花吹雪広小路容彩
はなふぶきひろこうじすがたのいろどり




一九六〇年四月、広小路キャンパスは安保闘争に騒然としていた。入学早々誘われるまま、私はノンセクトとしてデモに参加した。四条河原町を行進し円山公園に結集。哲学の先輩の一人が「これを読め」と毛沢東の『実戦論』の文庫本をくれた。そして、アメリカ帝国独占資本の巨悪をまくしたてた。弁証法唯物論的認識論とやらには無縁のまま、全学連ブント過激派の熱狂をわがこととしながら、私は「戦線逃亡」を宣言し、理想と現実のはざまで常にアウトローであろうとしていった。

入会した実存主義研究会では、時にそうしたデモの喚声をよそ目に、リルケやカフカを発表した。そして、世界と生の意味を回復すべくニーチェの永劫回帰の出口なき迷宮にたたずんだのだったか。いや、西田幾太郎の「絶対矛盾の自己同一」を自からに課しつつ、“花を惜しまで風をいとはむ”と美と狂乱の果てに存えることができればいい。少なくとも、それが青春という日々の愚行の祝祭であったのだ。

安保闘争の終焉とともに、文学青年のあいだにも挫折やら敗北やらの観念が重いねばりのように心身を蝕む。思えば狭苦しい広小路キャンパスだった。清心館の教室で講義を受け、哲学共同研究に立ち寄り、地下の学生食道で腹拵えをし、存心館の裏の通りから学内団体『広小路文学』の暗く殺風景極まるBOXへ向う。それが私の学園生活の一つのコースだった。

哲学専攻は教授、助教授、講師に多彩重厚な陣容を誇っていた。煌く知の殿堂だった。

マルクス、ヘーゲル、フォイエルバッハの研究を通じて人間学的唯物論を確立した船山信一先生は静かな口調で話された。安藤孝行先生の西洋哲学史の講義では必死にノートをとらされた。白崎秀雄著『当世畸人伝』(新潮社)によれば安藤先生は哲学者にして、和歌・連歌をつくり、骨董古美術の蒐集にも一家をなしていたというが当時は知る由もない。

共同研究室にいるとよく山元一郎先生がふらりと現れた。その時々の談話を聞いていると、ふとアカデミズムの学究世界に惹かれてゆくのだった。“暗い悲しい海、病的幻想”の言挙げたる『ミケランジェロの怖れ』の著者は悠然としていられた。

「立命大に、芸術学部を創設する」と意気込む梅原猛先生には、幾本かのレポートをチェックしていただき、「うむ。だいぶまとまってきたな」といわれた。

シェリング学の泰斗、西川富雄先生にはカントの原書講読で鍛えられた。研究室を訪れると、「暑いからね」といってステテコ姿で応対された。また、京大から講師としてこられていた上山春平先生には論理学を習った。そして、こまごまとした事務に多忙な助手の大島正道さんには何かと相談にうかがった。

当時の哲学科哲学専攻には第二、第三志望でまわされてきた学生がいて、何やら話しかけてもまったく通じぬ話題の持ち主がいた。そんな中で、坂本藤男や小山幸男らとはよく寺巡りをした。他にいつも五、六人加わる賑やかな集まりだった。西京極球場に野球の応援に皆んなでいったこともある。

加えて森茂明とは宮川町の彼の実家によく泊まり込み徹宵の麻雀、木屋町の居酒屋で飲み、桜湯の朝湯につかってはドストエフスキー論に明け暮れた。

出町柳の下宿には桶川雅幹や西垣隆がいた。二人は私の高校時代からの友人だった。クラスのプリマ・ドンナは安川和子さん、京生まれで演劇活動をしており、なにかとよく話し合った。

一級下には杉本真人、中村政良、林川賢太郎などがいた。哲学懇親のハイキングでは鞍馬方面を踏破したこともある。酒を飲んではクダを巻き、酔いつぶれると杉本真人がよく介抱してくれた。その杉本の下宿にゆくと描きかけの大きな絵があり、「哲学もいいが、絵もいいんだ」と彼は情熱的にいった。

もっと苦悩せよ、絶望せよーー満身創痍の哲学エピキュリアンは京の大路小路の闇を疾駆していった。過剰で不肖不逞の身は静謐な机上に己を糺す研究生活より、ランボオ的感官の激発を通した見者(ルビ=ヴォワイアン)の世界を夢見ようとしていた。イリュミナシオンと地獄の季節に、血まみれに討ちはててゆけばいい。

私は『広小路文学』委員長に祭りあげられる中で、日本文学専攻の安森敏隆(歌人、現同志社女子大学教授)とふれあうが、彼はそこでの活動に物足りず北尾勲らと『立命短歌』を興す。小泉苳三・和田周三・白川静らの短歌結社『ポトナム』も順調のようだった。混沌の時代とともに、熱い宿業の定型詩はその栄光と悲惨の韻律を迸るように熱く刻んでいたのだ。

学園新聞に、私は「幻想と阿片」「ギュスタブ・モローの反世界」「アンドレ・ブルトン『ナジャ』とは何者か」「混迷の中の主体」「奇怪なアナキスト・サドは可能か」「悪と美のパトス・鶴屋南北」「絶望と脱出の論理」「ぼく自身のためのサロメ」「コクトオの死」などの原稿を持ち込む。論客の中西省吾(法学部)、小坂郁夫(法学部)の宰領で掲載されたが、当時の立命大の風土においては異端的藝術論であったのだろう。

