華やかに灼けつく知の饗宴

白川静・梅原猛対談
『呪の思想--神と人との間(平凡社)



 
 
確かに、物語はすでに遠く始まっていた。 
 古代は神々の時代であった。空や雲や風には精霊が宿る。神と人びとは交通し、そこには多くの呪術が行われ、いくつかの勢力がぶつかり、激しい闘争の中から文化が生まれていった。
 
 文字が成立したのは、まだ神話的世界観が人びとを支配していた時期。神聖王朝は異民族の支配をふくめ、自分が神でなければならない。神さまと交通しなければならない。神と交通する手段が文字であった。
 
 ゆえに、文字は言霊そのものであり、古代の森、草原、山、川のいたるところに、神々は宿っていた。呪術的な古代文字の魂振り。人との密接な?がりがある漢字の世界。三千年という歳月を経て今世紀初めに幻の王朝の遺跡から甦った神話と祭儀。人が神と心を通わせる手段であった甲骨・金文文字を読み解く白川文字学の前に、当初、一部学者の猛烈な反発があった。
 異端の学者が、いまや先端をゆく大きな中国学の本道であり、ディオニュソス的中国観を開いたのである。
 
 一方、大胆な推論による梅原学は、アカデミズムをはじめ各界に、終始、鮮烈な波紋を呼び起こしつづけてきている。記紀、万葉、法隆寺、聖徳太子論、仏教学、縄文文化とアイヌ論。哲学者であり、作家であり、詩人であり、劇作家、評論家である奔放果敢な世界が壮大に展開されている。
 
 この二人による本書の対談は三回行われ、一、ト文・金文――漢字の呪術、二、孔子――狂狷の行方、三、詩経――興の精神という三部構成。奇人梅原猛は、大奇人白川静の学問と思想の前に、ひとえに聞き役に回り、問いかける。
 
 NHK『漢字の宇宙――孤高の学者・白川静』(一九九九年四月十四日ETV特集)では、白川静の日常がつぶさに収録放映されて大きな話題を呼んだが、本書には甲骨、金文の文字、白川静ノートをはじめ、孔子流浪図、詩経・万葉対照年表、また、祭り風俗などの写真、図表を豊富に掲載。編集構成にもなみなみならぬ配慮があり、白熱の対話に色を添えているのも興趣深く、楽しい。
 
 あらゆる中国の経典を網羅した白川学は、まず、殷の神秘世界を明らかにする。古代中国の部族国家の誕生と移動とともに、そのシャーマニズム的な濃厚な世界は、何よりも徹底した呪礼的な儀礼を重んじる共同体であったことがよくわかる。
 
 すなわち、楽器、酒器、食器は魔を祓う呪具であり、祭具、呪器であり、青銅器は本来、呪鎮であった。また、支配圏外に出る時、そこには異族神がいる。自分たちの祀る霊とは違う霊がいるために、生首を掲げて祓い、その異郷の道を進んでいかなければならぬ。「道」という字の「首」には、もともとそういう意味があったという。
 また、代表的な白川三作に『孔子伝』、字書三部作、『詩経』を上げる梅原猛にとって、その新たな悲劇の孔子像は臓腑をえぐるように鮮烈に迫る。

 すなわち、芸術的な理想国家を夢見た孔子は、落ちこぼれの底辺の階層の出自であり、惨澹たる流浪の生活をおくっている。葬儀屋であり、巫女の私生児であったといわれる。
 理想が高過ぎて、現実の政治勢力と妥協することができないまま、髷は結わぬザンバラ髪の遊行の徒であった。
 だが、その流離いつづける乞食同然の苦悩する孔子に、弟子たちは人格的な求心力を見出してついていく。

 孔子は失敗するたびに人間的になっていったのだろう。
 人が生きていくには理念的には風波のたたない「中庸」がいい。だが、その次に「狂狷」の徒がよろしい、と孔子は説く。そう、進みとる人。苦悩し、詩人や文学者のように揺れ動き続ける人。この追放され、流浪し、失敗した革命家である孔子に梅原猛は共感し、大きく揺さぶられる。おお、それは『法然の哀しみ』に通じるものでないか、と。
 
 第三部の最後には打ち解けた雰囲気の中で、独創的な甲骨文を解明した漢字研究とともに、白川静の『詩経』の深遠な世界が解明されている。

 そして、本書『呪の思想』の背景には、茫々三十余年の歳月が深い輝きを蔵して横たわっていることがよくわかる。
 同時代を共有した二人ならではの熱く迸る物語。
 顧みれば、若く六朝期の美文をはじめとした研究に取り組む高橋和巳の才能を見出し、小説『捨子物語』一冊を読んで査定、立命館大学講師に採用したのは、ほかならぬ白川静教授であった。
 しかし、文学への志を秘めて授業をサボる俊英は教授会でよく叩かれた。その高橋和巳を、白川、梅原の二人はたびたび庇う。

 しかも、その教授会で、梅原はよく“吼えた”。喧嘩をした。
 あの痛切によぎる怒涛の六〇〜七〇年代。
 だが、『悲の器』で文壇デビューした高橋和巳は、白川静の元を去り、瓢然と上京する。挙句には京都に舞い戻り、京大全共闘運動に加担した闘いの果てにぶっ倒れ、その最期の著書『わが解体』で告白しているように、薄明の嗚咽と泥酔の中で心から慕いつづけた「S教授」。白川研究室は、紛争の渦中においても、午後十一時までいつも煌々と電気がつき、地味な研究が黙々と続けられていた。
 それは、文字どおりの“穴倉の恐竜”だった。

 同時代、やはり自由を求めて学園を決然と去ろうとする梅原猛を、白川静は慰留のために懇々と説得した。
 その浪人中、『神々の流竄』、『隠された十字架』、『水底の歌』の、世にいう梅原古代三部作が滔々と書き上げられる。
 「白川先生」には借りがあった。
 「梅原君」はよく吼えた。
 だが、師と弟子でもない二人の呪家の熱い息吹き。
 何という華やかに灼けつく知の饗宴であろう。

 当初の『万葉集』と『詩経』との比較研究から、さらに突き詰めた殷の時代の甲骨文を通じて古代の社会と文学の深層を解明する白川学の基本にあるのは呪の思想の世界である。梅原猛は、その学問のプロセスは違ったとはいえ、自ら御霊、怨霊、鎮魂の呪師として、その神々の世界に妖しく胸揺さぶる。
 
 孤高の双璧、矍鑠たる九十一歳と七十六歳の呪師たちの深遠な時の流れ。
 まさに、鬼気ただよう一書である。

『図書新聞』2002年9月7日号

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