃密な空間をつくる。それは永遠に回帰する循環であり、血の系譜の悲劇であり、同時に鮮烈のエロスの謂でもある。

変幻する内的言語が恐怖と魅惑の詩情を炸裂させる。孤独によじりあうような聖餐のひとときに、波瀾の語句、語感のいろどりが痛切ににじむ。虚構の私性に比喩でも未秩序でもなく、生の現実を相対化させながら、ここには新たな世界が創出されている。靜謐さと激情による旋律からあふれる幻像は、無限の自由な心をひらいてわれわれにせまる。

ほかでもない、斎藤茂吉幻想論の研究に徹することをきめ、時代の感性をゆさぶる反写実の夢と幻を追撃する安森敏隆の初々しい位相であった。 

ふるさとの躑躅の森をくぐるとき未生(みしゃう)のわれのあやまちにほふ

なりはひは夕日とともに静もれり葡萄園のぶどう闇にみひらく

花ふぶき雪となりたるこのあしたわがうつせみの半生はみゆ

それにしても、「未生のわれのあやまち」とはいったい何か。悪胤の葡萄園の「闇にみひらく」ぶどうの実体とは何か。花吹雪に「うつせみの半生」をみる官能と憂愁とは何を意味しているのだろうか。

三十一音を構成する語句は冴え冴えとし、破調と断想のきらめく栄頌となっている。従来のリアリズムと決別したとはいえ、塚本邦雄の「短歌に幻を視る以外何の使命があらう」という衒った仮構の美の乱反射もさりながら、ここにはこのうえなくかぼそく繊細な心象が形成されている。幻想空間の戦慄的な美しさとともに、その感受性と詩型は、宇宙の果実が甘美な味感にとけこむような融合の本質の愁いをおびているといえよう。想像力の極北をして鋭く彫琢された言語イメージが紺青の階調にむせぶ。不在と存在、生と死の形而上学は、夢と愛のイリュミナシオンに蒼然と収斂されている。 

胸ふたつあはせてもなほうづまらぬかたちの愛か秋津かげろふ

断食の青年の胸かけぬける雲雀ありけり死にそむきたる

その前夜革命もなく雪もこず畳の上にねむれるわれら 

不穏な予感とともに「愛」は色あせ、青年は「死にそむき」、不安な影を内面にいだきながら、雪の動乱をひかえた「ねむれるわれら」に凶兆の日が昏れる。ただならぬ始源にたちかえろうとしながら、内実のイメージは喩をこばみ、メタファーを無惨につきはなす。感覚の純化をはかりながら弾劾し、つぎに反転するイメージは、まぎれもなく律動感にふるえる漆黒の転調をかもしだしているのである。感動の実体として、影像や幻想、幻覚がこの世の恩寵とあいまって、根底の抒情をひややかに増殖させていくだろう。虚構の背後にひろがる現実は比喩や象徴でなく、反現実・反世界の美の相克にほかならない。

だがそれにしても、現実と超現実にひきさかれながら、本歌集には、なぜかどこまでも静かに波うつような清澄の気がみちている。瞑想的な祈りとともに、至高の内なるリズムがしだいに熱気をふくんでいく。畢竟、それは定型の永劫の鼓動のわななきに生の浄化がはかられているということなのかもしれない。酩酊し、熱狂し、呻吟する色彩の透明感とともに、はるかなたかみへとその詩魂は飛翔している。絢爛の凶々しい幻野の夜明けに。 

私事にわたるが、京都アカデミズム(私学)を離脱疾走した無頼の身を赦して酌む盃に、万朶の花が降りかかる。巡りくる時の流れに、おもえば、深夜の若王寺の梅原猛邸に奇襲をかけたのはいつのことだっただろう。

お休み前の先生は矍鑠として、人麻呂像のある広間に闖入者を迎えいれ、
「君は国崎望太郎さんの秘蔵っ子だからね」
 と水をむけられた安森敏隆が緊張し、その巨体をちぢみこませているのは何ともほほえましいことだった。

オンりー・イエスタディー、熱狂の一九六〇~七〇年代。風がたち、光がまぶしく揺れる京都を舞台に疾駆した褐色の若き知の群像。わけても安森敏隆はその含羞の表情をのぞかせながら、「永遠の花影」にくきやかにたたずんでいる。

ふりむきて地球のうしろのぞきゐる麒麟やさしも永遠(とは)の花影


安森敏隆歌集『沈黙の塩』(現代短歌社:第一歌集文庫)2015年3月29日発行

 
▲INDEX▲