出会いがあった。自己の立場をストレートに押し出してくる鮮烈無比の男だった。小松辰男が主宰する劇団『現代劇場』の旗揚げに私は参加した。小松辰男は京の百鬼夜行と化し、輝けるブンド心情派として常にスキャンダリックな祝祭をこころみようとしていた。

シテ方の能楽師くずれの伯父を持つ私の血は騒ぐ。書き下ろし悲劇『小喝食』を一気に書き上げたのは一九六三年暮れ。翌年六月に祇園会館で劇団現代劇場第一回公演として大きな話題を呼ぶ。同志社大、京都女子大、池坊短大の同士が協力してくれた。ほかにもの『孤独がぼくたちの瞼をとじる』『失楽園』、また詩劇『血と廃墟』を書き、いずれも上演された。

これを契機に、小松辰男はその劇団活動とともに怒涛狂乱の華麗な舞台を次々に打ち上げる。これこそ、後年の全共闘運動・京大西部講堂の叛逆と解体への一大ムーブメントに引き継がれることになるのである。

カミユの太陽は眩しくM・アントニオーニの映像は儚くも頽廃的で、J・バエズの歌は切なかった。時折の荒神口のシャンクレールで聞くジャズもよかったが、やはり河原町三条の六曜社が何よりのアジトだった。芸術も革命も恋も、マチェックの見上げる花火のようにむなしく飛散していった。

梅原猛先生は三十代半ばの若さで『美と宗教の発見』(筑摩書房)所載の数々の論考を発表、内外の注目をあびていた。そこにおける新古今、世阿弥、固有神道、和歌体十種など洞察豊かな独自の日本の美意識に衝撃を受ける。鮮烈な梅原日本学の洗礼だった。

その人気沸騰の梅原ゼミでは、あろうことか、不逞の私は「マルキッド・サドの宇宙と哲学」について滔々と発表した。それもいってみてれば、小心ゆえの哲学的韜晦からであったといえよう。

研究室にうかがうと「ちょっと外に出よう」とよく昼飯のご馳走に相成った。

また浄土寺のお宅を訪ね雑誌のカンパをおねがいしたり、劇団活動ではパントマイムのテオ・レジワルシュの深夜の稽古場にもきていただいた。

「藤原定家を戯曲にしても面白いのだよ。いずれ一緒にやろう」といわれた。

末川賞(立命館学園新聞主催)が設けられ、選者は梅原猛・高橋和巳。仲間たちと競って応募するが入選ならず、拙作は『今日の賭け』に続き、『蝕』『蒼茫』といづれも佳作。「私小説系の世界を否定した新たな可能性の文学こそ問われるべきでないか」と異議を申し立てたら、梅原先生から、「絶望のポーズを捨てよーーひよわな実存主義、太田君に答える」(『立命館学園新聞』一九六三年一〇月三〇日号)として、

「五百羅漢のような個性ある作品を期待しているのに、君たちの出したものはいったいどういうことだ」と一喝された。

サドをすて、サルトルを殺し、キェルケゴールを遠ざけ、君は君の絶望と直面したらどうか。絶望のポーズを捨てよーーこの一言は一時期、われわれ仲間のあいだの相言葉になり、挨拶になり、観音経のように唱えられた。

学成り難く体調を崩し、右湿性肋膜炎で五カ月の入院を余儀なくされた私はやむなく留年。その後大学院で学ぶべきか逡巡していた一時期、ご相談申し上げると、梅原先生はこの一介の学徒に過分の就職斡旋の労をおとりただき、わざわざ松竹芸能、大阪読売テレビに一緒に出向き、同じく淡交社のほうのアドバイスも懇切にいただいた。だが、結果はいずれも首尾よくゆかない流落の日々、「雉も鳴かずば撃たれまい」と本だけは読み漁った。

同時に、中国文学講師の高橋和巳先生のもとにも通い、なにかと私は薫陶を受けていた。長編『悲の器』で颯爽と文壇にデビューしたものの、高橋和巳はなにかと学園では自らの不遇を嘆いていた。奈良本辰也、白川静先生は「二足の草鞋をはけばいい。今、高橋和巳は立命を辞めるべきじゃない」と説得したが、連載中の『邪宗門』も好評で上京し作家生活に入るべく、一九六四年十二月立命大を辞職した。

別れの酒席で高橋和巳に梅原先生の事の顛末を伝えると、河出書房の坂本一亀氏宛に一筆したためられ、この稀代の“文芸編集の鬼“に会うことになる。だが、「太田よ、あわてるな。もっと、京都で修学せられたい」と同氏に強く諭された。

「いいか。雑文は書くな。長編を書くんだ」

と高橋和巳はいった。私は小説『才気ざかり』『鰾』『今日の賭け』『さらば、夏の光よ』『蝕』『反復』など“泣きべそ”をかきながら書き続けたのだった。

立命館大学哲学科哲学専攻からは多くの俊鋭同学が巣立っていった。哲学することの意味が何もわからぬまま、浅学にしてただ文学に縋りつきながら歩いていた。いわんかな、オンリー・イエスタディ1960ー1967。いまなお、わが“内なる広小路”には褐色の風塵が舞い上っている。

●献歌一首
 花吹雪け京のあしたの盃にかなしみうかべうたひゆくはや

 

『立命館大学哲学同窓会五十周年記念誌』(2010年09月30日発行)

 

▲INDEX▲